表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
22章 白の希求
265/313

同意と随意

私たちは湯から上がり、寝台に並び、天蓋の飾りを見上げていた。


外は、春の名残をまだ少しだけ残した初夏。

空気がぬるく、肌を撫でる風には花の香りが溶けていた。リシェリアが育てている花々の匂い。露台の向こうで咲き誇り、夜の息づかいのように甘やかに漂っている。


蚊帳の内側、月明かりのような光が薄く天蓋を照らす。

その光を受けて、銀色の髪の美少女が物憂げに寝そべっている。

柔らかな肌の線、あどけない表情、そして時おり指先で枕の端をいじる癖。


なんて美しいのだろう。

絵巻にしたら、きっと王都中の豪商が売ってくれと飛びつく。

……描いてもらおうか。そんな戯言が、ふと頭をかすめる。


リシェリアには、魅了が発動した兆候が一切なくとも、時折息苦しくなるほどに蠱惑的な時があるのは事実だった。


今日、セランがしたらしいことは、寝ぼけていたとはいえ、許されざる行為。けれど、抗いがたい誘惑があったことだけは理解できてしまう。

本能が、人を理性から遠ざける瞬間を、目の前で見せつけられている気がした。


外面ではなく、本能に訴えかける何か。

種が蔓延るために香る花、色づく果実。

リシェリアの危うさにそんな意味があるとしたら、何のために――。


そんなことをふと思い浮かべて慌てて打ち消した。


だから、なんだっていうの。

リシェリアに罪があるわけじゃない。


そんな馬鹿みたいな想像など、露知らずリシェリアは顔を上げて私に笑む。


「セランって。澄ましてるように見えるかもしれないけど、結構甘えん坊なんだよね」


そうこぼしながら、枕を抱えて転がるリシェリアは、まるで猫のようだった。

寝台の上でふわりと転がり、くすくす笑う。その笑みの奥にある危うさが目に留まる。


……普段あれほど節度を守り、表情ひとつ崩さないカイルのほうが、よっぽど理性のある紳士に見えてくる。

リシェリアの無防備さを前にして、あの男が禁止項目に縛られながら、己を制していたと思うと、少しだけ感心してしまう。いや、見直すべきかどうかは分からない。


「カイルは、何でも知っていて頼りになるのに、ふと可愛らしくて。ついからかったりしたくなる」


顔を手で覆い、指の隙間から覗くリシェリアの微笑。

その笑みには、母性と魔性が同居している。

可愛がりたいのに、同時に試したくなるような危うさ。


先ほども……どちらも好きで、愛していると言っていた。

恋愛的な差なんて、きっと彼女の中では大した意味を持たないのだろう。


「じゃあ、そこまでは、いいとして」


軽く区切って、私は話の軸を少しずらした。


「セランとしている、その口づけ、カイルにもされたらどうなの。ちょっと嫌とか……したいとか」


二人の男にリシェリアはどんな差を持っているのかが気になった。

その差は僅かでもいい。どんな要素が彼女の価値観に影響するのかが知りたかった。

それはもう賭けのためではなかった。

どちらに心が傾いているのかを知りたいのではなく、彼女が何を恐れ、何を許し、何を自分の意思として選べるのかを見極めたかった。

そうしなければ、セランにもカイルにも、そしてリシェリア自身にも、どこで止まればいいのかを教えられない。


グラントと交わした、カイルとセランのどちらがリシェリアと結ばれるかという賭けのことなど、すでにどうでもよかった。

くだらない好奇心と言われてもいいし、探求心とも言い換えてもいい。

リシェリアが泣いて苦しんでいた時点で、勝負など成立していない。負けで構わない。

グラントだって、そんな遊び半分の賭けに本気で代償を求める人間ではないと信じている。


問うた瞬間、リシェリアが目を丸くした。


「え。あ……カイルもしたい、のかな?」


照れたように頬を赤く染めていく。


「濃いのは……ちょっと近すぎるから、少し、恥ずかしいね」


その姿は、恋する“普通の女の子”そのものだった。

私は胸の奥でひとつ息をつく。

異能がどれほど超越していて、心がどれほど純粋で、神がかっているように見えても、彼女の体はちゃんと人として反応している。

少しだけ安心した。


……それなら、セランのほうが有利かもしれない。そんな思いがちらりと過る。


それなのに、続くリシェリアの答えは急に乾いた。


「でも、カイルがしたいっていうなら、もちろんいい」


その一言に、思考が止まった。

数秒前まで恥じらいで頬を染めていた彼女の表情から、言い終えるころには、すっと色が抜けていた。

そこにあるのは、感情の揺らぎがない聖女の顔。


湯上がりの温もりが残っていたはずの部屋で、背筋だけが冷えていく。

数瞬前まで頬を染めていた少女が、同じ口で、まるで水差しを差し出すように自分の身体を語っている。

その切り替わりの滑らかさが、かえって恐ろしかった。


「あ、少し前にね。もし……私のことが好きで、抱きたいと思うなら、寝室に連れていってもいいですよって言ったことがあるんだけど、カイルには断られちゃった。セランにも、今日より前に、したいならいいよって言ったこともある。その時は、今じゃないって言われて終わったの。うん。今日だって、それだけが目的じゃないって怒ってたし」


リシェリアの推論は、まるで誰か別人の口を通しているようだった。


「二人とも、恋はしていても、そこまで体で触れ合いたいとかはないのかも。……あ、ううん。セランは違うね。今日寝ぼけるほど我慢してくれていたんなら、させてあげれば良かった。忘れちゃってたな」


愛らしい顔に宿った冷静すぎる論理。

そこに倫理も羞恥も感情の揺れもない。

私は、まるで深い湖の底を覗き込むような気持ちで、彼女の横顔を見つめた。


「あっ、待って、大丈夫。まだ、何もしていないよ! アスティがほら、押し通すのは良くないって言ってたから、断られたから。無理強いもしてない」


そういう意味じゃない。

あの問答での話は、体格差で男側が押し通してくることに気をつけろという話のつもりだったのに……いつの間にか、彼女の中ですり替わっている。


リシェリアは、本能的に自分の方が強者だと、わかっている。


「いやいやいや、待ってね。貞淑でいろとか、そういうことを言う気はないけど……」


声を出すまでに、少し時間がかかった。

なんと言えばいいのか、言葉を選ぶより先に、思考が追いつかない。

この子の恋は、どこへ向かおうとしているのだろう。

アスティとの問答は ep.191 恋とはどんなものかしら の事です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2026/07/14 【ep.304 名前のない憧れ】に投稿ミスがあり、前話と同じ本文を投稿していました。すみません。差し替えて本来の話を公開しましたのでお手すきでご確認をお願いします。 script?guid=onscript?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ