聖女の役目と夜会の入り口
リシェリアが口に出した、――そもそも聖女が着飾る必要があるのか。
「それは……」
内心は本当そうだと思う。リシェリアが違和感に思った事は、まさに俺も思っていた事だったから。その意見を肯定したい気持ちでいっぱいだ。国庫の無駄とすら思う。
……けれども。そんな自分の気持ちを飲み込んで、俺は言う。
「……それも、聖女として必要とされていることだ」
「必要なこと」
リシェリアは真面目に、見つめ返してくる。
「今夜の目標は社交の場に臆せず、振る舞えるよう慣れること。だがそれは目的じゃない。徹頭徹尾、俺たちが目指しているのは、リシェリアが聖女になることだ」
「……はい」
要領を得ていない不安げな頷き。安心させるように、柔らかく重ねていく。
「この国では一般的に、聖女というのは偶像だ。国家行事で前に立って、儀式で奇跡を行う。そうやって人々に希望や安心や未来を与える役目になる。それには、人々にとって理解しやすい装いが必要になる。今夜の相手にとっては、これがそれに当たる」
「これが……」
リシェリアが自らの装いをもう一度見下ろした瞬間に、馬の嘶きと共に馬車が止まる。
「到着いたしました」
ハッと顔を挙げると馬車は市街地の一角、ヴァロワ子爵の邸宅に停まっていた。煌びやかな灯火が玄関口を照らし、門前に立つ従者たちの影が長く地に伸びている。
「講義の続きはまたにしよう。」
俺は先に降り、背筋を伸ばす。差し出した腕に、彼女の手がそっと添えられる。細く柔らかなその感触が、袖越しにも伝わってきて、胸にひそかな高揚が広がった。
夜の空気はひんやりとしていた。けれど、その瞬間だけ、肌に火照りが宿ったように感じられた。
石畳を踏みしめて邸宅に足を踏み入れると、そこには別世界のような光景が広がっていた。天井は高く、無数の燭台が煌々と灯りを投げかけ、広間全体を金と紅の彩りで包んでいる。壁には絵画や織物が飾られ、床は磨き上げられた石の上に絢爛な絨毯が敷かれ、夜会の華やかさを余すところなく演出していた。ふと香の匂いが漂い、目に見えぬほどの気遣いが場を満たしていることを感じさせる。
「ようこそ、お越しくださいました。アーレンス殿。リシェリア様」
ヴァロワ子爵は、すぐに俺たちを見つけ出した。壮年に差し掛かった年齢に似合わぬほど、硬さのない柔和な笑みを浮かべ、誠実な声音で言葉をかけてきた。その眼差しには虚飾が少なく、名ばかりの慈善ではなく、本気で人を支えようとする気持ちが宿っていた。噂通り、慈善に心を砕く男らしい。かつて軍官であり、アスティが士官時代に支援を受けたという話も、彼の経歴と人柄に説得力を与えていた。
「快くお招きいただき誠に感謝致します。公女殿下の恩師とは言え、急なお願いとなり」
「とんでもない、とんでもない。今宵は、稀代のお方のご尊顔を見れるだけで皆喜びましょう。ぜひ気を張ることなくお過ごしください。アストリット……いえ、もう彼女はとっくに部下ではありませんでしたな。公女殿下から、お話はかねがね聞いております。……もう既に中に彼女もいらしておいでです。」
簡潔に、それでいて温かく。大仰な賛辞もなく、静かに場を収める言葉に、自然とこちらも背筋が正される。
「ご機嫌よう、リシェリア。カイル」
控えの間で合流したアスティは普段と違い夜会服を纏っていた。華やかさに寄るのではなく、むしろ凛とした落ち着きを基調にした装いで、その引き締まった雰囲気がよく似合っていた。普段の将官服は男装に近く、私的な平服も婦人らしさを極力削ぎ落としているから、こうして正装を纏った姿は稀少で、かえって新鮮だった。
「そういえばアスティも一応淑女だったか。……今回は手配ありがとう。助かった」
率直にそう口にした。
「どういう意味? 褒めているつもりなら言っておくけど、そんな失礼な物言いをするのはあなただけよ」
すぐさま鋭い切り返しが返ってくる。まるで反射のように息を呑んだアスティは、慌ててリシェリアに向き直り、矛先を変えた。
「まさか、リシェリアにもそんな態度じゃないでしょうね。私が手配した夜会服! こんなに可憐で愛らしいのに」
リシェリアは少し困ったように、それでも落ち着いた微笑みで受け流した。彼女は人前で動揺を見せまいとする分、こういう場ではいっそう毅然として見える。
「勿論。そんなことはないですよ」
「当たり前だ。淑女には最上の礼で応じるのが紳士だ」
先ほどの無様を思い出しながらも、自分でも驚くほど全力でとぼけておく。
次回からは、スマートにリシェリアの装いを褒め、手の甲に唇を寄せて。
……余裕を持って介添してみせる。




