集光
交代式前後、最初の”赤と黒”騒動の時系列での裏側です。
やるべきことが明確になってからは、自分でも驚くほど早く動けた。
父や長兄が得ている情報のすべてを僕に教えてくれるわけではない。だから、自分でも拾えるものを拾う必要があった。
まずは、シルヴィナス側の情報を集めなければならない。
僕個人に仕える従者や、親しくしていた使用人へ声をかけた。彼らの親族、取引のある商人、国境を往来する御者や旅人。家がすでに持っている情報網へ直接命じる権限はなかったが、僕の立場で尋ねられる範囲なら、細い伝手はいくらでもあった。
そうして、報告は少しずつ集まってきた。
銀髪の聖女候補は平民で、
現在は聖女候補としてメイスン家の庇護下に置かれ、教育を受けている途中。
後見人はクラウディア・メイスン。当代王の姉で、女性でありながら領政や外交にも手腕を振るう、名の知れた野心家だ。
その娘アストリットが少女の実質的な保護者となり、公の場では彼女を引率している。
ずいぶん政治の匂いが濃い。
けれど、悪いことばかりではなかった。
政治的な枠組みの中へ囲われているなら、素性の知れない男が簡単に近づくことはできない。彼女が誰かに奪われるまでには、まだ時間がある。
猶予がある。
そう思えただけで、胸の奥に張りついていた焦りが、ほんの少しだけ薄れた。
ただ待っているわけにはいかなかった。
初めは、許しを得ずにでも国境を越えるつもりだった。
けれど、身分も目的も隠したまま長く滞在するには、正規の理由が必要になる。会うだけでは足りない。彼女の近くへ入り込み、白銀の姫を迎えに行く男が、凡庸であっていいはずがない。彼女が僕を見た時、この人こそ自分にふさわしいと思ってくれなければならない。
そう考えれば、選ぶべき道は自然と決まった。
異能の鍛錬を本格的に始めた。
学問にも力を入れた。王宮学舎で行われている講義の記録まで取り寄せ、これまでなら必要ないと流していた分野にも手を伸ばした。
以前の僕は、周囲に褒められる程度の優等生であれば十分だと思っていた。誰よりも美しく、異能もあり、家の期待まで背負っている。少しくらい力を抜いても、僕の価値が揺らぐことはないと思っていたのだ。
けれど、それでは足りない。
理由は明確だった。
シルヴィナス――大樹の国。
王家の主導で異能研究が進み、他国の者にも比較的広く学びの門を開いている。ネーヴェリアとの関係も悪くない。
僕は父と家臣たちの前で申し出た。
「王都シルヴァルドへ遊学したいのです。異能について、より体系的に学びたいと思っています」
建前としては十分だった。
本人が真面目に学びたいと願っているのだ。政治的にも文化的にも、強く反対する理由はない。アドラー家の後継候補が隣国で研鑽を積むとなれば、家門の名誉にもなる。
父たちは、僕の願いを成長の証として受け取った。
まさか、その先に一人の少女しか見ていないとは思わなかっただろう。
すべては、ただ一つの目的のためだった。
劇的に出会い、運命に導かれたように恋に落ち、最後には互いを選び合う。
そんな未来を、僕自身の手でつかむため。
ただし、僕の髪も、どこへ行っても目立ってしまう。
白く見える髪は、隠そうとして隠せるものではない。他国には秘されているとはいえ、ネーヴェリアに通じる者なら、クレーデルの血を疑うだろう。
だから染めた。
我が国には、特産の鉱物を原料とした染料がある。淡い髪や白髪にも色を定着させられるものだ。それを使って白さを沈め、どこにでもいる青年に見える明るい茶色へ変えた。
鏡に映った自分は、驚くほど平凡に近づいていた。
もちろん、顔立ちまで変わるわけではない。それでも髪の印象が薄まるだけで、人の目はずいぶん僕を素通りするようになった。
少し惜しい気もした。
せっかく授かった白銀に近い色を隠すのだから。
けれど今は、見つからない方が都合がいい。
王都シルヴァルドへ渡ってからは、何よりもまず馴染むことを優先した。
大樹の国の空気を知り、学問や制度を学び、異能の扱われ方を観察する。祭祀庁と王家の関係、貴族たちの勢力、街を行き交う人と物の流れ。
知ることのできるものは、すべて吸収した。
いつか利用するために。
同時に、聖女候補の来歴も探った。
祭祀庁が伏せている経歴。
メイスン家に保護される以前の生活。
各地に残された放浪者の噂。
銀髪の少女を見たという、名もない人々の記憶。
年寄りの昔話、行商人が立ち寄った村の噂、古い宿帳に残る曖昧な記載。銀髪らしい少女を見たという話を拾い集めたが、それがすべてリシェリア本人を指す保証はなかった。
散らばった欠片を並べても、一本の道にはならない。
ただ、彼女の過去に、長い放浪と意図的に消された空白があることだけは確かに思えた。
そうしている間にも、彼女は聖女への階段を上っていった。
候補から、内定へ。
内定から、公のお披露目へ。
式典の準備のため、彼女が祭祀庁へ入るという情報をつかんだ日、僕は人混みの奥に紛れて待った。
やがて、護衛と従者に囲まれた一団が現れた。
その中心にいた少女の横顔を見た瞬間、すべてが静止した気がした。
そこに、僕の願った本物が、儀礼衣をまとい、守られるように歩いている。
「本当に。本当に……白い。……白銀だ」
光を受けた髪は、雪よりも白く、細い銀糸を束ねたように揺れていた。
息ができなくなった。
目の奥が熱くなり、気づいた時に視界が歪んでいた。
僕がずっと探していた、白銀の姫。
伯母様の部屋で見た肖像画よりも鮮烈に、ずっと生き生きとして、胸の深いところへ入り込んできた。
雪の祝福。冷たい月の光。
けれど、絵の中の姫とは違って、彼女は息をしていた。歩き、瞬きをし、わずかに伏せた目で微笑んで周囲を見ていた。
その視線が、ほんの一瞬だけこちらへ流れた。
僕にはにかんだ。
そう思った。思えてしまった。
彼女は僕の初恋の続きであり、僕が白銀に近い髪を持って生まれた理由そのものだった。
彼女はリシェリア。家名はない。
平民で、来歴も定かではない。
それは、僕にとって良い情報だった。
どの家にも属していないという空白は、どこかで失われたクレーデルの姫である可能性を強めてくれる。身元を隠され、流浪の末に生き延び、ようやくメイスン家に拾われたと考えれば、すべての辻褄が合う。
何より、彼女は伯母様の姉――最後の白銀の姫に、恐ろしいほどよく似ていた。
伯母様は、お姉様が若くして亡くなったとしか教えてくれなかった。
けれど、あの後おじい様へ尋ねた時、遺体は見つかっていないと聞いた。残されていたのは、遺書と持ち物、そして切り落とされた白銀の髪だけだったという。
それだけで、本当に死んだと言い切れるのだろうか。
どこかへ逃れ、生き延びていたのなら。そこで密かに娘を産んでいたのなら。
リシェリアの来歴がどこにも残っていないことも、最後の白銀の姫にあれほど似ていることも、すべて説明できる。
伯母様が隠している過去を、もっと詳しく探らなければならない。
僕はすぐに動いた。
祭祀庁への面談を、思いつく限りの名目で申請した。
学術上の質問。
異能についての相談。
治癒を必要とする怪我。
けれど、どれも応答はなかった。
生き別れた家族かもしれないのだという、僕にとっては偽りのない訴えまで出した。
返事すらなく、門前で退けられた。
祭祀庁が彼女を囲い続けるなら、まず、その立場から解放してやればいい。
リシェリアを聖女見習いから外させれば、もっと近づきやすくなる。これまで集めた彼女の過去をもとに、聖女として不適格だと訴える糾弾文まで書いた。
二度、三度、四度。
送っても、何も返ってこなかった。
無視された。
夜通し歯を食いしばり、眠れないまま朝を迎えたこともある。
何より腹立たしいのは、リシェリアがほとんど姿を見せないことだった。
内定したとはいえ、正式の就任前だと、見習い聖女の予定は明かされない。
外遊や慰問、地方の祭儀へ出るらしいと聞いては、すぐに現地まで向かったこともある。
その場に居合わせられたなら、きっと僕は彼女の手を取った。
驚かせないよう優しく声をかけて、僕が何者なのかを伝えた。そして、もう大丈夫だと教えてあげたはずだ。
けれど、いつも僕が知るのは終わった後だった。
彼女の名と、姿を見た者たちの噂だけが風のように残り、実物には触れられない。
正式な就任となる降誕祭が過ぎれば、公務は増える。
だけど、聖女としての行動予定も、今よりは明らかになる。
それを待つことは出来る。
だけど、遠くから姿を見かけるだけで満足できるはずがなかった。
もっと近くで見たい。声を聞きたい。
同じ空気を吸い、僕の存在を知ってほしい。
そして、必ず手に入れる。
そのために、ここまで来たのだから。
『聖女蒐集会』という集まりを知ったのも、その頃だった。
大樹の信徒の中でも、聖女に希望を見出し追っている匿名の有志の集まりだ。
情報を集め、聖女の訪問先に駆け付けて、姿を見て声援をあげる。
絵姿を描かせ、互いに語り合う。聖女の関わる慈善活動や寄付に真っ先に参じる。
……崇めているつもりなのだろうが、僕には頭のおかしい集団にしか見えなかった。
特に、僕のリシェリアを鑑賞物のように扱う感性は不愉快だった。
けれど、使えるものは使えばいい。参加者の中には王城勤務者や実際に触れ合う職務の者すらいた。
その情報が集まる速さや精度も、並の情報屋よりも上だった。
そこで、何度も耳にする名前があった。
”赤と黒”。
リシェリアの近くにいる二人の男をまとめて呼ぶ、くだらない呼び名。
赤のセラン。
赤い髪の、リシェリアの幼馴染。
放浪の間、命を賭して彼女を守り、誰にも自由を奪わせなかった男。感情の強さだけは本物らしく、白銀の光に焦がされるように、彼女を恋い慕っていると囁かれていた。
黒のカイル。
黒い衣のリシェリアの担当官。
聖女としての在り方を教え、荒れた原石だった彼女を磨き上げた男。誰より近くで仕えながら、職務の境界を越えて恋情を抱いているという。
リシェリアは僕のものなのに。
二人とも恥も外聞もなく彼女へ恋をしている。
そんな二人が拮抗し、お互いをそれ以上寄せないように牽制している、なんて話だった。
この話は、当時の蒐集会でももちきりの話題だった。
どちらと並ぶのが美しいかと、意見を戦わす女信者たち。
清廉であるべき聖女に、異性を侍らすのは相応しくないと宣う老人。
自分ならこうしたい、と夢を語る男信者。
どいつもこいつも、なんて、不快なんだろう。
……もっとも、彼女を支えてきた功績まで否定するつもりはない。
僕が迎えに行くまで、代わりに守っていたのだと考えれば、ぎりぎりのみ込むことが出来る。
下僕として尽くした報酬として、彼女の近くにいた思い出くらいは持たせてやってもいい。
けれど、それ以上は駄目だ。僕から彼女を奪うことだけは、決して許さない。
ただ、調べていくうちに気づいたこともあった。
二人が争ったまま膠着しているのは、案外悪くないと思えた。
互いに牽制し合い、どちらも決定的な一歩を踏み出せていない。その状態が続く限り、他の男が入り込む隙もない。
その状況は利用できる。
依然として、リシェリアへの経路は見つけられていなかった。
遊学生という立場で、王城へのつてを作るのは難しい。
たとえ王城へ入る機会を得ても、彼女には常に警護がつき、近づける者は限られて、外から正面を破るのは難しい。ならば、内側へ潜り込むしかない。
けれど、そのためにはまだ準備が必要だった。
だから、利用すればいい。
赤と黒の噂。その小さな火種へ少しずつ薪を足し、二人の争いを長引かせる。二人を争わせておけば、彼女は守られる。
僕が迎えに行ける、その時まで。
そう考えると、不快だった噂話も、急に使い道のあるものに見えてきた。
膠着は、僕のための盾になる。
遊学の間には、僕自身の異能についても新しい発見があった。
僕の力は、光を屈折させ、姿の見え方を歪めることに長けていた。
輪郭を背景へ溶かし、髪や瞳の色を曇らせ、視線を別の光や動きへ逸らす。完全に姿を消せるわけではないが、人の記憶に残りにくくすることはできる。
ただし、隠せるのは視覚だけだった。
匂いも、体温も、足音も消せない。静かな場所や土の上では痕跡を拾われやすいが、人と匂いの溢れる街中なら問題はなかった。雑踏へ紛れれば、僕一人を見つけ出すことは難しい。
それで十分だった。
染めた髪へ異能を重ねれば、僕はただ明るい髪と瞳を持つ青年にしか見えない。僕を知る者でなければ、わざわざ目を留めることもなかった。
父へ遊学の成果として報告すると、彼は大いに喜んだ。
「それは国家にとって大きな力となる。よく見極めた。アルノルト」
珍しく、心から褒めてくれた。誇らしげな声を聞くと、胸の奥がわずかに温かくなった。
父も僕の価値を分かってくれている。
ただし、本当の目的について話す必要はなかった。
僕が聖女の情報を集め続け、蒐集会にまで入り込み、彼女の過去を追っていると知れば、父は余計な心配をするだろう。
不安にさせる必要はない。
かといって、”白銀狂い”なんてからかわれる僕が、銀髪の聖女に突然興味を失えば、それも不自然に見える。
だから父へは、適度に情報を上げ続けた。
「やはり聖女見習いは、白銀に近いようですね。後見しているメイスン家公女が、すごく寵愛しているなんて噂が持ち切りです。僕もぜひ会ってみたいものですが、なかなかお目見えできなくて、気落ちしています」
あくまで、白銀への憧れを隠せない無邪気な息子を装った。
本当に白銀の子で、僕一人で手も足も出せない時には、国家として介入させることもできる。
その際、最初に彼女を発見し、継続して報告していたアドラー家が、縁談における優先権を得てもらいたい。
父へ継続して判断材料を与え、いずれ家として動くための布石を打っておくのは悪くない。
異能、情報、家、リシェリアを取り巻く状況さえも。
すべてが、僕のために動いている。
そうとしか思えなかった。
ep.75 で寄せられていた市民からの手紙の一部はアルノルトの出したものでした




