各々知る事、隠し事
カイルに、緊急で相談したいという内容で呼び出されるのは、これで三度目。
どうせまた茶番だとも思っていた。
だが、ジェスの件が起きたばかりだった。
「異変があった」と言われれば、呼び出しを無視するわけにもいかない。相手がカイルであろうと、聖女の後見人として、副総長として、近衛を預かる者として、応じざるを得なかった。
けれど、馬車に乗り込んでからの行き先が気に入らなかった。
やはり、向かっているのは異常があったという祠堂の方向ではない。つい最近も通った、見覚えのある道筋――イェルス邸だ。
またしても、カイルの仕掛けた小芝居なのは、もう明らかだ。リシェリアとの時間を邪魔された腹いせに、私をグラントの邸に連れ込んで、時間を浪費させようという魂胆だ。そう思うと、腹の底にじわりと苛立ちが湧いた。
「……あんたさ」
沈黙を裂くように声をかける。
車輪が石畳を叩く音が、やけに響く。
……いい加減にしなさいよ。
そう言いかけてやめた。
「何か?」
カイルは、頬杖をついて窓の外を見ていた。こちらを見る気も、今更芝居を続ける気もないようで、子憎たらしい。
馬車が動き出してしまえば、私も逃げようがない。開き直ったのだろう。
……だが、それはカイルも同じだということを教えるちょうどいい機会だ。
「隠してること、あるわよね」
口調を強めて、前に身を乗り出した。
「今まで見逃しておいてやったけど」
カイルは動かなかった。
だが――反応しないように、わずかに肩が強張ったのを私は見逃さない。
「あるわよね」
そう言って、脚を組み替えるふりをしながら、脛を靴のかかとで小突く。
「……! ……ない」
口を割らないつもりか。
嘘をつく時の息の詰まり方を、私は何度も見てきた。この動揺は、聞かれたくないことが幾つかあるのだろう。
別に、何から何まで吐かせる気もない。
「リシェリアのことよ」
……簡単な男だ。
多少は頭と口は回っても、あくまでも常人の範疇。根が善良で、真っ当で、あまり後ろ暗いところのない人間だ。それは美点で――弱点でもある。
リシェリアの名を出した瞬間、車内の空気が変わった。
カイルの目が、わずかに揺れる。
彼女の名を出すだけで、こいつの理性は半分崩壊する。
「……すべき報告はしている」
自己判断で、“すべきじゃない”と思った報告は、していない――そう聞こえた。
そう。そういう奴だ。
私は、とっておいた札を切る。
「ラトリエで嵐を消した時。リシェリアに何をしていたか言ってごらん」
カイルの灰紫の目が、私をまっすぐに見返した。
逸らさない。逸らせない。
だからこそ、そこにわずかな怯えが見えた。
「なんのことか、ぐっ……!」
脛を、今度は少し強めに蹴る。
とはいってもカイルは文官だ。兵を蹴る時よりは、ずっと加減している。
「私は見ていた。答えなさい」
「蹴るな!」
「私が今、同じことを、あんたにやってもいいのね?」
あの時、カイルはリシェリアの内面を覗くような仕草をした。
あれがどういう術なのか、どんな理屈なのかは知らない。
だが、人の心を覗く行為は禁忌だ。何が見えるかも、何が溢れ出るかも分からない。
カイルの場合、覗いた先も色呆けの地獄ということになるだろうが。
カイルの眼前へ手を伸ばし、威圧する。
「……それは! それはダメだ!」
さすがに狼狽した。
窓に貼りつくようにして、逃げ場を探している。
ざまあみろ。
「なら吐け」
「……あれは、大したことじゃないんだ。リシェリアの知覚視野を借りた。彼女が許可した視覚しか見えてない」
観念したように、肩を落とす。
それでも弁明の余地を探すように、早口で続けた。
「嵐の掌握をする手伝いをしただけなんだ」
「いいでしょう。それで」
とりあえず理屈はいい。
「でも慣れているようだったわ。初めてじゃないわね」
「……目ざとい……っ、痛ぇ!」
最後にもう一度蹴った。
「そうだ……ただ、発案したのはリシェリアなんだ。あれで視覚や感覚を共有するのは、便利で有用だ。あの時は咄嗟に……」
「では、なぜ報告しない」
カイルは、苦虫を噛み潰したような顔で続けた。
「表向きに開示して、皆が実証や実験に走るのは危険だ。リシェリアだから、できることなんだ」
言いながら、目がどんどん陶酔に近づいていく。
いつもこうだ。自分の感情を隠しているつもりで、滲み出る。
この中に、魅了のような兆候がないか目を凝らした。
「かといって、リシェリアを皆が実験対象にするのも困る。俺だけの胸にしまっておくべきだ」
……自分だけ特別扱い。
それでも、瞳の奥に濁った暗さは見当たらない。
軍事法廷で見た、ダリオの救いようのない視線。
忘れることはできない。
「はあ。……まあ、一理はある」
深く息を吐く。
安心と呆れ……どちらが優位かは私にもわからなかった。
「でもね、後見である私には言うべきでしょう。知っていれば助けられる時もあるんだから」
「……君だって、開示していないことがあるはずだ」
カイルが恨めしげに私を見た。
もちろん、ある。
リシェリアの私的な情報。
その特異な能力は、いいことばかりではなかった。断片的に把握している、サリーナという町での被災と、その後。元養父母の消息。彼女が苛まれる悪夢や迫害の経験、二人が放浪時に各地で起こした破壊や違法行為もあった。
リシェリアから聞いたことも、私が勝手に調べ上げて、本人たちすら知らないことも知っている。
だけど、それは一部の人間だけにとどめておくべきことで、やたらに広く知らしめる必要のないことだ。
「当たり前でしょ。物事と立場を考えろ」
そう言ってやると、カイルはため息をついた。
その音が、やけに長い。
そして――少し声の調子を落とした。
「この機会に、もう一つ伝えたい。これはまだ確証がないし、もう知ってるのかもしれないが……そうじゃないなら、ここだけの話にしてくれ」
目で促すと
カイルは頷きながら、まるで考えを整理するように、低く続ける。
「リシェリアの内には……別の知性を感じる。得体の知れない存在。別の意識……意思……神なのか……?」
馬車の音が遠のいた。窓の外の光が、彼の横顔を斜めに切る。
私は思わず黙り込む。
軽口で済ませられないほどの響きを、その言葉に感じた。
カイルの灰紫の瞳が、ほんの一瞬――恐れを宿した。
「あ、すまない。俺の中でもまだ整理できていなかったんだ」
ほんの少し黙り込んだあと、カイルは語り出した。
一度話し始めれば止まらなかった。
まるで、胸の奥で長く煮詰められていた思考が、ようやく新鮮な空気の出口を見つけたかのように――途切れなく、次々とあふれ出していく。
「先日の石室でのことだ。リシェリアが行った調査と癒し。本人がまた倒れたのは報告した通りだが……行使した力の内容や精度が異常に高度だった」
その声音には、いつもの理知さとは違う色があった。
机上の分析でも、冷静な理屈でもない。
まるで恐怖と驚嘆が入り混じったような響き。
「足場、階段、扉、蒸発――本人が初めて使うはずの手法を、当然のように行使した。陶酔……いや、無我の状態だったとのことだ。再現もできた」
淡々と語るようでいて、言葉の端がわずかに震えている。
その目には、信じたくないものを無理やり整理しようとする焦りが見えた。
「そこまでで、本人の記憶は途絶したらしい。だがその後も、俺と明瞭に会話をしているんだ」
記憶を失ったのに、会話はできる。
その矛盾を口にしているカイル自身が、まだ答えを持っていない顔をしていた。
「……また、思考を紙に転写するという御技を披露した。……これは再現できていない」
カイルという、あの傲岸不遜な男が。初めて見せるような顔をしていた。
眉間に深い皺を刻み、唇の端がかすかに引き結ばれている。
不安――それも、恐怖に近い種類の。
「現物もあるから、いずれ見に来てくれ」
彼は小さく息をついて、視線を落とした。
「その転写図は……筆跡もリシェリアのものじゃない。そして、記載された内容は彼女の知性の範囲外だった」
言葉が途切れた瞬間、馬車の外を通る風の音が、やけに遠くに感じた。
胸の奥が冷たく沈む。
――それは、ただの“奇跡”ではない。
そんな予感だけが、静かに、確実に広がっていった。
「……なるほど」
思わずその言葉が漏れた。
はじめて聞く話だった。理解は追いつかない。
けれど、どこか納得できる――そんな感覚が確かにあった。
原因も、理由も、まだ霧の中。
でも、リシェリアのあの異様な力の片鱗を実際に見てきた私には、カイルの言葉の重みが、ただの妄想や詭弁とは思えなかった。
カイルは、しばし沈黙したあと、低く息を吐くように言った。
「リシェリアは……普通の……ちょっと浮世離れしてるが、普通の、良い子なんだ。……魔女や災禍なんかじゃない。俺は知ってる」
声が震えていた。
まるで自分に言い聞かせるように。
信じようとする気持ちが、痛いほど伝わってくる。
彼の中では、きっと何かの“線”が、すでに引かれてしまっているのだ。
――彼女を疑うか、それとも信じ抜くか。
その間で、何度も何度も揺れながら、それでも信じたいと願っているのだろう。
私だって同じだ。
リシェリアは、私にとって大切な妹分。
少し天然で、よく笑い、よく泣く。
あの子が“災厄”だなんて、そんな馬鹿な話があるか。
だから、カイルに続きを促した。
「……続けて」
カイルは、顔を上げる。
その目に、いつもの理知的な光が戻っていた。
「俺は、それを調べている。知ろうとしている。そして……それが恐ろしいものなら、目覚めさせないまま、閉じておくつもりだ」
決意の言葉。
一つひとつの音が、重く沈んでいく。
その“閉じておく”という言い方に、私は胸の奥で何かがざわついた。
まるで、リシェリアの中に封じられているものを、知っているような口ぶり。
それでも、彼の覚悟は本物だった。
「わかった。そこは信じて任せる。……でも、何かあれば必ず報告はして」
「……ああ」
短く頷いたその横顔は、いつになく弱く見えた。
ふと、脳裏をよぎる。
――セランは、このことを知っているのだろうか。
あいつのことだから、知らなければ知らないでいいと思っていそうだ。
セランは、リシェリアを全肯定する男だ。
“リシェリアなら、それでいい”と本気で思っている。
遠征から戻ったあとの彼の様子を見れば、それは明らかだった。
表向きは落ち着いていたが、時折見せる視線の熱――あれは、恋慕を通り越して陶酔に近い。
あまりに長い空白期間。
どれだけ理性が鉄でできていようと、錆びないはずがない。
ようやく再会した彼が、リシェリアにあてられてしまうのも無理はない。
たしか今日は、二人で久しぶりに休暇を取っていたはずだ。
……何をしているだろう。
浮かぶのは、二人の穏やかな佇まい。
肩を並べて笑い合う光景。セランとリシェリア、二人の間には
まるで冬の陽だまりのように、見ているだけで心が溶けていくような純粋さがある。
恋とは、本来そういうものなんじゃないかと思ってしまう。
理屈も損得もなく、ただ隣にいるだけで満たされるような美しいもの。
政治や血統に縛られていない自由なものがそこにある。
だから別に――別の男と婚約していようと、使命のただ中にいようと。私の賭けた方と恋しなくても。
リシェリアが望んだ恋が成就するなら、それはそれでいいと私は思っている。
あの子が幸せなら、いい。
……カイルは泣く事になるかもしれないけどね。
本来なら、リシェリアに恋の悩みがあるはずだった。
前に、そんな話をしようとしていたのに――結局、聞けずじまいだ。
一瞬、ジェスの報告が頭をかすめた。
小屋、密室、長すぎる再会。
けれど、すぐに打ち消した。
セランに限って、リシェリアを傷つけることはない。
次に会ったら、ちゃんと聞こう。
そう思ったところで、馬車が静かに止まった。
御者の声が響く。
「イェルス邸に到着いたしました」
扉が開けられ、外の光が差し込む。
グラント家の執事が丁寧に一礼し、手を差し伸べてくる。
「あ……しまった」
思わず小さく呟く。本当は、王城にとって返すつもりだったのだ。
カイルの話に引きずられすぎた、
警戒すべきことが多すぎて、肝心の足元を見失っていた。
……仕方ない。
せっかく来たのだから、ついでに一つ、グラントにも小言を言って帰るとしよう。




