最低な二人
あの後はひどい目に遭わされた――かと思えば、実際にはそうでもなかった。
まあ確かに、今までの人生であそこまで視線だけで殺されかけたことはなかった。
あれが剣だったら、僕の首はとっくにどこか芝の上に転がっていただろうけど。
結局のところ、二人ともそれなりに理性があって、片方が突っ走ると、僕に矛先が届く前に二人の間で別の応酬が始まり、話が勝手に転がっていく。
そういう意味では、兵舎でよく見る類の、男同士のじゃれ合いみたいなものだった。
……だけど、まあ。事情聴取はされた。
裏庭のさらに奥にある、ちょっとした空き地。
僕は空の木箱に座らされ、正面にセランさん、横にカイルさん。今しがた剪定した不要な枝葉を焼く焚き火を囲み、『恋人予約』とはなんだという尋問で、すべてを吐かせられたところだった。
「だから本当に、ただの冗談なんですって。あの時、リシェリアさんが『恋人は先着順で決めようか』なんて言ってたのを止めた僕を、むしろ褒めてほしいです」
「いや。止めてなかったら、今頃もう勝敗はついてたはずなのに。余計なことしてくれたな」
セランさんは不貞腐れたように僕を睨む。
「ええ!? セランさんはそんなのでいいんですか? 先着順なんて、そんな無感情な選び方の恋人でいいなら、むしろ今すぐ追いかけて、そう言ってくればいいと思います」
そしたらリシェリアさんは、普通にいいよって言いそうだ。
少なくとも、僕の中のリシェリアさんなら、何の抵抗もなく頷く。
「分かってる。軽口だよ。だからあいつを育ててるんだからな。……リシェは、俺のことを愛してるって言ってくれるのに、なんでとっとと俺に惚れないのか分からねえ」
セランさんが、ぽつりとこぼすように言った。
『セランさんのことを愛してると言っている』
えっ……そうなんだ!?
だったら、もう答えは出てるんじゃないんですか!?
「えっと。好きとか、愛してるとか言われたなら、もうそういうことじゃないんですか?」
恐る恐る口を挟んでみた。
二人とも、僕の理解があまりに浅いとでも言いたげな顔をした。
「……あいつの好きや愛してるは、色事とは関係ないぞ。リシェは普通に聞けば、ジェスにだって余裕でそう言うんじゃねぇかな」
セランさんが、乾いた笑いと共にすごいことを言う。
戸惑いを言葉に出そうとした瞬間、カイルさんが先に口を開いた。
「……俺は一度しか言われたことがない。セランは、向こうから言ってもらえるだけいいと思う」
カイルさんも、何の皮肉も怒りもなく応じる。
えっ? えっ?
カイルさん、そういうところでは、いつもなら突っかかる側じゃ……?
なんだか想像と違う方向に話が落ち着いていて、僕の理解が追いつかない。
「大体、押しに弱いしな。頼まれたら断れなくて、大抵のことは許しかねない」
「分かる。拝み倒して、既成事実にしてしまえばいいんじゃないかと、思ったことは何度もある。……思っただけだから。でも、虚しくて……やめた」
カイルさんまで、そんなとんでもない懺悔を淡々と口にする。
えっ、ちょっと待って!?
それ、言っていいやつ!?
いや、聞かなかったことにしてあげたいんだけど、僕、今ここにいるから!?
「正解。あいつ、押し倒したって余裕で見続けてくるからな」
セランさんが苦悶するような声で、さらに追い打ちをかける。
「確かに。……後ろから抱擁していても、無反応で淡々と編み物を続けられたことがある。悲しい……」
カイルさんがうずくまり、膝を抱える。
「リシェリアは……そこがなんというか、超越しているというか。同じ地平にいる気がしないよな……」
えっ……この人たち。
ちょっと最低では……?
確かに、想いは本気なのかもしれない。
でも、まだ恋人でもない女性にしていいことじゃないだろう。倫理的に。
なんというか、こう……いや、本当に。
「聞かなかったことにしますから、ほかでやってもらえますか? いや、もう終わりましたし。僕、帰りますね。あとはごゆっくり」
満身創痍の精神状態で立ち上がる。
……と。
「待てって。奢るから、下町に飯食いに行こう。バージェス先生。リシェに恋について教えてるんだろ。どうやったらちゃんと惚れさせられるのか、俺に教えてくれ」
セランさんが、謎の親しげな口調で引き止めてきた。
ちょっと待って。
僕、いつから先生になったんですか?
「いや、金は俺が出すから飲もう。その代わり、個室のある店に行こう。……誰に聞かれても困る」
カイルさんが、しれっと上書きしてくる。
いやいやいや。
誰に聞かれても困る話題って、そもそも問題だと思うんですが。
というか二人とも、それがリシェリアさんにバレたら、本当に嫌われますよ!?
でも、なんだか二人とも、さっきの殺気立った雰囲気とは違って、どこか肩の力が抜けていた。
……ああ。
この人たち、たぶん本人たちが認めていないだけで――振られたんじゃないかな。
無料の飯には惹かれるけど、損しかしない気がする。
でも、断ったらたぶん逃がしてくれない。
もう……行くしかないんだろうな。
……はあ。
ちょっと高そうな酒場の、奥まった個室。
壁には木彫りの装飾が施され、灯りは直接目へ入らないよう、壁際へ控えめに置かれている。扉には防音の異能が施されていることを示す認証が掲げられていた。
カイルさんが店主へ小声で依頼し、追加料金をさらりと出していたのだ。
さすが祭祀庁御用達。
こういう時に、あっさりと必要な手配を自然にこなすのが……格好いいというか、羨ましいというか。
僕にもそういう気配りができたら、少しくらい使える男に見えたりするのかな。
「さ、好きにやってくれ。……奢るのは今日だけだぞ」
カイルさんが静かに言う。
それでも、さっきまでの落ち込みようからは考えられないほど、余裕のある顔をしていた。
金を払う側になると、人は急に落ち着きを取り戻すものなのだろうか。
「肉だ。腸詰は頼んどいてくれ。酒は任せる。うまいの選んでくれ」
セランさんが椅子の背へ体を預けながら、テーブルの木皿をぽんと叩いた。
注文は相変わらず大ざっぱだけど、たぶん好みは明確なんだろうな。
塩加減と炙り方にうるさいタイプだ。
「……野菜も食べた方が、知能にはいいぞ」
カイルさんの、ぼそりとした一言。
「リシェがいれば食わされるから。たまには好きに食べたい」
セランさんが即答する。
なんだかもう、完全に熟年夫婦の会話みたいになっていて、僕は聞いているだけで居心地が悪くなってきた。
「リシェリアと食べられなくなる日が来るから、今から慣れておく方が身のためだ」
「そんなんだから、ひょろいんだよ。リシェを抱えて砂浜を走りたいんじゃなかったのか。お前は肉を食え」
「うっ……くそ」
……はあ。
互いに刺し合いながらも、妙に会話が成立しているこの二人。
今さっきまで、聖女の前で決闘でも始めそうな顔をしていたのに。
「ジェスだって、できるよな」
――えっ?
僕ですか!?
今まで話に参加していなかったと思うんですが!?
さっきまで背景だったんですが!?
「あ、どうかな。持ち上げられても、身長が……。リシェリアさんは僕より背が高いので」
自然と視線が落ちてしまう。
体力ならある。
訓練もしているし、兵士としての基礎はできている。
土嚢を抱えて走るなんて、普通のことだ。
でも……骨格だけはどうしようもない。
どう抱えても、たぶん格好がつかない。
「だはは! 背負っても横抱きでも足がつくかもな。歩いた方がましだな」
セランさんが遠慮なく笑う。
「ひ、ひどい……!」
真剣に傷ついた。
笑うところじゃない。
僕の尊厳が、足元で踏み潰されている。
「やめてやれ、セラン。まだジェスは十五歳だ。伸びるはずだ。……俺はもう、その年には今くらいあったが」
カイルさんが、一見優しいことを言っているようで、気づけば正確に心を刺してくる。
本当はもう十六になっている。
でも訂正したところで、僕自身がさらに追い詰められるだけなので言い出せない。
それでも僕は、まだ十六歳。
伸びしろはあるはずなんです。
希望を持たせてください。
せめて、リシェリアさんと同じ高さから目を見て話せる日が来ると、信じさせてください……。
やがて、静かな灯りに照らされた卓へ、酒と肴が一通り揃った。
……なんなんだろう、この会。
金は払わずとも、尊厳と胃の安寧を持っていかれている気がする。
でも、なぜか悪くない。
僕はやけくそ気味に杯を掲げた。
「じゃあ、振られた敗北者二人の前途を祝ってー! 乾杯!」
「負けてねぇって!」
「振られてない!」
二人の声が揃って返り、三つの杯が乾いた音を立てた。




