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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
2章 赤
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雑草の発芽

「リシェ。次はどうする」

鍬を片手に俺は問いかけた。


裏庭はまだ土の色が勝っていて、緑は乏しい。広々としているはずなのに、そこに漂うのはむしろ空虚さだった。風が通ると、乾いた土の匂いが鼻をかすめる。殺風景だからこそ、隣にいるリシェの存在が際立つ。


「んー。もう指定されてるものは植えたから。どうしよ」

リシェはしゃがみ込み、両手でいくつかの種袋を持ち替えては表を眺めている。真剣に選んでいる顔は、それだけで俺の顔も緩む。


「好きなの植えな。これは?茶にしてよく飲んでる」

俺は一つを指に挟んで差し出す。薄荷(ミント)だ。爽やかな香りが少し漂った。


「違うの。たくさん生えちゃうから仕方なく飲んでるの。嫌いじゃないけど。…これにしよ。セランが好きでしょ」

彼女は別の袋を選び出した。迷迭香(ローズマリー)


「……俺は草は嫌いだよ」

口では素っ気なく返す。だが、胸の奥では違う。俺の好みで選んでくれたことは嬉しい。


「ううん。これはね、お肉やお芋が美味しくなるやつなの。いつもうまい美味いってセランは食べてたよ」

頬を膨らませ、むくれたように言い返すリシェ。その姿は幼い頃から変わらない。


仕方なく、俺は笑って折れる。

「じゃあ、それでいいよ」

彼女と並んで土を掘り、迷迭香の小さな種を置いていく。土の中に未来が隠されていくみたいで、胸の奥が静かに満たされた。


ここでは窓からの視線はあっても、会話までは届かない。不意に入ってくる者もほとんどいない。俺とリシェが自然体で過ごせる、ささやかな聖域だった。草丈が伸びれば、さらに視線は減る。早く育ってくれと願う。


そんな穏やかな時間を裂くように、声がした。

「セラン。……リーシュ」


裏庭の入り口に茶髪の影が立った。声と同時に、鼻腔にわずかな匂い、耳に響く足音。俺の体が反射的に警戒を強める。


……ダリオ。


リシェが立ち上がり、礼をしようとした瞬間、俺は彼女の腰を強引に引き寄せ、やや後ろにかばった。無言の意思表示だ。


そのとき確かに見た。

ダリオの瞳に、ほんの刹那だが不快の色が走ったのを。


ああ、黒だな。

胸の奥で確信が固まる。


俺は表情を整え、兵士らしく礼を返す。

「ダリオ、ご苦労様です。なにかありましたか」


同時にリシェに向けて言葉を添える。彼の立場を知らせるために。

「リシェ。俺のここの指導教兵のダリオさんだ。ほら、……最初にあった時、アスティの部隊にいた人だ。顔は知っているよな」


リシェはうなずき、普段とは違う、距離を取るときのすました笑顔を作って改めて挨拶した。

「ご機嫌よう、ダリオ様。セランがお世話になっています」


「リシェリア。こうして会話するのは久しぶりだな。元気そうでうれしいよ。俺に、様なんてつけなくていいよ」

ダリオはすぐに破顔し、軽い調子で返した。


「俺も適当に呼ぶからさ。リシェ。リーシュ」


「わかりました。ダリオ」

リシェの澄んだ声がそう告げた瞬間、ダリオの口元に浮かんだ笑みと裏腹に、不愉快さが走った。勝手に愛称を作って呼び始める厚かましさに、胸の奥で苛立ちが膨れ上がる。俺は感情を押し殺し、声だけは冷静にして訊ねた。


「それで、どうしました?」


「ああ。当番変更があったのにセランが来ないから分隊長から言われて呼びに来た。ただちに裏門へ行け」


「!?」

耳を疑った。

そんなはずがない。今日は既に当番を終えている。規律上、連勤は原則として組まれない。緊急の出動ならまだしも、ここまで平穏な一日に何の報せもなかった。


だがダリオは、当然だとばかりに抜け抜けと続ける。

「お前の代わりに俺が手伝っておく。帰りもリーシュを送るから、心配ない。行け」


その言葉が刃のように胸を刺した。冷たいものが背筋を流れ落ちる。やりやがったな。

……俺はリシェのそばにいるために兵士になった。けれど兵士である以上、規律は破れない。抗弁すれば俺自身の立場を危うくする。


悔しさを押し殺し、ため息をひとつ吐いてリシェへ向き直る。

「リシェ。俺はいかなきゃいけない」


彼女にだけ聞こえるよう、さらに声を落として告げる。

「……今日やらなきゃいけないことは大体終わったろ。明日以降にしてもう帰れ」


裏庭は解放された場所とはいえ、死角が多く、時に密室に近い。彼女を残していくのは不安だ。けれど、人目のある城内に戻してしまえば、まだ安全は確保できる。ダリオには帰りの護衛をさせておけばいい。どうせそれ以上はなにもできない。


リシェは素直に首肯し、ほんの少し微笑んで答えた。

「わかった。頑張って」


その一言に背を押されるように、俺は振り返らず庭を出た。


だが背後で、俺の足音が遠ざかるのを待っていたかのように、ダリオがリシェへなれなれしく話しかける声が耳に届く。何を言ったのかは聞き取れない。けれど、胸の内に不快さがじわじわと堆積していく。


ここは城内。リシェリアももう、“知らない人”との付き合い方くらい心得ている。大事にはならないだろう。

……それでも、ただただ不愉快な思いだけが募っていった。


翌日。

納得がいかない叱責を受けて、胸の内に澱のような不服が積もっていた。俺の落ち度ではないはずの遅刻。だが記録上は「当番変更の確認を怠った」とされ、言い訳もできない。結果、連勤を押し付けられ、身体も心も削られていた。やはり昨日の当番は、ダリオが巧妙にねじ込んだものだった。抜け道を塞ぐように、わかりにくい形で仕組まれていたのだ。


合間に、ほんのひとときだけ、廊下でリシェとすれ違った。

その姿を見た瞬間、疲れ切っていた体にふっと力が戻る。侍女が控えている場だったから、気安い言葉は使えない。


「聖女様」

形式ばった呼びかけで、彼女の歩みに合わせた。


「セラン。おはようございます」

リシェは静かに答え、白い手を差し出す。手の甲をこちらに向け、仰々しい所作で礼を求めてきた。普段はめったにしない仕草。けれど、その瞬間だけ、俺は彼女の騎士であるような気分になった。悪くない。いや、むしろ誇らしい。


差し出された手にそっと顔に寄せると、リシェが目立たぬように癒しの力を流し込んでくれた。じんわりとした温もりが掌から腕を伝い、疲弊した体に染み渡っていく。喉の奥で小さく息が洩れた。ありがたかった。


「お勤めご苦労様です。……昨晩問題なかったでしょうか」

言葉の裏に、あの裏庭でのことを探る意味を込める。


「……そちらこそ、重ねてのお勤めお疲れ様です。わたしはなにも。問題ありませんでした」

リシェは柔らかに返してくる。言葉は外向きだが、その目は真っ直ぐに俺を見つめ、心からの気遣いを伝えてくれていた。

その証拠に、先ほどの癒し。俺の様子をつぶさに見ていたからこその行為だ。


胸が温かくなった。

それに——リシェの体からは、昨夜何かがあったような気配も匂いも、一切感じられない。いつも通り、透き通るように清らかだ。ならば本当に、大丈夫なのだろう。


「良かったです。それでは失礼いたします」

名残惜しさを押し隠し、形式的に礼を取って別れを告げる。


「ええ、大樹のご加護を」

「聖女様にも、大樹のご加護があらんことを」


互いに口上を交わし、俺は歩みを引いた。


だが胸の奥で、別の決意が根を張っていた。

リシェの周りに忍び寄る雑草のような存在——ダリオ。

芽吹き始めた今のうちに、必ず駆除しなければならない。

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