聖女の番犬
セラン視点になります
※津波災害描写があります。
俺はトルニカ村のセラン。
俺にとって犬と呼ばれることは悪口じゃない。
リシェリアとの出会い――それは物心がついたころだ。
身元の分からない少女が保護され、見つけたうちの親が引き取って育てたからだ。森に隠れ住む隠者の集落の出か、戦禍を逃れた難民の子か、誰も知らなかった。
それがリシェリア。リシェ。
俺の妹分。幼馴染。そして、いずれ俺の番いになる女だ。
当時の俺は、親父に初めての猟犬の子犬をもらうところで、子犬の中に混じっていた白い子供がリシェだったらしい。
赤毛ばかりの俺の村、トルニカの中では、その鮮烈な白は一層目立った。初めて見たときから、焼きつくほど綺麗に見えた。
霜が降りたような銀色の髪、湖面の青い目。冬のような色彩で、それが陽の光を受けたときにだけふっと零れる柔らかい表情が、俺の胸を刺した。
リシェはしばらく村で俺たちの家族の中で育った。そして、異能とと容姿に目をつけた、近くの町の金持ちに貰われていった。
村にいた頃のリシェは、今の聖女様に仕立て上げられた澄ましたやつとは少し違う。俺たちや犬と森と一緒に転がって育ち、泥だらけで丸まって寝た。狩りに付いてくることもあれば、木の上まで登って降りられなくなるようなやんちゃもした。一緒にいれば不思議と獲物がよく採れたし、森や自然の中ではまるでそこが自分の庭のように振る舞った。精霊に愛されている――そう村の年寄りが言うほどだった。
町へ行ったあとのリシェは、まるで別人のように洗練され、お嬢様になっていた。狩の成果を行商に町による度に、見かけては眩しかった。
少し寂しかったが、嬉しくもあった。自分の知っている子がお姫様になったと思って。
けれど結果として、その町はなくなった。
大きな波が押し寄せる災害があって、すべてを飲み込んだ。俺は愛犬のウルガと慌てて町まで駆けつけてリシェを探し歩いた。ウルガの鼻でリシェの匂いを辿らせて、緩い地面を彷徨い探した。
リシェは運良く生き残っていた。
事前にその危機を町や新しい養父母に預言したが、出まかせだと地下室に閉じ込められていたから。その地下室が流されたり潰されたりしなかっただけだった。
生き残りの人々の反応はさまざまで良かれ悪しかれ、彼女は異質な存在として線を引かれた。そのことが、俺には不満だった。警告していたのにそんな目を向けるのかと。
俺はリシェの手を引いて、まだ揺れを残す災害地を逃げ帰った。
俺の村も無事ではなかった。
村こそ残ったが、潮によって山も森も傷めつけられた。村は、この先、町の生き残りに混ざる者、新しい山を探す者とで散り散りになることが決まっていた。でもそのどちらもリシェを受け入れるのを拒んだ。
リシェはあてどなく去らなければならない。俺の家族は娘も同然のリシェを再び引きとって一緒にいこうとはしたけど、母は身重だったから。
だから俺は家族に別れを告げて、リシェと共に行くことを選んだ。狩を独り立ちたばかりの小僧とその妹分の無謀な旅立ちだったと思う。
落ち着ける場所を求めて、何年も転々と流れて暮らしてきた。その中で盗んだり、空き家に忍び込んだり、怪我させたり良くないこともしてきた。この放浪にウルガがいれば、心を慰めてくれたし番犬にもなったし、狩も捗ったかもしれない。もう少しはマシに生きていただろう。
でもウルガはあの大波の日。リシェを助け出した後に、崩れる瓦礫からリシェを守るために潰されて――死んでしまっている。
だから俺が。リシェのことが大好きだったウルガのように、あらゆる災難からリシェを守る。それが俺の役目のように感じていた。
リシェの手を伸ばしたやつに威嚇し、かみつき、蹴散らす。そんな生き様を、番犬のように言われるなら。いっそ誇らしい。
これがアスティに見いだされる、一年前までの顛末。
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リシェが初めて城に登ってきた日の光景がまだ頭に残っていた。
馬車から降り立って簡素な服をまとったリシェの姿。
俺が幼い頃からずっと傍にいて守ってきたあの少女が、今や「聖女」と呼ばれて一国の城に迎え入れられている。その事実は誇らしい反面、胸の奥に妙なざわつきを生んでいた。あんなに隣にいたのに届かない存在になってしまうようで。
今は日中の一兵卒としての当番勤務を終え、鎧を脱いだ身で鍬を握っていた。
空き地を耕すなんて、地味すぎる作業だ。けれど俺にとっては、これこそが最も大切な任務だ。
ここは聖女に与えられる庭園。
大樹や自然と親しくなるため、という名目の裏庭で、リシェが自由に手を加えることを許される場所。祭祀庁と軍の庁舎を繋ぐ回廊の奥にあり、人目はあるが、木々が茂ればやがて人の視線を遮る静かな場所になる。
リシェが役目の合間に心を休めるのに、これ以上ふさわしいところはないよな。
俺はリシェの庭を補助する作業員として、この庭への出入りを許された。
身分に縛られず、聖女が選んだ人間はここで自由に働ける。形式上は公務だが、俺にとってはそんな言葉はどうでもいい。リシェが本格的に庭に関わるとき、少しでも楽ができるように、せめて土を柔らかく整えておきたい。土の匂いに包まれながら鍬を振るい、これからここがリシェの庭になるのだと思うと、胸が満たされていく。
好きな種を選んで共に植え、花が咲くのを一緒に眺める。彼女の頬に浮かぶ笑顔を思い浮かべるだけで、額から滴る汗も心地よい報酬に変わる気がする。
これは追加勤務なんかじゃない。むしろ、神様が俺に与えてくれたご褒美の時間だと思えてしまう。
これは、兵士になって、聖女とは身分も生活も分かたれることとなった俺へ、アスティが用意してくれた計らいだとわかってはいる。それでも。まだ城の中で大した働きもしていない俺にとって、誇らしい任務だった。
腕には、聖女の庭に出入りを許された証の腕章がある。
他人に『リシェの関係者』と示せるものがあるだけで、どれほど救われるか。
——まるで、リシェに首輪をつけられたような気分だ。
縛られているはずなのに、不思議とそれが嬉しい。




