信仰と異能
世界観説明回になります
この国は、大樹を信仰する国だ。
都の中央には、大霊樹がそびえ立っている。建国王と初代聖女が共に植えたと伝えられる巨木。王権の正統を支え、民を庇護する象徴として、この国に生まれた者なら誰もがその名を口にして育つ。
幹は城塞に比肩するほど太く、枝葉は空を覆うほどに広がる。晴天の日には濃い影を都に落とし、嵐の夜には風を孕んで低く唸る。その響きは城壁を越え、都の奥まで届くとされている。根は石畳の下、大地の深くへと伸び、大陸の底にまで達している――そんな話も、昔から疑いなく語られてきた。
幼い頃の俺も、その一人だった。
窓の外に見える巨木を仰ぎ、枝のざわめきに耳を澄ませ、無邪気に祈りを捧げていた。大樹さま、と口の中で呼ぶことに何の違和もなかった。それがこの国に生まれた子供にとって、ごく当たり前の習慣だったからだ。
疑う理由など、なかった。
だが成長するにつれて、理解は変わる。
俺はもともと、知識を積み上げることが好きな人間だった。書物を読み、記録を照らし合わせ、言い伝えの整合を確かめる。そうして考えれば考えるほど、大樹を巡る伝承には説明のつかない歪みがあると気づく。
建国からの年数と、樹木として推定される樹齢が噛み合わない。千年という数字では到底足りない。あれほどの巨木が、その程度の年月でここまで育つとは考えにくい。
ならば答えは単純だ。
後世に整えられた神話だろう。
王国の正統を補強するために年代が整えられ、建国王と聖女が植えたという物語が作られた。そうした例は珍しくない。権威を支える神話は、どの国にもある。
結局のところ、この土地が栄えた理由は別にあるはずだと俺は考えていた。
これほどの霊樹が育つ土地だ。水に恵まれ、気候は穏やかで、土壌も豊かだったのだろう。だから人が集まり、集落が生まれ、やがて国となり都が築かれた。そこへ人々が物語をまとわせ、信仰が心を束ねた。
信じる者が多ければ、それは事実のように振る舞う。
ただそれだけのことだ。
もっとも、この世界に神秘が一切存在しないとまでは言い切れない。
霊質と呼ばれる不可視の元素が、この世界には満ちている。生きとし生けるものは皆それを纏い、とりわけ大樹のような霊樹には膨大な量が蓄えられている。霊樹と呼ばれる所以だ。
死んだものや加工された物にはそれが見られない。
そのため霊質は、血が心臓を巡るように精神を巡り、生命活動を支える源だと多くの学説は説明する。この点については、俺も完全に否定する材料を持っていない。観測されている現象として、生命と霊質に相関があるのは確かだからだ。
そして、その霊質を操り、常人には起こせない現象を引き起こす者たちがいる。異能を持つ者たちだ。
俺自身も、その片鱗は持っている。
だから祭祀官として選ばれた。だが俺に言わせれば、それも個体差の延長にすぎない。足が速い者、耳が良い者、視力に優れた者がいるのと同じだ。その差異が霊質の扱いに現れただけのこと。
神の祝福ではない。体質と才能の問題だ。
だが――大樹は別格だった。
幹は天を衝き、枝は大地を覆い、根は地を貫く。外敵の侵入を阻み、内側の土地を潤す。人々はそれを神の御業と崇めているらしいが、俺にとっては巨大な自然の理にすぎない。
根は水脈を吸い上げ、葉は光を受けて養分を生み、その恵みを大地へ返す。巨大であるがゆえに気流を変え、雨を呼び、地盤を安定させる。
そこに意志はない。
だから祭祀もまた神秘ではなく、庭師の仕事に近いと捉えている。
大樹の根元を整え、害を取り除き、季節ごとに清める。環境を整えれば霊樹は健やかに保たれ、人はその姿に安らぎを見出す。
信仰とは、人心を安定させる仕組みに過ぎない。
奇跡という言葉は便利だ。説明を放棄するための語としては特に。
表向き神秘に見える現象にも、必ず理はある。観測できる因果を積み重ねていけば、いずれ説明は可能になる。
俺が信じているのは、それだけだ。
もちろん祭祀庁に属する以上、そんなことを公然と口にするほど愚かではないが。
――だが最近、その城内の空気が変わっていた。
新たな聖女候補、リシェリアという少女。
その名が、噂とともに至るところで囁かれている。
選定の儀で霊樹が迷いなく彼女を選び、枝を渡した瞬間、光が走ったという。警備兵の一人は、長く患っていた胸の痛みがその場で消えたと証言した。髪は月光を編んだようで、肌は白磁のように艶めき、見る者の理性を奪うほど美しい――そんな話まで出ている。
尾ひれのついた噂は、瞬く間に広がっていった。
さらに話は膨らむ。
怒りで海を荒らし街を呑み込んだ。
触れただけで不治の病を癒した。
祈れば枯れた泉が湧き出した。
酒場でも、役人の控え室でも、貴族の客間でも、信じがたい奇跡譚が語られている。
聞くたびに、眉をひそめてしまった。
どうせ有力家が仕立てた虚飾だ。聖女の選定は表向き霊樹の意志とされているが、実際には祭祀庁と有力家の均衡の上に成り立つ制度でもある。逸話や美貌を飾り立てること自体は珍しくない。奇跡譚など、そのための装飾にすぎないはずだった。
やがて誰かの妻として収まるまでの、つかの間の偶像。
本来なら、それだけで終わる存在だ。
――だというのに。
リシェリアはの噂を語る者たちの声には、虚飾に酔う熱とは違う響きがあった。何かを実際に見た者の、戸惑い混じりの興奮。
尾ひれの多い風説にすぎないはずなのに。
それでも、その名を耳にするたび、胸の奥がわずかにひっかかった。




