セランの再起と苦い現実
二週間ほど経過した。
セランの謹慎は、当初“無期限”とされた。
言葉の通り、彼の中にこびりついた毒気が完全に抜けるまで――つまり、理性が戻ったと誰の目にもわかるまで――という意味だ。
私はその経過を見極めるために、面談の場を設けた。
もっとも、現場の報告によれば五日目には“憑き物は落ちていた”とのことだった。
私の手のものがそう形容するあたり、相当の変化が見られたのだろう。
私はその報告に目を通しながら、ひとまず胸を撫で下ろしていた。
国境にリシェリアを連れて行ったのは私の独断だった。
もちろん、聖女本人たっての要望だった。裏にはカイルからの嘆願すらあった。ただし、実際にどう動かすか、何をどこまで見せるかを知っていたのは、私の陣営だけだ。
アストリットにも、カイルにも誤魔化して動かした。
それが、聖女リシェリアに貸しを作るまたとない機会と思ったのだから。
だから、国境のセランのもとに、連れて行って会わせてやることを選んだ。
……正直に言えば、また賭けの天秤が揺らぐのを、間近で見られるとほくそ笑んだことは否めない。
まさかあれほど傾くとは。
まったくもって、この演目は一度とて予想の範疇にない。
演者は一向に脚本を考慮した動きをせず、予想外に面白く観客の心を楽しませはするものの、舞台裏にいる側としては手に余る。
かといって、二人を寄せて近づけたことで起きた軋みに、予想できなかったとはいえ、胴元として私には責があるだろう。
私は、リシェリアをもはや異常な危険物としては扱っていない。
だが、あの女の力を安全だと思えたことも、まだ一度もない。
油断すれば、彼女の存在そのものが他者の心を染める。
それをわかっていながら、彼だけはなぜか大丈夫なのだと慢心していた。
もし、セランの精神に干渉の痕が残っていたならと思うと、今でも心が疼く。
それでも、結果としてセランには“その傾向が見られなかった”。
報告を受けた瞬間、私はひそかに安堵した。
セランはまだ若い従士に過ぎない。
リシェリアと違い、未知の危険は伴っていない。
為政者の側からすれば、名もなき民の一人だ。
しかし――ただの民だからこそ、軽んじて失っていい命とも思わない。
国家とは、その無名の民の堆積の上に成り立っているのだから。
そして彼のような者を切り捨てるような国では、いずれ根から腐る。
だから、もしもこれが“若者ゆえの暴走”でしかなかったのなら――元に戻してやればいい。
何事もなく、再び歩けるようにしてやればいい。
それが、王の臣としての義務であり、せめてもの贖いのはずだと。
その日、執務室で彼を迎えた。
アストリットも傍らにいた。
彼女は王の姪としてではなく、私の補佐官のひとりとして控えている。
「参上いたしました」
入室したセランは、一礼して静かに顔を上げた。
目の下には疲労の影が残っているが、濁りはなかった。
あの獣じみた光は消えている。
澄んだ金の瞳がまっすぐこちらを見返した。
「崩してよい。……目は覚めたか?」
短く問いかけると、セランは姿勢を正したまま答えた。
「……はい。おそらく」
「なりたいものには、なれそうか?」
それは、半ば試す問いだった。
セランは“騎士を志している”ことになっている。
だが、彼の心が求めていたものは、称号でも、地位でも、武勲でもない。
“守る者”でありたいという、もっと原初的で純粋な願いだったはずだ。
セランは少し間を置いて答えた。
「正直、まだ分からないでいます。でも、諦めません。……終わりがあるものではなく、目指し続けるものだと……今は考えています」
アスティが、その答えを許容するように頷いた。
「ん、まあ。いいんじゃない」
彼女が口を開いた時、空気がわずかに和らいだ。
私は机上の書類を一枚めくり、次の話題を切り出した。
「これは別件――いや、むしろ続きだな。従士セラン。いずれ騎士となることを前提として、イェルス家に仕える気はあるか。……もっとも、この打診はまず私からのものではあるが、メイスン家でもよい」
アストリットに目を向けた。
彼女にはこの面談の前に打診をしていた。
カイルからの“従者に迎えろ”という注進を踏まえたうえで、私もその方がいいと考えたからだ。
無所属で、その時々、見知らぬ地に配備される。
それは聖女の心を乱す。
そして、派閥に迎えることにはなってしまうが、“何か起きた時に”その方が制動がきくのは確かだった。
それには、アストリットも頷いた。
ただし、アストリット自身は自分の麾下にすると言って聞かなかったので、選ばせることになった。
彼女は肩をすくめて、ため息まじりに言葉を継いだ。
「うん、まあ……そうね。今のまま無所属で任務を回させとくのも、ちょっと煩わしくて。いろいろ」
彼女の口調は軽いが、その背後には重い事情がある。
リシェリアを拾い上げたのがアストリットであり、その傍にいるセランもまた、世間からはメイスン家の管理下と見なされている。
メイスン家には、既に各所から“苦情”や“照会”が殺到していた。
聖女に近すぎる青年、地方上がりの従士、紅の髪――
目立ちすぎる存在は、いつだって王都の空気を乱す。
アスティは眉間を押さえながら言葉を続けた。
「ちなみに、本当にどっちの家でもいいの。どうせいつかはリシェリアの方へ鞍替えするんだから。変な貴族に囲われて縛られるより、最初から分かってるところにいた方が揉めなくて済むでしょ? ただ、雑事は増えるし気楽さは減る。……まあ、行儀見習いができる奉公と思っておけばいい。それに――リシェリアの目が届く範囲にいてあげてほしいの」
その言葉に、私はわずかに頷いた。
アスティの意図は明白だ。
距離を空けすぎたことで遠征中の暴走が起きたのなら、今度は適切な距離で繋いでおくべきだ――そう考えているのだろう。
そして、それは私にも異論のない考えだった。
セランは、一瞬だけ視線を泳がせた。
顔に浮かんだのは、戸惑いと自尊心の入り混じった表情。
「……この処分の後に、そのような配慮を受けるわけには……」
言葉は控えめだが、誇り高さが滲んでいた。
彼がまだ、立ち上がる意志を捨てていないことが――
それだけで、私は少しだけ救われた気がした。
「配慮ではない。管理だ」
私がそう言うと、セランの眉がわずかに動いた。
「これは恩賞でも免罪でもない。貴様の配置をこちらにとって最も扱いやすい形に変えるだけだ。私の麾下は楽な場所ではない。もちろん、断っても構わないが、何かを急ぐのにわざわざ遠回りをする必要があるのか?」
二年しかない任期の中で、本当にリシェリアの隣に少しでも早く届きたいのなら、手段を選んでいる暇はない。
そして、二年後にリシェリアが手元に戻る保証はないのだ。
私の見立てだけで言えば、万に一つもないだろう。
今ですら、おそらく、私が婚約という保護を止めた途端に何が飛び出すのか分かったものではない。
その言葉に、セランの喉がわずかに動いた。
沈黙が落ちる。
「メイスン家とて変わりはないだろう。ハーティのように気ままに振る舞えると思うのなら見当違いだ。あれは埒外」
アスティの騎士、リカリオ・ハーティは下級貴族の出でありながら、武勇と実績だけで周囲を黙らせてきた男だ。
私が立ち会ったとしても勝敗は時の運、若さと異能の差でどう転ぶかという程度には強い。
あの厚みは、数年で届くものではない。
「リコを問題児みたいに言わないでよ。……普段はちゃんとしているでしょ」
苦情を言い始めたアストリットの方へ、セランの視線が向いた。
「セラン。あんたを甘やかすために言ってるんじゃない。リシェリアは、あんたが見えないと勝手に心配する。勝手に自分のせいにする。また余計な不安を抱かせたくないの。……あんたがどうしても嫌ってわけじゃなければ」
セランは目を伏せた。
少しだけ苦しそうに息を吐いたあと、ゆっくりと膝を折る。
「ありがたく……お受けいたします」
私は頷き、書類に指を置いた。
「ならば、イェルス家か、メイスン家か。答えを聞かせてもらおう」




