仕事終わりの倦怠感
俺は控えの前室で、濡れたリシェリアの体を静かに横たえた。冷えきった石床に直に触れぬよう、侍女たちが素早く敷物を整えていく。ここでの出来事は外へ出すことができない。語る言葉を持っていない、専門の侍女たちだけが、この部屋の一切を仕切っている。
彼女たちに着替えや介抱を任せ、俺自身も衣を改めた。濡れた布が肌に貼りつく感触をようやく外すと、深い安堵と同時に胸の疲労が噴き出す。迎えが来るのを待つ間、石室の壁の向こうで知覚に特化した専門官が事の経過を見届けているのを意識する。もし積み残しがあれば知らせが届く手筈だった。
もしまだ。対処しなければならない箇所があれば、リシェリアを起こして再び降りなければならない。でも使い果たした彼女に無理させたくはない。ないことをひとり願った。
そして、そんなものはなかった。――あのリシェリアの仕事だ。彼女が果たしてくれていた。
完遂の報せを聞き、庁内に戻りようやく空腹を満たすことができた。珍しく兵士食堂に腰を下ろし、肉ばかりを選んで皿を埋める。普段の俺なら手を伸ばさない料理だが、体がそれを欲していた。肉体派の兵たちの騒めきに交じって食らうのも今は悪くない気がした。一人でいると、あの光景を思い出してしまう。
リシェリアはそのまま眠り続けている。
目覚めた時に食べられるように、以前からできないでいた桃の差し入れを彼女の部屋へ届けるように指示をした。せめて甘い果実が、大仕事の疲労を和らげてくれることを願った。
二枚目の皿を空にした折、アスティが報告書を手に姿を現した。
兵士食堂に似つかわしくない文書の束を抱え、視線はまっすぐこちらへ。開けるには不適切な場所だとわかっているのか、一言だけ零した。
「……完璧だったわ」
その声音には、喜びよりも困惑に近い響きがあった。
「だろう」
俺は即答する。見ていたからわかる。
「今回最初に見た場所も。途中で発覚した箇所も。……それ以外も」
説明が必要そうだと察する。
「……これ包んでもらうから。執務室で続きを話そう」
とりかかろうとしていた三枚目の皿をまとめ、持ち帰ることにした。
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場所を移し、使用人を下がらせる。ようやく人払いの済んだ空間で問いかけた。
「どこまで視えてたんだ」
「全部らしいけど、多分に記録者の主観だからね。見た感じ、最初のはほんの数秒。次のを見つけてから五分くらい? 深いところを細かくやってたみたいね。そのあとなんか小石みたいのを弾いたら、真っ白。後で天蓋を見たら、表から見えてた急ぐ必要のない補修も……細かい異変や病相なんか全部、全面なくなってたわ。天蓋だけじゃなく、床や壁を覆ってる根も。めちゃくちゃに塗料をぶちまけたみたいにね」
俺は深く頷く。
「そうだな。間違いなく合ってるよ……リシェリアは力が強すぎる。制御は下手だし無駄が多い。途中は俺が手伝ったが、最後は……羽虫を叩くのが面倒になって、癇癪で力任せに押し流したようなものだった」
神妙に耳を傾けるアスティへ、見たままを正確に伝える。
「まるで出鱈目だ。彼女に祭器なんていらない。禊も形式も。普通に生きてる俺たちが馬鹿らしいほどに、格が違う」
そして脳裏に焼き付いて離れない光景――誤って覗いた彼女の奥底。海辺に立つ少女。大きな波を操るような姿。顔はリシェリアでありながら、魂は異質だった。あれは明らかに、彼女が人ならざるものと重なった色。
あれが彼女の『神がかり』。じゃあ――あの中にいたのは。
俺の胸に生じた迷いを察したのか、アスティが心配そうに口を開いた。
「そんなことないでしょ。あんたが教えてるんだから」
やけになどなっていない。むしろ逆だ。
「もちろんそうだ。足りないものが、彼女にはたくさんある。そもそも、多分。異能を恐れているから、あんなに下手なんだ。何だって知らなければうまく使えない。理解、制御、知識、経験……それが重なり合って、はじめて完成するんだ。そしてそれは全部、俺が与えられる」
胸を張って言える。俺は必要な存在だと。
「完璧になるのは、これからだ」




