夜会の反響
ただ経験のためだけの社交デビュー――それ以上の意味を持たせるつもりはなかった。
ところが現実は想定を超えていた。
どこから流れ出したのか、リシェリアの登壇は瞬く間に貴族たちの噂にのぼり、まるで火が点いたように広まっていった。
リシェリアはまだ叙任前、披露目すらまだの見習いでしかないというのに、「今を逃せば乗り遅れる」とばかりに、社交の誘いが雪崩れ込んでくる。
これほどの勢いになるとは、夢にも思わなかった。
物珍しさ、噂の真偽、美貌への渇望。
金の匂い、縁談の打診、媚びを売り付けようとする者。
宮廷への足掛かりを求める輩――。
様々な思惑が、俺の管轄である執務室へと、便箋の山となって押し寄せていた。
机に積み上がった招待状に目を通しながら思う。
全く碌なものがない。
リシェリアが眼を通す価値のあるものをより分ける。残るのは、ほんの僅か。
本来、彼女に引き合わせるには祭祀や慰問くらいで。あとはせいぜい主要な王侯貴族との関わりくらいだ。
執務机の隣にリシェリアを座らせ、選別した中から返答が必要なものを渡す。
文面は定型の挨拶をしたため、彼女にしてもらうのは署名だけだった。
だが、署名の数があまりに少ないせいで、リシェリアは暇を持て余しているらしい。
俺が不要として脇に積み上げた山を、興味深そうに手に取り、紙をめくっている。
「こういうのは、聖女には不要なんですか?」
問いかける声は淡々としていたが、好奇心を隠し切れていない。
「不要だね」
処理を止めずに答える。
「そもそも、祭祀庁の聖女としてではなく、ただの見世物としての興味で出してきてるのがほとんどだ」
口に出すのはそれだけに努めた。
けれども、内心ではもっと強い感情が渦巻いている。
知っている――甘言を弄し、浮名を流す若い貴族の名、老獪で好色な老人の顔。
気鋭を気取った芸術家、信仰にかこつけて近づく敬虔そうな信徒、そして退屈を紛らわす裕福な好事家。
そんな連中ばかりで、縁を繋ぎたいとも思わないし、彼女を晒したくもない。
リシェリアは山の中から一枚を抜き出し、装飾過多な筆致に視線を走らせていた。
俺が真っ先に弾いた、甘ったるい挨拶、見当違いな社交の誘い、そして――詩的な愛の言葉の手紙だった。
「……面白いですね。ほとんどの人はお会いしたこともないのに」
彼女は小さく笑った。
目が汚れる。有無を言わさず即座に没収した。
「これから叙任され、正式に社交界に顔を出せば、……もっと増える」
抑えた声で告げる。
「祭祀や善行を口実に、君を利用しようとする者ばかりだ」
リシェリアは静かに聞いていた。
青い瞳に波立つものを隠して。
「何も心配しないでいい。平時は俺が、遮断しておくから」
安心させるように断言した。
……そして。意を決したように深く息をつき、一拍置いて、俺はリシェリアに手を伸ばした。
何気なく、紙を押さえるふりで、意識的にリシェリアの指先に触れる。
「だけど……俺がそばにいない時は」
声を落とす。滲む感情はわずかだけになるように注意する。
「約束してほしい。決して、誰の手も取らないと」
触れた指先に、わずかに力をこめる。
内心では――ただ一つの願いが脈打っていた。
――リシェリアには、俺の手だけを取ってほしい。
「気を付けますね」
なのに、リシェリアは温度を持たぬまま、ただストンと頷いた。
その無風のような反応に、胸の奥がひやりと傷つく。
――ええい。
意を決し、指先に迷いを残さぬよう彼女の手を握った。
この人は、普段からあまりにも受け入れすぎる。
それは経験の浅さゆえか、教育されていないからか。あるいは、ただそういう生まれつきの性なのか。
どれもあり得る気がして、俺の思案は形を持たず揺らいでいた。
……実際に踏み込むことでしか確かめられない。
腹を決め、手を包み込む。
リシェリアは一瞥したきり、振り払うでもなく視線を合わせてきた。恥じらいも、動揺も、そこにはない。
「ええと。要は……私に悪いことをなさりたい人を、避けるということですね」
見透かされた?
淡々とした口調に、心臓が止まりそうになった。
……負けるか。
俺は胸を押さえ込み、さも心配する風を装って問いかける。
「今までそういう時は、どうしてた?」
リシェリアはしばし考え、ふと目を細める。
「そうですね……実は、お話ししていませんでしたが、触れることで強い感情、害意のようなものはわかります」
彼女の視線が、ちらと俺の手と顔を往復した。
……なんだって?




