不届者への制裁
セランさんは、腕を組んだまましばらく黙っていた。
沈黙の圧がすごい。
目の奥に、まだ火が残っている。
……いや、あれは火というより溶岩だ。
下手な一言で噴き出したら即死だ。
ごくりと唾を飲んだ瞬間、ようやくセランさんが息を吐いた。
「はぁ……ま、いいや。わかった。色々世話にもなってるからな。チャラってことで頼む」
その言葉に、胸の中で歓声が上がった。
助かった!
本気で助かった!
このまま後頭部がへし折られる未来を覚悟してたのに!
「……あ、ありがとうございます!」
勢い余って直立不動の姿勢で頭を下げた。
「そういやジェス。随分カイルと仲良くなってたよな。今後、カイルに味方するなようなら、お前とは終わりだ」
え。
穏やかな口調なのに、目がまったく穏やかじゃない。
この人、笑ってない。
「し、しませんよ!」
即答した。普通に命が惜しい。
けど、ちょっとだけ勇気を出して続けた。
「僕は……リシェリアさんの側に立ちます」
それが一番安全で正しい答えのはずだ。
僕はいつだって、最も守るべき人の味方になる。
……いや、本能的には、最も強い人の味方になりたい。この庭において、一番強いのはリシェリアさんだ。彼女に与するのは当然と言える。生存本能として。
「バージェス……それは、つまり。俺の敵ってことだな?」
うわ、しまった、虎の尾を踏んだ!
違う!
違う違う!
今のはそういう意味じゃない!
「違う違う違う違う! ちーがうー、違いますって!」
手をぶんぶん振って、必死で否定する。
「仲良くするのは……僕より背が低い女の子がいいなー!」
……あ、口が勝手に。
一瞬、場が静まり返った。
あああああ、何を言ってるんだ俺は。
なんでこんな時に、自分の恋愛観を暴露してんだ。
でも、ほんとなんだ。
僕は小柄な子が好きなんだ。
だって――リシェリアさん、華奢だけど背が高いし。
すらっとしてて、大人っぽい。
同じ年頃の子よりちょっと高くて、正直僕より……いや、言いたくないけど、僕より高い。
……まだ伸びる。
きっと伸びる。そう信じて生きてる。
セランさんは、鼻を鳴らして小さく笑った。
「……ふん。ま、今後はリシェとなんかおかしなこと話したら俺にも教えてくれ。……心臓がもたない」
「は、はい。……何かあったんですか?」
軽く聞いたつもりだったのに、返ってきた答えは想定外だった。
「んー。お前が振ったら死ぬって言ったせいで、消されそうになった」
「なんでさ!?」
思わず叫んだ。声が裏返る。
「えー! 怒らせるようなことしたんじゃないですか? あ。……あちこちで女の子に囲まれたり貢がせてるのバレたとか」
セランさんは顔をしかめた。
「貢がせてねえ!……くれたから貰っただけだろうが」
図星か?
いや違う。たぶん違う。
けど、ちょっと違わない。
僕は知ってる。
セランさんは強いし、かっこいいし、最近は有名になりすぎてる。
表向きリシェリアさんの“幼馴染”とはいえ、恋人ではない。
だから女の子たちも寄ってくる。
あの無口でぶっきらぼうな態度が、逆に興味をそそるらしいんだ。
「冷たい男の優しさが好き」とかなんとか言って。
「そういう女の子たちと、たまにご飯を食べてたりするのも、兵舎では結構知られてますからね……?」
軍に女性兵がいないわけではないけれど、基本的には男所帯だ。そのうえ所属や配置が違うから、住居も配備も明確に分けられている。
すなわち、普通にむさくるしい。
そして……所帯を持たない男というものは、大体は女の人にもてたい。
そんな中で同僚が、女の人と歩いていれば。そりゃ目ざとく見つけられる。
セランさん自身は、本当にただの友人付き合いのつもりなのかもしれないけど……。
遠征先でも兵舎でも、誘われれば飲むし、食べるし、相手が女の人だからといって特別に構えることもない。
でも、相手の方がそうとは限らない。周りだってそうとは限らないのに。
遠征の時の縁談騒動だって、その相手と呑み友達になんてなったから周りが納得しちゃったんでしょうに。
……そこを気にしないところが、この人の怖いところだ。
「別にいいだろ。暇潰すくらい」
……僕には理解不能だ。
好きな人以外と遊んだりすることは楽しいのだろうか。
「ジェス」
その一言で、空気が変わった。
重く、冷たい。
「それより。その話、言ってたりしないよな? リシェに」
――死の宣告。
血の気が、足の先まで一瞬で引いた。
まるで世界の色が褪せていくみたいに、視界の端が白くなった。
心臓が止まったのかと思った。
しまった。
今、何を?
どこまで?
僕、何を言った!?
頭の中で、会話が一気に再生される。
終わった。
これ、絶対終わった。
ああ……走馬灯のように、頭の中で過去の記憶がぐるぐると駆け巡る。
さようなら、僕の人生。
まだ恋人もできてないし、告白もされたことないし、昇格試験も受けてないけど……今ここで終わるのか。
――でも、違うんです。
僕は基本的に、いや、絶対にリシェリアさんが悲しむことは言わない。
彼女は唯一無二の聖女様で、綺麗で、可愛くて、誰もが守りたくなる人なんだ。
それと同時に、僕にとってはもう、花を育てるのと同じくらい繊細で、大樹様みたいにすごくて尊敬する人なんだ。
そんなリシェリアさんが、セランさんのことを大切に思ってる。
……まだ“好き”が恋かどうかはわからないけど、でも家族みたいな、唯一の誰かとして心にいるのは明らかだ。
だから。
だから僕は、セランさんの悪いところは言ってない。
女の子に囲まれている話も、鎮圧でやりすぎがちなところも、座学で寝ていることがあることも。
言ってない。
言うはずがない。
本当に。
本当に、絶対に。
……まあ、女性関係の噂は、僕が口に出さなくても、カイルさんの耳に入るくらいなんだから、同僚や泣いた女の子たちから流れてるんだろう。
自業自得と言えばそうだ。
なんで、リシェリアさんみたいな宝物がいるのに、外で他の子に勘違いされるようなことをするかなぁ……。
ほんと、わからない。
全然わからない。
……でも、リシェリアさんにだけは、ちゃんとしててほしいって思うの、贅沢な願いなんだろうか。
死刑執行の一瞬前。
せめて――医務官か、リシェリアさんが治せる範囲の怪我であれ。
手指が飛ぶのはやめて……。
骨折くらいなら、儲けたとまで思う。
相当重症でも、発見が早ければ、生き延びられる。
多分。
目をぎゅっと閉じて、心の中で全力で祈った。
その時だった。
「おーう、やっぱここにいたなセラン。すぐに来い、総長室からお呼び出しだ」
天の助け!
――王国軍きっての筋肉と威圧の化身、リカリオさん!
大柄で寡黙で、でも怒ると全員を黙らせるタイプの怖い人。
けど今は、神に見えた。
いや、神そのものだ。
「あ? リカリオのおっさんか……待ってくれ。こいつを半殺しにしたら行くから」
セランさんは振り向きざまに言うけれど、手は僕の首のあたりから離れようとしない。
冗談じゃない。
執行する気満々だ。
「馬鹿が。すぐに来いって言ってんだろが」
低く怒鳴った次の瞬間――。
「っ!? ってーな!!」
リカリオさんの足払いが、セランさんの膝裏を正確に突いた。
美しいまでに無駄のない動き。
倒れたセランさんを、ほぼ片手で持ち上げて担ぎ上げる。
……いや、担ぎ方が雑。
完全に麻袋。
「おろせよ!」
バタバタ暴れるセランさん。
いつもの凛々しさも、炎のような雰囲気も、今はただの無駄な足掻き。
「……」
リカリオさんが、セランさんにだけ聞こえるように何かを耳打ちした。
セランさんの横顔から血の気が引いたように見えた。
暴れるのをやめ、目だけがどこか別の場所を見た。
たぶん、心当たりがあるのだ。
「じゃあ、ジェス」
リカリオさんは肩越しに僕を見て、口角をわずかに上げた。
それだけで背筋が伸びるほどの威圧感があるのに、次の一言は案外優しかった。
「セランの坊主は持っていく。……この後しばらく庭に坊主は来れないから、庭のことは嬢ちゃんとうまくやれや」
え?
命は助かった。
助かったけど、え、なんでセランさん来ないの?
ぽかんと口を開けたまま、僕は去っていくリカリオさんと担がれたセランさんの背を見送った。
なんだったんだ、この朝は。
――その答えがわかったのは、午後。
兵舎の告知板。
そこに、太い筆跡で記されていた文字。
『規律違反により、従士セランを謹慎処分とする。職務時間を除き、兵舎外への外出を禁ず』
告知板の前には、何人かの兵が足を止めていた。
誰も大きな声では話さない。
ただ、視線だけが文字と兵舎の方を行き来している。
普段なら誰かが茶化してもおかしくないのに、その午後だけは妙に静かだった。
僕はその文字を見て、もう一度背筋を伸ばした。
命は助かった。
けれど、どうやら僕が思っていたよりずっと大きな何かが、あの休日に起きていたらしい。
ジェスの背が低いだけで、リシェリアの背は平均よりほんの少しだけ高い程度です。踵のある靴を履いてもカイルやセランを越える程はありません。
低→高
ジェス<リシェリア<アスティ≦カイル<セラン<グラント≦リカリオ




