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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
3章 交錯
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雲をつかむ手

『手を触れた相手に悪意があるかどうかわかる』


リシェリアの発した言葉の内容に胸が跳ね上がる。


本当かどうかわからない。聞いたこともない未知の異能だ。……それでも、リシェリアなら、出来てしまいそうな気がする。

心中では恐怖にも似たざわめきが広がったが、怯むわけにはいかなかった。


この下心にも似た恋心で差し伸べた手が、すでに見抜かれているのなら――逃げても無駄だ。手を離すことはしなかった。


「ふふ、大丈夫、冗談みたいなものです。もちろん、何を考えているかなんて、全然わからないです。ただ、強い……澄み切った悪意みたいなものは伝わるというか……ただなんとなく嫌な予感がするんです。近寄りたくないような」


本当に?

その言い方でも冗談なのかわからなかった。今も、俺の出方をみているのか、今からそんな気持ちを読み取ろうとしているのか。


沈黙。


判決を待つ囚人のような気持ちで次の言葉を待った。



「そういう時は、簡単です」

彼女はなにかを思い出すように、目を細めた。

「それ以上は近寄りません。それが出来ない時は、じっとして、過ぎ去るのを待ちます」


「……野生の動物みたいだね」

思わず口にすると、脳裏に白猫が浮かんだ。

雪のような毛並み、青い瞳。彼女に似た気高さと儚さを持った猫。


リシェリアもふわりと笑った。その笑みに救われた気がした。

そして、まったく動かさなかった俺の手を見下ろし、確かめるように指先を見つめた。


「さほどでなくても、何か邪なお考えがある人は……この話をすればまず手を離します」


その言葉に、深く安堵した。

正解を選べた、と胸の奥で息をつく。


だが、リシェリアは続けた。


「善意の方が、難しいです」


青の瞳に影を宿す。

普通の人間は、思惑が混ざり合っている。

けれど純粋すぎる善意は、時に最も厄介だ。

本人が良いと信じることが、必ずしも彼女にとって良いとは限らない。

そのすれ違いが生む反転は、彼女を幾度も苦しめてきたのだろう。


リシェリアは柔らかく苦笑した。


「カイルのこの手は、いろいろ混ざっているから……わかりません。けど、大丈夫そうですね?」


わずかな安堵と冗談めいた調子。

それでも、そこに宿るのは確かな受け入れだった。


「そういう機微や、社会のこと。私の知らないこと、この力のことを……わかりたいから、多分。私はここにいるんです」


静かにそう締めくくった。


……ああ、そうか。

 

リシェリアは、わからないから受け入れるしかなかったのだ。

拒めば壊してしまう恐怖に怯えて、すべてを抱え込んできた。


――なんて優しいのだろう。


その優しさに縛られていることに、胸が痛んだ。

時に笑い、時には嫌がり、時には怒る――そんな自由を与えたい。


「……俺が、君の実験台になる。一緒に試していこう」


自分でも驚くほどはっきりと口にしていた。

包み込んだリシェリアの手に、自然と力がこもる。


「俺には、どんな反応を返しても構わない。それを受け入れる。だから……俺にも素直な気持ちを教えてほしい。……例えば、本当は今みたいに急に手を握られるのは嫌だとか」


言いながら、自分の行動を振り返ると、途端に顔が熱くなる。

こっ恥ずかしい。理屈を並べて誤魔化しているだけに見えやしないか、と。


リシェリアは俺の視線を真正面から受け止めて、小さく首を振った。


「……別に、嫌じゃないですよ」


その言葉に胸の奥がじんと温まる。

許された――それだけで安堵する。


……これで離さなくて済む。


この雲のように掴みどころのない彼女の感情を捕まえるには、せめて物理的に繋ぎ留めていたい。


「リシェリア。君が知りたいこと、わかりたいことが、わかるようになるまで……俺は最後まで付き合う。これも……指導係の仕事だから」


捲し立てるように言い切ると、リシェリアは驚いたように瞬きをした。

その後、ゆっくりと頷き――


「そんなこと言われたのは初めてかもしれません。よろしくお願いします」


静かな声に、確かな感情の響きが混じっていた。


そして彼女の顔に、ふと理解の色が浮かぶ。


「ふふふ……なんだか今が初めましてみたいですね。……あ、こういうのが、将来の約束というものでしょうか?」


はにかむように微笑むリシェリア。

その無邪気な言葉に、胸の奥を撃ち抜かれたようだった。


俺は耐えていたが、とうとう目を逸らす。

本当にわからないで言っているのなら、タチが悪い。


赤面を隠すように俯きながら、心臓がやけに騒がしいのを必死で抑え込んだ。

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