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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
25章 真夏の夢現
305/311

真面目な検討会議

「別に、脈が全くないわけでもなさそうだった。リシェが言うには」


リシェの見立てであって確定じゃないけれど――と、付け足しながら、セランが簡潔に取りまとめた。

淡々とした報告の声だったが、その言葉には心配そうな気配が漂っていた。


「普通に高く評価してるし、悪巧みだとか、本気じゃないとか思われてるわけでもなさそうだった。譲れないものがあるとかなんとか」


晩餐を終えて、俺たちはまた男だけで書斎に集まっていた。


当のアスティも、メイスン家の伝令が急ぎの要件で押し掛けて、返事を待ち続けているとかで、晩餐後にまたすぐ応接室を借りるわと言って出て行った。

調査をしてくれたリシェリアも、日差しを浴びすぎたのか、疲労かで、微熱が出てしまったらしい。

晩餐にも現れず、部屋で休んでしまっていた。


胸の奥に、小さく棘が刺さるような感覚があった。


――昼間、からかい過ぎたかもしれない。


彼女が笑ってくれていたとしても、無理をしていたのだろうか。

祭祀庁にいる時とは違う時間の流れに、きっと戸惑っているはずだ。

それでも、休んでいる淑女の部屋に押しかけて、今さら謝りに行くこともできない。


俺はその思考を切り替えた。


羽筆を握りしめ、机上の書き付けに視線を落とす。

そこには、セランが聞き取ったアスティからの返答が、俺なりに整理してまとめられていた。


「ま、悪ふざけだと思われてなかっただけましではあるが。結論は……特に可もなく不可もなくだな。本意が伝わっていようとなかろうと、アスティの意向としては応じられない状況だと」


そう言い切ると同時に、俺は手にしていた羽筆をトンと机に叩きつけた。

乾いた音が、書斎の静寂を割る。


「譲れないもの、ね。メイスン家はイオラントが後継者に内定していて、アスティがどこに婚姻を結んでも何の問題もないと思っていたが、……何か、あるのか?」


父同士は仲が良かったとはいえ、クラウディア様とはさほど面識もない。かの人が元王族ということもあり、近寄りがたかった。

そして、人となりを尋ねられる父も母も、もういない。

だから、考え方や方針などがあまり想像できなかった。

アスティと仲があまり良くないとは知っていたが、令嬢らしからぬ振る舞いをする娘と、高貴な元王女では衝突して当然で、アスティに手を焼かされているのだろうと思っていたのだ。


だが、クラウディア様がイェルス家の縁談を受けないと確信できる理由を、アスティは持っている。


まずは、家督を養子のイオラントではなく、実子のアスティに継がせたい場合。

ならば、婿入り以外は受け入れないというのは整合している。

次は、実はもう婚約が内定していて、公表していないだけの場合。

これもありうる。


あとは、あまり考えたくない方向の推論になってしまうが……。


「……カイル。せっかく遠いところにいるのだ。あまり、他家の内部を詮索するようなことは控えろ。火傷では済まない」


グラントが、通る声で俺の長考を遮った。

思わず、顔を上げる。


たしかに、そうだ。

政治における人心掌握や派閥争いなど、無駄が多く合理的でない。そう思って、俺は深入りしないようにしてきたのだ。

もし染まってしまえば、長閑に研究する時間が奪われ、疲弊しか残らないだろう。


素直に、深みに潜るのをやめ、浅瀬に戻って息継ぎをする。


「ま、要は、グラントはまだスタートラインにも立っていないってことだ」


軽く、短く断じる。

指先で羽筆をくるりと回し、まっすぐグラントを指した。


「企み以前の問題だからな。呼べばついてくるなんて、飢えた犬だけだぞ」


「……指すな」


ようやく口を開いたグラントの声は、反論というより苦情に近かった。

低く、押し殺した響き。

その中に、苦笑いと居心地の悪さが混じっている。


しかし俺は意に介さず、冷徹に続けた。


「まずは、スタートラインに立とう」


机を軽く叩きながら、階段を上るように一歩ずつ言葉を置く。


「本気度を示す。同じ土俵に立つ。相手を理解する。相手の望むことを知って、妥協点を探す。断る理由を一つずつ解いていけば、応じる余地は出てくる。――兄が得意なことじゃないか」


淡々と、突き刺すように的確に論じたと自負する。


グラントの口元がわずかに引きつる。

俺は続けた。


「なんで、今まで付き合いのあった女性には、ちゃんと首尾よく手を回せていたのに、今はできないんだ? 複数同時に声をかけて、誰が一番早く振り向くかなんて言ってたくせに」


セランの前で、平然と暴露する。

彼もすぐ横で聞いているというのに、妙な痛快さがあった。


「確かに。兵舎ではグラント様の武勇伝はよく聞いたもんだ」


セランが独り言のように零す。


「むしろ、今までの女性遍歴で敬遠されてるんじゃないのか? 恋多き夫なんて誰も喜ばないからな。そもそもイェルス代々の女狂いは有名だからな……おっと」


セランに乗っかって調子よく口が滑り、気づけば憤怒を浮かべたグラントの視線と目があってしまった。


「カイル……お前こそ、色々と夜遊びに連れて行ってやったのに、落とすまでしか愛想がなくて逃げられてばかりだったろうが。日常がつまらなすぎるのではないか? それに、婚約後の態度に誠意を欠くと、婚約破棄の示談書に書かれていたな。聖女殿を落とせたとしても、すぐ去られるぞ」


グラントの反撃。

的確で容赦がない。


「な……今は……俺のことは関係ないだろう!」


……なぜ、示談書の中身を知っているんだ。

いや……そりゃ、知ろうと思えば知ることはできるか。

くそ。


痛いところを突かれて、思わず声が上ずる。

脳裏に、昔の婚約者の顔がよぎって、居たたまれなくなる。


「カイル。リシェには近寄らないでくれ」


セランが冷たい声で言い放った。

視線がまるで、汚らわしいものでも見るようだ。


「俺には恋愛や結婚のための交流なんて性に合わないんだ、仕方ないだろう! 愛想笑いしながら執務や研究の時間を削ることに意味が見いだせなかっただけだ!」


俺は必死に反論する。

婚約の前段階で、あらかじめそう言っていたはずなのに、後からひっくり返されたのだ。

理解がない人間と家庭は築けなかった。

もちろん、相手がリシェリアなら、愛想笑いなんてすることはないだろうけれど。

自然に笑って、自然に言葉が交わせるし、同じところを見られるはず。


――そう思うからこそ、余計に否定されたくなかった。


「セラン、お前も他人事だと思っていたら、兄に暴露されるからな」


俺は忠告を投げる。

情報の流れは侮れない。

遠征先での夜遊び、飲み屋での噂――拾おうと思えばいくらでも拾える。


セランは、顔色をわずかに悪くして、背筋を伸ばした。


「俺はグラント様の従士ですから、勿論お味方いたします」


……妙に従順な声。

どうやらセランにも“触れられたくない案件”があるらしい。

いつか、手の空いている時に、探ってやろう。

内心でにやりと笑った。


グラントは短く息を吐き、椅子に深く身を預けた。

苦笑を浮かべつつ、ようやく話を締めくくる。


「まあ、大体承知した。諸君らの協力には感謝する。誠実に本意を伝えつつ、まずは情報収集、足場固めといったところだな。……差し当たっては、明日立ち寄る市街散策で歓心を得られそうな品でも探すとするさ。礼として、その店で私のつけで何か購入してくれてもかまわない。二人の意中の人にでも何か選ぶといい」


気まずさを隠すように、わざと鷹揚な調子を取る。

その態度に、少し笑いそうになった。


俺は不満げに返す。


「いや……せびるつもりでやっているわけではないんだけど……。自分で払えるくらいの甲斐性はあるし。買うなら自分で買うさ」


セランも、短く同意するように言った。


「俺も同じです。他人の財布で飾りたいとは思いません」


グラントを真っすぐ見据えるその目は、若干の皮肉を帯びていた。


――“そんなことよりも、もっときちんとしろ”。


言葉にせずとも、そう告げているようだった。


部屋の中に、沈むような静けさが訪れた。潮の匂いの残る風が、カーテンをわずかに揺らす。


誰のための作戦会議だったのか、少しだけわからなくなる。

机上に残った書き付けの黒い線が、グラントだけでなく、俺たち三人の足元まで伸びているように見えた。


その線を先に踏んだのは、意外にもセランだった。

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2026/07/14 【ep.304 名前のない憧れ】に投稿ミスがあり、前話と同じ本文を投稿していました。すみません。差し替えて本来の話を公開しましたのでお手すきでご確認をお願いします。 script?guid=onscript?guid=on
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