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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
1章 黒
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聖女の担当官

カイル視点となります

これは、まだあの銀髪の聖女が登城する三月前のこと。


「カイル・ラス・アーレンス。そなたのもつ大樹の枝が萌芽した。それが証である。貴殿を次代の聖女の補佐として担当官に任命する。よく務められよ」


大祭祀官殿がしわがれた声で読み上げたのは、己の名前だった。


俺は壮麗な大会堂の中で、祭壇の前に一堂に会した官の一人として並んでいた。儀式の場にはいつも独特の緊張が漂うが、今日それはとりわけ薄い。誰もが内心では、自分の名前が呼ばれないことを願っているからだろう。


当然、俺もそうだった。


祭壇の向こうには、他国のような神像も絵姿もない。ただ大きな透明のはめ込み窓があり、その外には都市を覆うほど巨大な霊樹――我が国の信仰の中心である“大樹”の幹が、そのまま壁のように広がっている。


年を経た石のようにも見える樹皮の表面に、時折かすかな光が走るように見える。脈動しているのだ、と人々は言う。生きている大いなる存在だと。

俺には確かめる手段もなければ、否定する根拠もない。ただ、その圧倒的な量感だけは疑いようがなかった。


ここは大樹の前に建てられた祭祀庁の大会堂。祭祀庁の職員が全員集まってもまだ余るほど広い。


年末の降誕節には王族や貴族が列をなし、民衆も参拝のために押し寄せて満員になる場所だが、今は三分の一も埋まっていない。高い天井が余計に広さを強調し、石柱の影が長く床に伸びて、冷えた空気が堂内を満たしていた。


午後の仕事を全職員が放り出して、なぜこんなところに集められているのか。


理由は単純。


『選定の儀式』

来季の聖女の側に侍り、任期中の公務を補佐する担当官を選ぶ儀式がこれから行われるからだ。

体裁は美しいが、実態は今年の犠牲者を決める貧乏くじ。


聖女によって剪定されたとされる大樹の若枝が、整然と並んだ台の上に一人分ずつ用意されている。これを全官が手に取り、芽吹いた者が来年一年――つまり聖女の担当官となる。


曰く、聖女の力と最も波長が合う者が選ばれるのだという。


信じるかどうかは別として、制度としてはよく出来ている。誰かが恣意的に任命より、抽選風の方が文句はつきにくい。

大樹が選んだ、と言ってしまえば、それ以上反論できる者はいないのだから。


俺は枝を受け取りながら、心の中でため息をついた。


『聖女』


民衆にとっては奇跡の象徴であり、祝祭を彩る存在。だが祭祀庁の人間にとっては、神輿に乗せられた制度上の役職に過ぎない。

規定の”癒し”の異能を持つ少女を担ぎ上げ、祭事を整え、国事を円滑に進める。裏側の調整をしているのは俺たち祭祀官で。

大いなる神も人事を超えた奇蹟も存在しない。少なくとも、俺はそう思っている。


カイル・ラス・アーレンス。


先ほど宣告されたこれが、忌々しくも俺の名前だ。

王国の端にわずかな領地を抱える零細貴族の若き当主であり、同時に祭祀庁に仕える一役人。


若くして家督を継いでいるのは、特別な運命でもなんでもない。領地を襲った災害で家族を一度に失い、残ったのが俺だけだったというだけ。

幸いにも領主教育を受け始めていたこともあり、家令や他家の支援により家はどうにか保たれた。

そして領地運営にも目途がつくようになり、成人したのを機会に領地には代官を立て王都に出て、祭祀庁へ仕官するようになった。

祭祀庁は、千年前の建国時から存在する、歴史ある大樹信仰と祭祀を統括する宗教行政機関。

ではあるが同時に異能や大樹信仰の研究に関する知識体系を管理する学府機関でもある。

俺は、領地だけではままならなかった興味分野に、思う存分に没頭できると思って、入庁したのだ。

その代わり任された仕事は一通りこなしてきた。年齢のわりに昇進が早いと言われることもあるが、誇りに思ったことはない。

余った時間を好きに研究するために、与えられた仕事は効率的に片付けてきただけだ。


だからこそ、この役目だけは避けたいと思っていた。


『聖女の担当官』

大樹に選ばれし華の側に侍る……といえば聞こえはいいが、要は世話係なのだから。

知識のない一般の少女の機嫌をとって、何とか笑って儀式を進めてもらうという、そもそもやりたいとは思えない仕事だが、……今年は特に、事情が違う。


三年後には建国千年祭が控えており、次代の聖女はその中心人物になる。前年祭や後年祭までと例年より任期は長く、国事の数も比ではない。


つまり、来季の担当官になれば仕事は数倍に膨れ上がる。


そんな面倒な役目に、わざわざ志願する理由など俺にはなかったはずだ。


……どうせ選ばれる者は決まっている。俺はどこの権威にも属していない鼻つまみ者。

祭祀庁も、貴族社会の例にもれず上に追わす方々はいつでも派閥争いで権威を争っているのだから、事前に話が通っている人間がいるはずだ。


俺はそう高をくくっていた。


なのに。


手にした枝が、かすかに震えた。


白い表皮が淡い緑に染まり、瞬きの間に色が深まる。先端から瑞々しい芽が押し出されるように現れた。


ざわめきが広がった。


隣に立つ者が息を呑む気配。少し離れた場所で小さく上がる声。

他の枝が沈黙したままであることは、見渡すまでもなく分かった。


芽吹いているのは、俺の手の中の枝だけだ。


まるで待っていたかのように。


大祭祀官殿が満足そうに頷いた。


俺はもう一度手元を見下ろした。

細い枝に、確かに若芽がある。柔らかな緑が、押し付けられたようにそこに存在していた。


「……確かに拝命いたしました」


仕方なくそう言って、頭を下げた。


王命――いや、神命に等しいものだ。断ることなどできるはずがない。


顔を伏せながら、頭の中では別の計算が始まっていた。引き継ぎが必要な案件、後回しになる調査、前任者から受け取らねばならない膨大な記録。


これから押し寄せる仕事の山を想像して、胸の奥に煩わしさが積もっていく。


おそらく今、俺の表情はひどく苦々しいものになっている。儀式の場としては相応しくない顔だろう。だが 整える気は起きなかった。


「面倒だ……」


思わず漏れたつぶやきに、隣の同僚がこちらに振り向いて眉をひそめた気配がした。

だが、気にする余裕はなかった。

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