不真面目な談笑
セランが責めるというよりも、ただ意外そうな顔で口を開いた。
「というか、カイルにも婚約者なんていたんだな。……そういうふうに見えなかった」
領主嫡男なんだから、普通のことだ。しかもそれは昔のことで、今リシェリアへの想いに恥じることはなにもない。
「なんだ? 進行形でもないんだ、過去のことでとやかく言われたくない」
そう返しながら、思わず眉を寄せる。女性の扱いが下手だとか、免疫がなさそうとでも思われていたのか。それとも不実とでも言いたいのか。
……セランに、そういう類のことを言われるとは思っていなかった。
「いや、そんなんじゃねえよ。一応、リシェに付ききりになる奴だからな。登城した後にお前の少し評判漁ったら、人間嫌いというか恋愛を馬鹿にしているという風の噂を聞いてたからさ。……リシェに興味もたなさそうだったし、安心したけど」
情報源は兵舎や使用人の間で流れる噂。
それにしたって、どうしてそんな話になるのか。
自分では普通に接していたつもりなのに。
ただ、他人と不用意に親しくなる時間なんて、研究することより優先されないだけで。
「……どういう目で見られてるんだ。その割には、セランも初対面から敵対的だったじゃないか」
「忘れてるのか? お前が先に喧嘩を売ってきたんだろうが。最初からそこまで敵視していたわけじゃない」
そう、だったろうか?
初対面で無作法、指導方針に口出しされて向こうから噛みついてきたとばかり。いや、今その話じゃない。
「……まあいい。最初の婚約は普通に、親同士の決めた幼少の頃の約束事だ。両親が死んだら、お悔やみの連絡と共に破棄されたよ」
胸の奥に微かな鈍痛が走る。
あの約束がなくなったとき、このままだと家族の歴史すら失われるのだと実感したのを思い出した。
俺や領民の中に残る記憶まで消えるわけではない。
けれど、形で残されたものがなくなると、急に頼りなく空気のように自分の立ち位置が曖昧になった。
「そういうもんか。……ご愁傷様。最初はってことは何件かあるんだな」
「……しょうがないだろ」
ため息が漏れる。
「家督を存続させるには子孫が必要で、それは自分だけじゃ成し得ないんだから。養子じゃ婚家からの支援が得られないし、できれば良質な縁談が欲しかった」
そう言って、無理やり笑う。
グラントは知っている。没落しかけた家の現実なんて、珍しくもない話だ。
「条件に合う相手をいくらか探して、縁談に漕ぎ着けただけだ……なぜか破談になったけど」
「まあ、不思議はない」
グラントが低く言った。
「婚約後に維持する努力をしないのではな」
図星を突かれたように、思わず言葉が詰まる。
「言ってるだろ、すでに約束に合意したんだから。……後は契約を履行するだけなのにそれ以上求め続けられても困る」
俺は不服だった。
政略で決まった婚約なのに、そこに情熱を求めるのは筋違いだ。恋愛結婚ならまだしも、契約関係に感情を持ち込む方が危険だろう。
「顔で釣るからそうなるのだ。馬鹿め」
グラントは、楽しそうに言って笑う。
「だって、我が家には爵位も財源もない。災害にあった領地しかない。復興が優先されるんだから仕方ないだろう!」
思わず語気が強くなる。
改めて言われると、図星を突かれた気がして少し恥ずかしいが、俺は確かに顔がいい。
美女と言われていた母に似ているらしく、誰もが必ず一度は見入る。黙っていれば溜息をつき、優しく笑えば男女の区別なく頰を染める。
だから、優越を感じたことはないが、武器にはしている。
「使えるのは我が身だけだ。特に女性にとって、わかりやすく価値あるものなど」
「だとしたら、なおさら笑顔や愛想は維持すべきだったな」
グラントは苦笑しながらグラスを回している。
俺はそれを見ながら、自嘲に似た笑いを浮かべた。
「リシェには金も後ろ盾もなんもねえから、お前に得はない。
とっとと諦めてくれねえかな」
セランが肩をすくめて言った。
「我が家に関しては、俺の頭で経営をもう立て直したのでご心配なく。領地も返納して土地なし貴族にでもなればいいさ。
……俺は腕の中に収まるだけの愛でいいと気がついたから」
それが本心だった。
計算でも義務でもない。
俺はただ、リシェリアを“愛”という一点で見ている。
金や地位ではなく、ひとりの人間として。
「ごめんな、リシェの愛は俺がもう貰ってるんだ」
セランが軽く俺の肩を叩く。
その笑みが妙に挑発的で、胸の奥が熱くなる。
「セランお兄ちゃん、妹離れは早くしたほうがいいぞ。それだけそばにいて進展がなかったのだから、それはもはや、ただの気に入りの日用品くらいの情だろう」
皮肉を混ぜて言い放つ。
リシェリアは情け深くて、誰かを見捨てることができない。
だからセランにも情を残しているだけ――そうであってほしい。そうでなければ俺の居場所がない。
「ああ? それでも添い寝も抱擁もし放題。お前よりよっぽどマシだ」
添い寝。流石にその言葉には重い衝撃がくる。
昼に横に寝そべるリシェリアを思い浮かべたばかりだ。
行き場のない嫉妬を誤魔化すように、わざと大げさに声を張る。
「添い寝までして!? 男って何か知ってるか?」
そうだ。添い寝までして、まだ恋人でも何でもないことこそ脈がない証だ。そこを抉る。
「は! 知ってるさ。腕っぷしの強さのことだよな。教えてやるから表に出な」
俺の指摘は的確にセランの余裕を削ったらしい。
強がるように笑い、動揺を隠すかのように手を鳴らした。
……いや、暴力を持ち出されたら秒で負ける。
「セラン、カイル。そこまでにしておけ。……体調不良の聖女殿の力を使わせるようなことをするな」
助かった。
邸宅の主であるグラントの声が、穏やかに俺たちを制した。
理屈としても立場としても、反論の余地はない。
そうだ。セランを煽りすぎて、もし手を出させれれば、俺は即座に倒れるしかない。
倒れても、今リシェリアには癒してくれる余裕はない。
「セラン、すまない。調子に乗りすぎた」
「いや、俺こそ軽口に熱くなった」
セランが頭を掻く。
少しの間、互いに視線を逸らした。
「そんな話より、もっと楽しい話にしよう」
グラントが、息の詰まるような空気を断ち切るように言った。
「卿らの好きな部位とか。……なぜか私の嗜好だけが流布されているのでな」
またくだらない方向へ話を逸らす。
「隠していたのか? 知らなかったな。というか、グラント兄は胸も尻も太ももも豊満なのが好きだったろ。……むしろアスティは真逆。だから今でも信じがたいんだが」
俺は肩を竦めながら言う。
アスティは女だてらに、鍛えていて、きわめて引き締まった体つきをしている。
美しさはあるが、……柔らかさや豊満さとは遠い。
「……カイル。さらに勝手に暴露するな。それとこれは別だろう。大体……男でそれらが嫌いなのがいるのか? 描き出す輪郭が男にはないものの極みだろうが」
グラントが心外そうに言い返す。
まるで己の美学を弁護する哲学者のようだ。
「はぁ……別に俺はそこまでじゃない。大きさよりまず質感だ。肌や髪が美しく滑らかなのが好きだ」
俺は軽く息をつきながら答える。
そう――俺は触覚を信じる。
見た目の曲線より、指に伝わる感触の方が正直だ。
リシェリアの肌は、まさにその理想。
陶器のように滑らかで、光を受けて透きとおる。
髪は銀の糸のようにさらさらと流れ、艶やかで、手を滑らせるたびに息を呑む。
「セランは?」
俺はセランに水を向ける。
もしリシェリアを譲ってくれるなら、代わりの女を見つけてやってもいい――そう思った。
「……リシェが俺の好みだ」
セランは不満げに答える。
「強いていえば、まあ。顔と声と体とが……リシェと同じだってんなら、そいつでもいい」
「そういうのいいから」
即座にため息をつく。
それはもうリシェリアそのものじゃないか。
だが、ふと考えてしまう。
リシェリアの、中にいたもう一人。
セランは、リシェリアと同じ顔と声と体を持つ“誰か”を同じように愛せるのだろうか。
……俺は無理だ。
心が違えば、どんなに同じ姿でも違う。
触れた時に感じる“心の手触り”が、まるで別物になる気がする。
グラントが追及の手を緩めない。
「私のところには、お前が歓楽街で女といた目撃情報が何件もあがってきているが? 聞きたいのは選考基準というものだ」
「!?」
まるで尋問のような調子で、グラントはセランに視線を向けた。まるで猛獣に出会ったかのように、分かりやすくセランが静止する。
俺にも新情報だ。こいつ……あんなにリシェリアに傾倒しながら他所で遊んでるのか。後で弾劾してやる。
「聖女殿に報告されたくなくば言え」
俺の思惑をよそにグラントの追求はすすむ。
「う……。はぁー。そうですね……匂いですかね」
セランが渋々と答える。
あからさまに嫌そうな顔。
は?
どうやって第三者がそんなものを判断しろっていうんだ。
「毎回、近寄る前に嗅いでるのかよ」
「近寄るまでにわかるだろ。体調でも変わるし。そもそも煙草や強い香水、体臭が苦手なやつは生理的にダメだ」
……真顔で言うな。
「お前の鼻は良すぎる。参考にならん」
グラントも呆れ気味に言った。
「はあ。つまらん」
「というか、グラント兄はアスティの好みの方を気にしたほうがいいのでは? あの家の人間は、線の細い美形好みだぞ。兄は厚すぎる」
俺は真摯な助言をする。
父親も義兄もアスティも、そろってそうなのだから血の傾向だ。
「アスティの兄貴がリシェリアを見る目はそれか。……二度と会わせねぇようにしよう」
セランが思い出したように呟いた。そう言えばあの家に下宿していたのだから、顔見知りか。あの兄妹揃って、リシェリアを着飾って眺めていたのかもしれないと思うと微笑ましい気もする。
「む……無茶な」
グラントが少し大袈裟に頭を抱えて呻いた。
「別にグラント兄は醜くなんてないが、華やか過ぎるというか、体格が良すぎるんだよな」
俺は兄を改めて見つめた。
背は高く、筋肉は厚く、胸板も広い。
圧倒的な存在感。
セランはしなやかに引き締まっているが、グラントは重厚で堂々としている。
……まあ、残念ながら、どちらもアスティの好む“繊細な美”とは違う。
「はは、俺の方がよっぽどアスティの好みだろうな」
俺は肩をすくめて笑う。
美形で、線と肉の細さには悲しいかな、自信がある。
「兄に勝てることが一つはあったようだな」
「……カイル……お前裏切る気か……」
グラントがわずかにうめいた。
「リシェは別にそういうんじゃないからな」
セランが冷静に口を挟み、俺の高まった鼻っ柱を容赦なくへし折る。
「なんだよ。じゃあお前はリシェリアの男の好み知ってるって言うのかよ」
「知らねえよ。多分、普通に俺だろ」
セランが胸を張って答える。
あまりにも自信満々で、腹立たしい。
「いいか、現実を見ろ。そうじゃないから未だに……」
――そうじゃないから、未だにお前らは“出来てない”んだろうが。
喉の奥まで出かかった言葉を、どうにか飲み込む。
「……最後まで言ってみろ。お前の自慢の顔面を更地にしてやるからな」
セランが低く唸った。
「セラン、カイル。何度も言わすな」
グラントの声が落ちる。
冷えた低音が、火花のような空気を一瞬で鎮めた。




