最悪な友情
出だしは否定の大合唱だったけれど、その後は思いのほか穏やかな流れになった。
杯を重ねるうち、二人の顔にもほんのり赤みが差してきている。
「悪いけど、本当に。カイルの出る幕なんてない。聖女の務めが終わったら、俺とリシェはくっつくんだからな」
セランさんが、カイルさんに向かってまっすぐに言い放つ。
その瞳は本気だ。
「いや、その頃には、リシェリアは完全に俺の方を向いている。今のうちに心の整理をつけてくれ」
カイルさんも、まるで騎士の決闘を受けて立つかのように、静かに応じる。
「お前、本当にふざけんなよ。後から来て、急に俺とリシェの間へ横入りするんじゃねえよ」
「失礼な。俺は最初に、セランとはなんでもないのか、将来の約束をしていないのかとリシェリアに聞いている。割り込むも何もない」
初めて聞いた言葉に、僕もセランさんも意表を突かれた。
どうやら、さすがのカイルさんもちゃんと確認していたらしい。
まあ……そりゃそうだよね。
僕だって最初からセランさんと恋人なのかと思っていたくらいだから、誰だって一度は疑う。僕なら気後れして、その後で口説こうなんて思わなくなるけれど、カイルさんは違ったらしい。
セランさんは一瞬だけ鼻白んだ。
「は! どうせ理屈をこねて、分かりにくい話し方をしたんだろ。……それ、いつの話だよ」
「指導係になって間もない頃だ。セランに初めて会って、即座に喧嘩を売られる、その少し前だった」
「あ、う……売ってないって。牽制しただけだろ。そっちこそ、話しかけてきた時の態度が横柄だったし」
セランさんが気まずそうに杯の縁を指で叩く。
「いや、ちゃんと俺は思い出したぞ。身分も職責も無視して、挨拶もせずに睨んでいたのはそっちだ。だから、無礼な者にまず礼儀を説いただけだ。あんな態度を、今後誰かれ構わず初手で取るなよ。……印象が最悪だ」
確かに、カイルさんは悪い人ではないけれど、厳しい人だ。最初に無礼をされなければ、もっと紳士的に振る舞っていたんだろうな。
二人の歴史を聞いていると、不思議な気持ちになる。
出会い方が違っていたら、最初からこんなふうに、謎の友情らしきものが育まれていたのかもしれない。
「……期待させて悪かったな。でもその頃は、そんな色っぽい話なんてしてこなかったから、リシェの言うことは……間違ってはない」
「そうか。なら俺は悪くないな。セランが遅いのが悪い。登城前に二人が恋人になっていたなら、俺だって名乗りを上げようとは思わなかった」
「なら、今から引っ込め」
横目で睨むセランさん。
酔いもあって、僕には悪戯心が湧いた。
「本当ですかー?」
語尾が自然に上がり、軽口が出る。
正直、僕はカイルさんの言葉を信じていない。
婚約しているわけでもない。相手が振り向くなら、それは横入りではなく、ただ先に選ばれただけだ。カイルさんが手を挙げること自体を責める理由はない。
「……その時にならないと分からない」
カイルさんは杯を煽り、視線を逸らした。
否定はしなかった。
「俺の番になってもいいって言ってたんだから、もう俺のだ!」
「リシェリアは、セランが断ったと言っていた。だから、まだ違う」
「断ってねええええ! それは、リシェが義務感で差し出すのが嫌なだけで」
「それは分かってる。でも俺だってもう、恋が分かったらリシェリアの人生をくれと言ってある」
「ああ、くそっ。……リシェは、考え方が人と違うって分かってるだろ。せっかくゆっくり俺だけに染めようとしてたのに、急に興味津々になりやがって。……恋だの愛だの言い出すようになったのは、絶対サフィアが読ませてる小説ってやつがよくない」
セランさんが、なんとも言えない表情で酒を飲む。
ああ、それは確かに。
「確かに、あの場面では、なぜ男性がそんなことをしたのか、その心理についてよく聞かれました。現実とはずいぶん違うので、答えに困る箇所もありましたけど」
僕は答える。
指導というより、ほとんど辞書扱いだった気がする。
それにしたって、小説の騎士は休みが多すぎる。いつ任務をしているんだろう。
「そうか? 浪漫的な場面を真似れば、気持ちが分かるかもしれないって……可愛いと思うが」
カイルさんの頬がほんのり赤くなる。
そういえば、恋愛小説に出てきそうなのはこの人だ。
長身で、美形で、貴公子然とした立ち居振る舞い。リシェリアさんが実演してみたくなるのも理解できる。
「満月の下で、恋人は寄り添って口づけを交わすものらしいですよって……ふっ、可愛い」
思い出しているのか、ふわりと顔を綻ばせた。
「リシェ……それは俺にやってくれ……」
セランさんは頭を抱え、ふいに僕へ顔を向ける。
「助けてくれ、ジェス……どうしたらリシェは、俺だけに惚れてくれるんだ」
「さ、さあ。僕に聞かれても」
僕は必死に逃げ腰になる。
すると今度は、カイルさんが溜息を吐き、片手で顔を覆った。
「十分愛されてるだろ。俺なんて四六時中そばにいたって、原則としてエスコート以外に触れることも許されない。挑発されるのは堪えなきゃいけないうえ、夜這いみたいな真似までされたんだぞ。生殺しだ」
「夜這っ!? ……えっ!?」
耳が勝手に反応する。
「あ、いや……違う! た、大樹に誓って違う! リシェリアが寝ぼけたのか、夜中に俺の部屋を訪ねてきて、そのまま眠り込んでしまっただけなんだ! な、セラン!」
慌てた様子で言い訳する。
視線が逃げている。
「あ、ああ。何もない! 勘違いするな! ……ちゃんと困ってたカイルに相談されて、リシェを担いで部屋へ戻したから。……そこは安心していい」
セランさんも真っ赤な顔で、必死に弁明する。
どうやら本当に事故らしい。
……それを協力して処理したから、こんなに会話が成立するようになったんだろうか。
僕は杯を置き、真剣な顔で言った。
「リシェリアさん、前から思ってはいましたけど……手強いというより、常識の外にいますね。普通じゃないです」
「分かる」
「そうなんだよ」
二人がまた合唱する。
そして三人は、同時に溜息をついた。
酒も回り、肴もそこそこ減ってきた頃。
僕がようやく酔えてきたと思えるくらい、空気が柔らかくなった時だった。
「くそ。王都に来る前に、番いにしとくべきだった。偽とはいえ、婚約までさせられるなんて」
セランさんが、杯を揺らしながら独り言のように呟いた。
それは冗談でも強がりでもなく、長い溜息に染みついた本音に聞こえた。
「すんなり受け入れたように見えて、気にしてたのか」
カイルさんが眉を上げ、少し意外そうに言う。
「お前ほどじゃねえよ。理解はしてるさ。それでも不愉快なだけだ」
短く返すその声音に、嫉妬とも焦燥ともつかないものが滲む。
その言葉の重みが効いたのか、カイルさんが口ごもった。
「ぐっ……」
確かに、婚約発表の時に二週間寝込んで、城の噂になったのはカイルさんの方だ。
気の毒なので、僕は話題を変えることにした。
「番い……って、恋人ってことでいいんですかね?」
その瞬間、空気が止まった。
セランさんが骨付き肉を掴んだまま固まり、カイルさんはゆっくりと杯を置いた。
沈黙。
沈黙。
沈黙……怖い。
そして、セランさんが虚空を見つめたまま、ぽつりと呟く。
「……まあ、違わねぇよな?」
続いて、カイルさんが淡々と補足した。
「セランはそのつもりで使っているんだろうが、厳密には違う。繁殖や共同生活の相手を指す言葉だ。人間で言えば婚姻関係に近く聞こえるが、必ずしも生涯一対とは限らない。そもそも基本的には、獣や動物に使う言葉だからな」
セランさんの言葉の誤りを指摘できたことが嬉しいのか、どこか得意げだった。
「いいんだよ、俺はそれで。生涯そいつだけって意味で使ってる。どうせ貴族みたいな、家同士の契約やら式やらは必要ないだろうし。結婚って言葉も、いまいちぴんとこない」
「え?」
生涯その人だけ。
唯一の相手。
その言葉に、僕は思わず突っ込んだ。
「セランさん、よその女の子と結構遊んでるのに、そんな純愛みたいなこと、よく言えますね」
その瞬間。
セランさんの目がぎらりと光り、僕の口をがしっと掴んだ。
「ほはっ!」
「バージェス」
かすかに震える殺気をまとった声。
バージェスと、名前を略さずに呼ばれる時は、本当に危険だ。
「やめろ、セラン。知っているやつは知っているんだ」
カイルさんが静かに止めに入る。
そういえば、セランさんの女遊びについては、カイルさんが以前調査していた話でもある。
つまり、完全に把握されている。
「うるせえなぁ。リシェに知られなければいいだろうが。まあ、別に知られても困らない。あいつは気にしたりしないからな。……それに、当たり前だが、番いになったら、ほかの女とつるむことはない」
「そういう問題か?」
カイルさんの瞳が冷たい光を宿す。
「逆の理屈で言えば、番いになる前なら、リシェリアだってほかの男と恋愛していいことになるよな」
セランさんの肩がびくりと震えた。
そしてカイルさんは、ゆっくりと実に悪い笑みを浮かべる。
「分かった。最終的にはセランに返すから、先に俺の恋人にさせてくれ」
……いや、返す気は皆無だ。
その顔は。
「返済日が永遠に来なさそうですけどね」
僕が素直に突っ込む。
「しっ。ジェス、余計なことを言うな。こういうことは、いつ返すかを曖昧にしておくのが定石だ」
カイルさんが妙に大人びた顔で僕を制する。
「いいわけねえだろうが」
セランさんは、完全に切れる寸前だった。
「そもそも、番いという言葉自体に唯一無二なんて意味はない。毎年相手を変える種もいるし、一頭に複数の相手がいる場合もある。ただ、組になっている相手を指す言葉だ」
カイルさんは知識で叩きにかかる。
セランさんは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「なんとでも言え。何を言われても、俺が欲しいのはリシェだけだ。ほかの女をリシェの代わりに見たことなんて、一度もない。リシェにだって、そうあってほしいだけだ」
……それを、よそ見していないと言っていいんだろうか。
兵士たちの間で『狂犬』と呼ばれる所以は、これか。
そして、セランさんはぽつりと続けた。
「リシェだって、俺しかいないはずだ。村を出てからこの城へ来るまで、リシェがまともに話せて、何を言っても酷い目に遭わされないと信じられる人間は、俺しかいなかったんだから」
視線が、卓の彫り模様を彷徨う。
「そりゃ、リシェに俺への同情や憐憫が、一欠片もないわけじゃないだろうな。むしろ、それしかないかもしれない。俺だって、今、雄として意識されてるとは言わないさ。俺は我慢して襲わずにいたのに、あいつは余裕で添い寝も水浴びもしてきたんだからな」
「セラン。お前は、よく耐えた。真の男だと思う」
カイルさんが、そっと肩を抱いた。
「……俺のために、ありがとう」
「死ね」
空気が暗くなりすぎないようにしたのか、カイルさんがふざける。
セランさんは、肩に置かれた手を叩き落とした。
――そりゃ、リシェリアさんの世界に、恋が育たないわけだ。
誰かを選べるほど、安全な社会がなかったんだもの。
深すぎる関係。
重すぎる絆。
そして、偏りすぎた世界。
恋を知らなかったのは、セランさんに守られ、誰かを選ぶ必要も、選べる余地もないまま生きてきたからなのかもしれない。
リシェリアさんにとってセランさんは、数ある誰かの中から選ぶ相手ではない。
世界に一人しかいなかった、安全な人だ。
だからこそ、セランさんも、差し出されたその手を今は取れない。




