捥がれる驕り
夏休暇から戻った後になります
ウォーレスやレフォードに言われたことは、結局のところ、かなり役に立った。
以前の俺は、仕事でもない相手との会話に意味を見いだせなかった。用件があるなら聞く。危険があるなら対処する。必要なことが済めば、それ以上そこに留まる理由はない。相手の機嫌を読み、言葉を選び、興味の薄い話へ相槌を打つなど、時間と神経を浪費するだけだと思っていた。
だが、遊戯だと思えば少しは違った。
相手が何を話したがっているのかを考え、返す言葉を選び、こちらへどの程度の好意や警戒を向けているかを見る。面倒であることに変わりはない。それでも、最初から切り捨てて悪意や敵意を持たれるより、幾らか気を遣って穏便に済ませた方が、後々の手間は確実に少なくなる。
愛想を振りまく必要はない。相手の話を聞き、必要なだけ返す。それだけでも、以前より物事が滑らかに進むようになった。
特に、俺と同じくらいの年頃の女との関わりからは、リシェとの付き合いに必要な情報が手に入った。
服や雑貨、髪や肌の手入れに使うもの。飯屋や甘味の店。人目を避けて休める場所や、王都の女たちが休日に見て回る通り。俺が知らなかった、普通の女が普通に楽しむ生活の見本が、そこには幾らでもあった。
今のリシェには、アスティやサフィアがいる。二人が予定を整え、服を選び、王都で暮らすために必要なものを手配してくれる。俺が何も知らなくても、すぐに困ることはない。
だが、いつまでもあの庇護の中にいるわけではない。
リシェが自分で生活を選ぶようになった時、俺だけが何も知らず、何も用意できないままではいたくなかった。身分のある女としてではなく、同じ年頃の一人の女として欲しがるものや、楽しめる場所を見つけられるようにならなければならない。
誰かとの会話で知ったことを覚え、次に会った相手へ試す。うまくいけば、そこからまた別の話が返ってくる。時には私的な時間にも付き合い、酒を飲み、店を回り、街を歩いた。
それはいつしか、リシェに会えない時間を埋める項目の一つになっていた。
リシェが外遊へ出ている日。公務で一日拘束される日。俺が近くへ寄る理由のない日。
そういう時間だけ、他の誰かと過ごす。
「髪、艶がいいな」
何気なく言えば、向かいにいた女はぱっと顔を明るくした。
「そうなの、ありがとう。嬉しいな。つやつやでしょ? 新しく出た髪油なの。週に一度塗るといいんだって。爪にも使えるのよ。種類があってね、薔薇と果実と、それから薬草の香りもあるの」
言葉を一つ投げただけで、頼んでもいないところまで話が広がっていく。
どこで売っているのか。値段はいくらか。髪質によって合うものが違うのか。香りはどの程度残るのか。
リシェには、どれが合うだろう。
薔薇は少し強すぎるかもしれない。果実なら甘すぎる。薬草の方が、あいつの髪の匂いを邪魔しないかもしれない。
「どこで買えるんだ、それ」
そう尋ねれば、今度は店の場所だけでなく、似た品を扱う別の店や、値引きの時期まで教えてくれた。
別の女には、飯屋の話を聞いた。
「いつも美味い店を知ってるよな」
「そうでしょ。暇があったら茶店によく行ってるもの」
褒められたことが嬉しいのか、女は得意そうに身を乗り出した。
「隠れたいい店はね、窓や入り口が小さいところに多いの。首都だから観光客が多いでしょ? 門の近くとか、窓が多くて入り口が広い店は、お上りさん向け。高いわりに美味しくないことが多いのよ。お薦めの定食屋はね――」
いいことを聞いた。
次の休みに、リシェを連れていける。
実際、覚えた店へ連れていけば、リシェは無邪気に喜んだ。
「セラン、こんなお店知ってたんだね」
それだけで、聞いておいてよかったと思えた。
髪油も、菓子も、落ち着いて座れる中庭のある店も、すべて役に立った。リシェが喜ぶたび、知らなかったものを一つずつ埋められているようで、少しだけ満足した。
ただ、煩わしいことも増えた。
会わない期間が続けば、そのまま薄れる関係だと思っていた。こちらから何も約束せず、決定的な線も越えなければ、それ以上にはならないと考えていた。
だが、そう単純でもなかった。
こちらが引けば終わると思っているのに、引き潮にさらわれまいとするように、向こうから距離を詰めてくる者がいた。
「もっと会えないのかな?」
「そろそろ、次に進んでもいいんじゃないかと思ってるんだけど」
「私は、その……いいんだよ」
そして、最も腹の底が冷えたのが、
「聖女さんの代わりになるよ」
という言葉だった。
媚びた目。湿った声。身体を寄せる仕草。
そこに、リシェへ成り代わろうとする意思を感じた瞬間、それまで僅かに残っていた興味まで消えた。
何を勘違いしたのか分からない。
俺はリシェの代わりを探していたわけではない。リシェに会えない時間を埋めていただけだ。暇を潰し、知らないことを覚え、少し気を紛らわせていただけ。
それでも、相手にはそう見えないらしい。
中には詰め所へ押しかけ、他の兵へ俺の予定を聞く者まで出た。上官から小言を受け、同僚からは面白半分にからかわれた。
暇は潰せる。
多少の学びもある。
だが、その後に面倒が待っていると分かってしまえば、わざわざ続ける気にはなれなかった。
そうなれば、友誼も遊戯も終わりだ。
結局、何の計算もなく付き合える数人だけを残し、それ以外とは距離を置くことにした。
そういえば、関係の始め方は教わったが、終わらせ方までは聞いていなかった。
とはいえ、わざわざレフォードのように平手打ちを受けるための儀式を作る必要もないだろう。関わりを断ち、会わなければいい。それで時間が経てば、向こうも別のものへ興味を移すはずだ。
ちょうどよく、国境への遠征任務が入った。
王都を離れ、物理的に会えない時間が長く続いたためか、戻ってきた頃には詰め所や城門へ押しかけていた者も、自然に途絶えていた。
騒いでいた女たちも、別の相手や別の楽しみを見つけたのだろう。
そうなれば、こちらはただ付き合いを再開しなければいい。
それで終わった。
そうしてしばらく過ごしたが、結局のところ、それらは一種の勉強であり、鍛錬にすぎなかった。
相手の話を聞くこと。欲しい言葉を見つけること。距離を詰めすぎず、興味を失わせないこと。
そうした技術は確かに身についた。
だが、それがリシェの心を俺へ傾けることに、どれほど役立ったかといえば、ほとんど分からない。
他の女へ使える手順を、そのままリシェへ当てはめることなどできなかった。
長年積み重ねてきた付き合い方がある。リシェにとっての俺は、何か言葉を工夫した程度で急に別の男へ変わるものではない。
思えば、少しばかり人付き合いが上達したことで、調子に乗っていたのかもしれない。
国境へ行き、長く離れた。リシェは寂しがって会いに来た。俺に会えなかった時間を埋めるように近づき、前よりも強く俺を求めてくれた。
それを、他の女と同じように、俺への恋が募ったのだと勘違いした。
覚えたばかりの浅い理屈を、リシェにまで当てはめた。
そして……暴走した。
だけど、違った。
俺が誰かの気を引くことに多少うまくなったところで、リシェはリシェのままだ。寂しさと恋は同じではない。家族のように求めることと、男として欲しがることも違う。
他の女へ通じた手順が、リシェにも通じると思う方が間違っていた。
リシェの心を恋へ染めるには、結局、リシェの前で愚直に積み重ねるしかない。
恋の花を咲かせ、いつか熟した実を手に入れたいなら、土を耕し、害虫を取り除き、水を怠らず、日ごと傍へ寄り添う。
こちらの都合だけで季節を早めることはできない。
庭と同じだ。
だから俺は、今日も庭へ向かっていた。
聖女の私室がある塔へ続く回廊には、午後の光が斜めに差し込んでいた。石柱の影が床へ長く伸び、その一本へ背を預けるようにして、見慣れた亜麻色の髪の男が立っている。
レフォード、レフ。
ラトリエへの道中で話すようになった騎兵で、今では時々つるむ相手だった。女の扱いに長け、誰にでも気安く近づき、警戒されないまま懐へ入る。俺に人付き合いと世渡りの応用を教えた男でもある。
鎧は着けておらず、壁へ肩を預けた姿にも任務中の緊張はない。これからどこかへ出るのだろう。
「よ、セラン」
俺に気づくと、レフは軽く片手を上げた。
「何だ、レフ。……ラファ待ちか」
聖女の塔の近くで、暇そうに立っている。理由など十中八九それしかない。
正式に付き合い始めてから、しばらく経つ。以前のように四方八方へ女を置くこともなくなり、今ではラファとの予定に合わせて動いているらしい。
「そう。遅れてるみたいでな。少し話に付き合ってけよ」
「嫌だね。これから庭だ」
足を止める理由もなく横を通り過ぎようとすると、レフは呆れたように眉を上げた。
「馬鹿。ラファが遅れてるんだから、リシェリア様もだよ。急いで向かっても、そこにいないんだからいいだろ」
足が止まった。
……確かに。
先に庭へ行けば、土の具合を見たり、道具を整えたり、やれることはある。だが今日でなければならない仕事でもない。
「まあ、せっかくだし、いいか。レフには借りもあるしな」
「ん?」
「応用を教えてくれただろ。役に立った。女だけじゃなくて、人と話すのも前より楽になった。友達も作りやすくなった。礼を言っとく」
口にしてから、少し妙な気分になった。
以前なら、わざわざこんなことは言わなかった。役に立ったなら自分の中で処理し、相手へ知らせる必要などないと思っていた。
だが、そういうところも含めて、変わったのかもしれない。
レフは一瞬だけ目を丸くした。
「ああ……役に立ったのは結構だけど。いやさ、お前……本気にさせるなって言っただろ。評判、聞いてるからな」
「?」
何のことか分からず見返すと、レフは頭を抱えるように額へ手を当てた。
「まあ、ちょっとしつこくされたりはした。けど、別に寝たり、勘違いさせるような言葉なんて言ってねえぞ」
「一緒にするな。俺はきちんと……ああ、いや。関係の終わり方まで教えるべきだった」
絞り出すような声だった。
「寝てなくても、恋人みたいな時間の使い方をすれば同じなんだよ……」
そこからレフが説明し始めた規則は、以前教わった遊戯の決まりよりも、さらに細かく煩雑だった。
愛を囁かなくても、何も約束していなくても、会う回数と使った時間だけで期待させることがある。
最初に、そういう付き合いではないと明確に伝えろ。
複数で会うならともかく、二人きりで何度も会うな。
女が次を求め始めた時点で、こちらの言う友達と、向こうの認識はもう違っている。
恋愛の意思がないなら、その時点でもう会わないと言え。
「先に言ってくれ」
思わずそう返すと、レフは心底呆れた顔をした。
「もう少し年齢が違う相手ならともかく、同世代の女は大体みんな適齢期で、婚姻だって視野に入れてるんだろ。慎重にやれよ。そんくらい分かってるかと思った」
「ああ……そういえば、そうか。考えもしなかった」
国境で飲み友達になったレンカは、最初から国境伯の親父さんから縁談を持ちかけられていた。
あいつは、誰が家へ入るものか、自分は旅に出るのだと啖呵を切り、俺も当然御免だと返した。それで意気投合した。
あれほど最初から互いに拒絶していれば、誤解の入り込む余地はない。
他の相手にも、そうしておけばよかったらしい。
「どんな僻地生まれなんだよ」
「ど田舎なんだよ」
トルニカでは、十五になれば祭りで結婚相手を探し始める。王都の人間はむしろ遅いくらいだ。
だが、祭りの日でもなければ、縁談を持ち込まれたわけでもない。ただ酒を飲み、店を回り、話をしていただけだ。
それを婚姻へ繋がる時間として受け取るとは、本当に考えていなかった。
「悪いことしたな。今から一言言いに回った方がいいのか?」
尋ねると、レフは少し考えてから首を振った。
「お前が国境へ行ってる間に、騒いでた娘たちも別の男を見つけた。街の噂ももう薄れてる。戻ってきた今、また同じ店を回らなきゃ、このまま収まるだろ。二度と同じことはするな」
「いや、もうしねえよ。懲りたし意欲もない」
酒を飲み、その場で話す程度なら構わない。
だが、何度も会い、後から押しかけられ、他人にまで迷惑をかけるほどの価値はなかった。暇を潰すために、さらに大きな面倒を抱えるのでは割に合わない。
レフは、それならいいというように頷きかけ、途中で動きを止めた。
「いや……ラファが、下町の知り合いに泣きつかれたって言ってたな。その娘にだけは謝ってくれよ。俺から言っとくって、ラファに約束したんだから」
「分かった。誰のことだ」
「何だっけか……ええと」
レフが宙へ視線を泳がせた、その時だった。
「それはユーリのことですね」
背後から、聞き慣れた女の、気まずそうな声がした。
「そうそう、花屋のユーリアちゃんだ。……ラファ! 終わったのか。お疲れ様。今日も可愛いな……。失礼しました!」
さっきまで名前すら思い出せなかった男が、声を聞いた途端に表情を変えて俺の後ろを覗き込み、即座に立礼に変えた。
恋人であるラファだけなら、あんな礼をするはずがない。
そこで悪寒が走った。ここは風上だ。匂いはこちらへ流れてこない。そうでなければ、とっくに気づいていた。
慌てて俺も振り返ると、そこには見慣れたラファ何とも言えない微妙な表情で立っていた。
「お待たせしました、レフォード。セラン、さん」
「御機嫌よう、レフォード様。楽にしてくださいね。……あと、セラン」
そして、ラファの隣には、銀色の髪を揺らすリシェがいた。
カイルの黒歴史と合わせて4話で終わるつもりだったのですがちょっと延長戦あります




