曇った空の出処
リシェリアとセランが店を出ていくのを見送り、俺は宝飾店の奥へ細工師を呼んだ。
リシェリアの視界には入らないように。
これは贈り物というより、これは俺自身のけじめでもあった。
「こちらを仕立て直したい。持ち主から預かった品なんだが、何かわかるか?」
掌に載せた小包を、細工師は落とさぬよう慎重に受け取った。
目元に深い皺の刻まれた初老の職人で、熟練した者だけが持つ特有の静けさがある。彼は専用の眼鏡を目に掛け、首飾りへ顔を寄せた。
老職人が往々にして素人を嫌うのは知っている。
だが、ここはオルシナでも指折りの御用達店だ。領主グラントの連れである以上、俺に対して侮るような態度は一切見せなかった。
「お預かりいたします」
品を手のひらの上で転がし、鎖の質感を確かめ、石の輝きを光にかざす。
じっくりと時間をかけて観察したのち、職人は丁寧な口調で答えた。
「何の変哲もない鎖です。銀ですが、ずいぶん潮にさらされたのか、劣化が激しい。脆く古いので、交換してしまった方がよいでしょう。……石の方は天青石ですね。これは珍しい」
「天青石……何が珍しい?」
思わず問い返した。
セランが言っていた、唯一の“手がかり”。
リシェリアが触れようとしていた自分のルーツ。それに繋がる可能性は、少しでも拾っておきたかった。
細工師は眼鏡を外し、慎重な声音で続ける。
「天青石。セレスタイトとも呼びますが、この辺りの店にはまず並びません。石自体は希少ではなく、価値も高くない。ただ、産地が特殊でして……乾いた土地ではなく、水脈に抱かれた岩層から掘り出されます。この色合いですと、北方ネーヴェリアの山地か、東の隣国から入った可能性があります。ただ、石だけで産地を断定することはできません。採掘地とは別の土地で加工されたことも考えられますから」
そう言い、引き出しから天青石の大きな結晶を取り出して見せた。
淡い曇天の青。光が差す角度によって灰みを帯びるその色は、まさに、あの“神がかった状態”のリシェリアの瞳と同じだった。
胸の奥が、かすかに疼く。
職人はさらに続けた。
「珍しいのは石ではなく、加工です。この石は非常に脆く、研磨が難しい。通常は結晶をそのまま生かした装飾品にする程度で、これほど小さく、しかも精緻に美しくカットするには、相当の腕前が必要でしょう。ここまで手を掛けるほど価値の高い石ではないため……修練に使われたか、特別な謂れがあるか。いずれにせよ、この付近にこれを扱える細工師はいません」
“価値の高くない石に手間を掛けた”。
その言葉が引っ掛かった。
誰が、何のために。
リシェリアの首に最初からあったということは、生家か、それに準ずる誰かの手によるものだ。
「年代はわかるか?」
職人はもう一度鎖と留め具へ目を落とし、眼鏡越しに細部を確かめた。
「正確なところまでは申し上げられません。ただ、鎖と留め具の作りは、少なくとも十数年以上前のものです。石の加工も、近年この地方で流行した型ではありません。鎖だけが後から付け替えられた可能性もありますので、これだけで全体の年代を断定することはできませんが」
リシェリアの年齢を考えれば、不自然ではない。
だが、何かが確定したわけでもなかった。石の採掘地と加工地が異なる可能性があるなら、流通した経路まで含めて追わなければならない。
それでも、何もなかったところに、調べるべき項目は生まれた。
職人は石を傷つけぬよう皿へ戻し、話を仕立て直しの内容へ切り替えた。
「仕立て直すなら、石を破損しないよう貴金で縁取り、お好みに合わせて鎖に繋ぐのがよろしいでしょう。爪留めではなく覆輪にすれば、強度も増します。……お嬢様に合わせるなら、周囲に他の貴石を添えるのもよいかと」
華美な案、繊細な案。いくつもの提案が並ぶ。
最後はやはり商人らしく、しかし職人としての誇りのこもった締め方だった。
華美な案を退けながら、ふとセランなら何を選ぶだろうと考えた。
おそらく、石そのものを隠すほど飾ることは望まない。リシェリアも同じだろう。
ならば、二人ともが違和感なく受け取れる形にすべきだった。
俺は過剰に飾らず、草花や枝葉を思わせる、リシェリアが好むであろう“静かな美しさ”の意匠を選んだ。
質も技術も、最高のものを。
彼女の首元で、決して主張しすぎないように。
同時に、細工師に注文書を作らせ、天青石の産地や性質について、先ほど聞いた内容も記録として残させた。
情報は、後で必ず役に立つ。
見積もりが出された時、俺は代金に加えて、情報提供への礼を上乗せした。心象を良くしておく意味もある。こういう店では、次も気持ちよく仕事をしてもらうに越したことはない。
細工師は丁寧に頭を下げ、品を奥へと運んでいく。
面影の残る天青石はその掌に消え、静かに扉が閉じた。
これで、あとは届くのを待つだけだ。
――彼女の過去に繋がる、ささやかな手がかりとともに。
外に出ると、澄んだ潮風が廊下を抜けてきた。
ちょうどその時、アスティが貴賓応接室から出てきたところだった。
視察を兼ねた休暇明けに予定されている外交で身に着ける装身具を注文すると、朝に言っていたのを思い出す。
外交先の特産を身に着けることは礼節であり、同時に政治的な意味もある。彼女らしい抜かりのなさだ。
すれ違いざま、アスティは俺の手にある依頼証書の控えを見つけ、すぐに目を細めた。
観察力が異様に鋭い。いや、単に目ざといのかもしれない。
「あぁ、カイルも何か買ったのね。どうせリシェリアのだろうけど……祭祀庁の予算から出すようにする?」
軽口めいた言い方ではあったが、下世話な意味ではない。
祭祀官や聖女の装身具は儀礼の権威を示すもので、一定額までは庁の予算で購入が許可されている。その際には、後見のメイスン家が承認に関わる。
だから今のうちに情報を共有してくれれば処理が早い。
そういう実務的な意図が透けていた。
俺は首を小さく振る。
「いや、私的なものだ。要らないよ」
そう返して終わりにするつもりだった。
だが、手にした依頼証書を見下ろし、心に引っ掛かるものがあった。
少しだけ、言葉を足す。
「ああ……でも、届け先はそっちにしようか。アスティからセランに渡してくれるか?」
「ふぅん?」
アスティは、問いかけるような視線を寄越した。
言葉にはしないが、「意図は?」と明確に聞いている目だ。
「手配したのは、セランの私物なんだ。修繕したいが、こういうところでの頼み方が分からないらしい。代わってやった」
嘘ではない。
けれど、説明すべき核心部分――昨夜の件や、俺が抱えた罪悪感のことは言わなかった。
アスティには報告するとは言っていた。
だが、具体的な内容は、目的の些末さに比べて、出来事が大きすぎる。
説明するにしても、もう少し整理する必要がある。
少なくとも、寝室へ入り込まれ、口づけをされた一件を、今ここで詳しく話す必要はない。
余すことなく上位の人間へ報告することは正しい。だが、正しさだけでは、あの少女と向かい合うにはまだ足りない。
彼女の人格は発展途上で、そのうえ秘める力は大きく、まだ片鱗しか見せていない。その彼女は、昨夜は「私の事を振ったから次に会う約束はしない」と言ったのだ。
下手を打って、あまり機嫌を損ねたくない。
よって、今ここで、アスティにあらいざらい告げるつもりはなかった。
そして、あの首飾りは、セランがずっと隠して持っていたものだ。
渡すべきは、俺ではない。
本人の手からの方が、リシェリアにとっても自然だ。
もしセランが気にしすぎて荷に感じるようなら、あとで箱代くらいは払わせればいい。
それなら対等だ。
それよりも――休暇が明けたら、俺がすべきことは決まっている。
石の手がかりを調べることだ。
天青石という素材。産地の可能性。研磨の技術。
そこには確かに“意図”があった。
リシェリアが自分のルーツを知りたくなった時、迷わず渡せるようにしておく。
これは俺に最も向いている仕事だし、今の俺にできる最善の行動だと思った。
――目標ができると、思考が整う。
気づけば、胸の奥にあった重苦しさが、いくらか軽くなっていた。
店を出る前、俺はこっそりと天青石の結晶を一つ購入していた。
比較用の標本があれば、産地や加工法を調べる際にも役に立つ。
そう理由をつけるのは簡単だった。
けれど本当は、あの色を店へ置いて帰ることが、なぜか惜しく思えただけなのかもしれない。
それは淡い灰青を宿す石で、神がかった姿のリシェリアを思わせる色だった。




