華麗なる手回し
俺は、知る必要があったものを充分知れたと判断して、退出した。
「ヘンリク。便箋の用意を」
自室に戻った後、すぐ机に向かい、静かに書状をしたためる。
普段の、日勤を終えた後の私室での自分の生活、食事や湯浴み、寛ぐことは後回しだ。
大いなる作戦を成功させるためには一番大切なことがある。計画を順風に取り回すためには、済ませておくべき手回し、というものがある。
灯の下で便箋を押さえながら、先ほどの会話を思い返す。
休みが欲しい、と即答したアスティの声。
沈んだ顔で庭の札を見ていたリシェリア。
謹慎で自由を奪われたセラン。
どれも、放っておけば勝手にほどけるものではない。ならば、こちらで糸口を作るだけだ。俺にできる手助けなど、その程度でいい。
書き出しの筆はなめらかで、しかし意図は明確に、段取りよく。
宛先は、イェルス家当主レオグラント。……つまり、グラント兄宛だ。
まず一枚目。
表向きの文面だ。
『先日は、隣国アルハンドアとの国境外交において重責を果たされ、誠にお疲れ様でございました。
帰城後も日々の公務にご多忙のことと存じます。
つきましては、御婚約者であられる聖女リシェリア様、およびその後見人であられるアストリット・メイスン公女殿下を、御領地の別邸へ休養にお招きされてはいかがでしょうか。
本件、節度ある休養の一環として、祭祀庁および王国軍内にも好印象を与えることと存じます』
――定型的な言い回しだ。
歓心を買いたい部下のように、形式を守った進言。
実際、俺は部下なのだから、それでいい。
余計な警戒は不要だ。
一枚目は、誰に読まれても困らない書面でなければならない。
書記官の目に触れても、祭祀庁で控えを取られても、王城のどこかで誰かに拾われても、何も問題のない文面。
だからこそ、余計な感情は入れない。
形式だけを整え、善良な部下らしい顔を紙の上に貼りつける。
だが、肝心なのは二枚目の書面だ。
こちらは、もしもの際には燃やしてもらって構わない内容。
本音と指示、そして少しばかりの願いを書き記す。
『リシェリアとアスティを連れて、休暇に行け』
書き出しから本題だ。
無駄な装飾はいらない。
『貴家とメイスン家との親交が浅いとはいえ、婚約者とその後見人を伴っての休養という体ならば、誰も口を挟めない。形式を盾にすれば、メイスン家当主も干渉は控えるだろう。
それに、グラント自身も、そろそろきちんと休む必要があるだろう。
アスティとの関係を取り繕うのではなく、和解し、腹を割って、きちんと“友誼”を築け。業務は持ち込むな。
こっちで処理できるものは、回してくれればいい。できる範囲は、俺が責任をもって片づけておく。』
俺の筆は止まらなかった。
自分の中に積もっていたものを整理するように、言葉が形をとっていく。
『そして、謹慎期間の終了が間に合うなら、セランをイェルス家従士に取り立て、同行させてほしい。
奴は護衛として使えるし、リシェリアの気も楽になる。
最近リシェリアと少し揉めたらしいと知った。恋敵ではあるが、俺が勝手にグラント兄から距離を取ったように、拗れたまま歳月だけを重ねるのは不毛だ。リシェリアの表情も翳る。機会を与えたい』
ここで筆を置き、短く息を整える。
先ほど、アスティは俺の問いに少しだけ黙った。
それから、面倒そうに眉間を押さえ、短く答えた。
「休み」
あまりに即答だったので、こちらが一瞬黙ったほどだ。
……欲しいものを問われて宝石でも酒でもなく、最初に休みが出るあたり、なかなか追い詰められているな。
ならば、俺のやることはこれだ。
アスティにリシェリアの庇護という、宮廷や日常の責務から離れる休暇を与える。
リシェリアはアスティが好きだ。二人で過ごす休暇ならば、きっと存分に楽しむはずだ。
アスティとグラント兄の距離が縮まることも、リシェリアならきっと気にかける。避暑地での休暇という非日常なら、仕事ばかりの二人も、少しは余計な意地を捨てるだろう。
……そして、セランのことも無視できない。
謹慎処分を受けている彼は、庭の近くを通ることはあっても、任務以外で私室を出ることは許されない。
庭仕事はおろか、リシェリアとの会話などもってのほかだ。
何かやらかして、今は軍規によって私室に繋ぎ止められ、自らの意思ではリシェリアの近くへ行けない。
だからこそ、可能な限り、橋を架けるべきだ。
断絶は、些細なことから始まり、一度固定してしまえば、容易には修復できなくなる。
俺がグラント兄に気後れして距離を取ってしまった時のように。
セランを同行させることは、単なる情けではない。
リシェリアの心を安定させるための手段であり、聖女の力を安定させるための施策だ。
セランの方も、手のつけられない猛獣ならなおさら閉じ込めたまま腐らせるより、役目を与えて視界の中に置く方がいい。
犬は鎖につないで放置するより、仕事を与えた方が大人しい。
リシェリアとセランがぎくしゃくしたとしても、アスティとグラント兄が間にいれば、支えにもなる。
――監視下にあれば、俺としても安心だ。
……強がりではない。たぶん。
グラント兄は、アスティに詫びを入れたいと話していた。
上官として休暇も許可するだろうし、家も貸すだろう。
だが、グラント兄は、正論だけでは動かない。
責任なら背負う。義務なら果たす。だが、自分の休養となると途端に腰が重くなる。
だから、義務と色気とアスティを同じ紙面に並べてやる必要があった。
グラント兄も俺と同じように、合理性を好む。自分の私欲のためには動かなくても、私益と公益を並べてやれば、断る理由より受け入れる理由の方が多くなる。そうなれば、説得は難しくない。
だから、最後に背を押す一筆を添えておく。
『海辺などに行けば、女性陣の脚も多少は拝め、目の保養にもなるかと存じます』
……グラントなら、この文言で一応目を通す気になるはずだ。
本人も休まないわけにはいかない。
言わなくてもわかる――というのは幻想だ。
これまで、互いにそれで何度もすれ違った。
だから今は、きちんと、言葉で伝える。文書にして、誤解の余地なく、届ける。
――それが大人というものだ。
そして俺自身のことだが――
遺憾ながら、この一連の騒動の“主犯”である自覚がある。
グラント兄の都合も考えず、アスティを度々差し向け、図らずも険悪にさせてしまった。
俺といえば、聖女担当官といえども、本来私生活には関わる関係ではない。そしてアーレンスはイェルス家縁戚とはいえ、グラント個人以外に親戚としての交流はほとんどない。だから別邸に招かれる理由もない。
アスティとは、父同士が友人なだけで、最も関わりがない。
だから、この休暇に加われる理由も由縁も……一切ない。
本音を言えば、行きたい。
リシェリアが海を見るなら、その横顔を見たい。風に乱れる髪を直してやりたいし、初めて見る景色に目を細める瞬間を、誰より近くで見たい。
だが、それを望んだ瞬間、この計画は俺の欲になる。
俺の八つ当たりから始まったものを、彼女の休息に紛れ込ませるわけにはいかない。
グラント兄が休暇中は、きちんと休ませてやるためにも、祭祀関連はもちろん、こちらで対応できるものはすべて引き取る。
俺はその間、壁になるつもりだ。
壁とは、閉じ込めるものではない。
外から来るものを遮り、中にいる者が息をつけるようにするものだ。
少なくとも今の俺は、扉をこじ開ける側ではなく、扉の前に立つ側であるべきだった。
――彼らの時間を守るために。
それが今の俺の役目であるならば、せいぜい華麗に引き受けよう。
というわけで、夏のバカンス章の用意があります。
この後もう一本投稿します




