対の駒
登城の三か月ほどに聖女の選定試験がありました。
最終選定まで、リシェリアの評価は決して高くなかった。
書類だけを見れば、かなり不利だった。身寄りはなく、寒村育ちの平民で、難民のような生活をしていた子。教育も礼儀も、他の候補者には大きく劣っている。私が後見していなければ、選定の場に立つことも難しかったはずだ。
けれど、実技が始まった瞬間、すべてが変わった。
癒しの試験で、リシェリアは他の候補者を圧倒した。何人もの負傷者を前にして、まず数人だけを後ろに下げた。後で聞けば、その人たちは治癒で病が悪くなる危険があったらしい。
そして残った者たちの傷を、一度に治した。
古い傷や失われた手足までは戻せない。けれど、新しい傷なら、深いものでも浅いものでも、まるで最初からなかったように消えていた。
あれは、ただ傷を塞ぐ力ではない。相手の身体の状態を見て、治していいものと悪いものを選び、必要な形に戻す力だった。
その時のリシェリアは、普段の彼女とは違っていた。銀の髪が外套の下からこぼれ、瞳はいつもの青ではなく、白く曇った青に変わっていた。細い身体のどこにそんなものがあったのかと思うほどの存在感で、その場の大人たちは誰もすぐには声を出せなかった。
でも、名乗り終えた次の瞬間には、いつものリシェリアに戻っていた。周りの視線に戸惑って、少し身を縮める、私の知っている少女に。
最後に行われた大樹との調和の試験でも、結果は同じだった。私はその場には立ち会えなかったが、大樹の根がリシェリアへ伸び、彼女に触れて、葉の光を残して消えたと聞いた。
大樹も、彼女を選んだ。
その報せを聞いた時、私は思わず拳を握っていた。
――間に合った。
けれど、安心できたのはほんの一瞬だった。
リシェリアの任命が内定してからは、休む間もなく手続きが始まった。身上調査、根回し、配置の調整。どれも慣れた仕事のはずなのに、今回は重みが違った。
リシェリアは、ただ儀式に立つだけの聖女ではない。大樹に直接触れ、癒すことができる。裏を返せば、傷つけることもできる位置に立つ。
それはつまり、国そのものに触れるということだった。
だから、より深い身上調査が入った。
聖女は任期の間、祭祀庁が所有する塔に住む。王宮そのものではないが、同じ城塞の敷地内だ。素行だけでなく、国にとって危険な思想がないか、蔓延する病を持っていないか、持ち込み荷物や身体検査もあわせて、ごく念入りに調べられた。
リシェリア自身には問題はない。私自身が彼女を保護して二年弱。実際に向き合い、教え、磨いてきたから分かっている。扱いきれないほど大きな異能を持っていても、中身は、社会に入ることができなかっただけの、無垢で善良な子だ。
だからこそ、懸念はあった。
本人にそのような意図が一切なくても、誰かが彼女に近づき、利用しようとするかもしれない。なにせ、任期中の聖女の身柄は、後見人に誰が付いていようと祭祀庁の預かりになる。
この国では、王政と祭祀は、重なりながらも決して侵食しないという明確な線引きを持つ。はるか昔、宗教的権威を持つ者が政治を掌握しようとし、国を二分しかけたという黒い歴史があるからだ。
だから今では、大樹を中心に国を営みながらも、王権と祭祀権は明確に分けられている。同じ城塞の中にあっても、互いの領分には容易に踏み込めない。
それはつまり、私の目が届かなくなるということだった。
だから、祭祀庁という組織内で、彼女を守り、導き、託せる存在を探した。
職員の名簿を見ていて、その項目に目が留まったのは偶然ではなかった。
そこには旧知の人間が、聖女の担当官に任命されたと記されていた。祭祀庁の高官であり、隣領アーレンス家の若き当主。
カイル・ラス・アーレンス。
彼は隣領に生まれ、父同士が友人で、幼い頃から顔を知っている。いわゆる私の幼馴染だ。有能だけれど、気難しく、社交嫌いで偏屈。黒の官服以外の姿を誰も見たことがない、などという噂まである。互いの事情もあって、十代半ばにはほとんど疎遠になっていたから、そんな話は私も後から知った。
だが、それがよかった。
現在の彼は、どんな派閥にも属していないと調べがついた。ただただ、彼の中の合理性に従って動いている。そして何より、自分の立場を理解している。祭祀庁の人間としての役割。この国の現状。そのどちらも見誤らない。
彼なら、祭祀庁の人間でありながら、祭祀庁だけの論理では動かない。
私は直ちに彼へ面会を申請し、リシェリアのことを頼むことにした。
ただし、それで全てが足りるわけではない。
カイルが守れる範囲には限界がある。リシェリアに必要なのは、正しさだけではない。知らない場所で、知らない言葉に囲まれたとき、振り返ればそこにいる誰かが必要だった。
彼女は大きな異能を持っていても、ただのか細い女の子なのだ。
そしてカイルは文官だ。暴力や襲撃といった物理的な保護は期待できない。
だから、もう一人、彼女のそばに置くことにした。
セラン。
彼は、リシェリアと荒地で出会った時に、そばにいたもう一人の子供だ。外から与えた関係ではなく、彼女自身が持ち込んだ縁。彼を放逐しないことが、リシェリアが聖女となる約束でもあった。
彼はリシェリアと同じように学がなく、作法も宮廷の常識もなっていない、赤い髪の野生児だった。取り立てるような異能はない。少なくとも、祭祀庁が欲しがる種類の力は持っていない。本来、王都が招き入れる理由もない。
ただ一つ、彼には実績がある。――リシェリアの命を守るためだけに動いてきた。
だから私は判断した。リシェリアの私的な警護と、心の拠り所はセランに託すことにした。
リシェリアに施した教育とは別に、セランには兵士として生きられる道を与えた。戦時ではない今の我が国では、兵士も試験登用制を取っている。出世すれば平民でも爵位を望めるため、応募はそれなりに多い。セランをそれに参加させ、無事今期入隊を果たした。
試験自体には介入できなかった。けれど、入隊さえできれば、軍部は私の裁量が利く。
さっそく配置に手を加え、登城後のリシェリアのことを頼むと伝えた。
この時の私はまだ知らない。
この二人が、のちに「聖女の赤と黒」と呼ばれ、国を騒がす事態になるということを。
旧2話を圧縮して統合しました。




