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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
18章 模索
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手探る恋、手繰る縁

カイルに、カイルの恋を教えてもらっている。


それはまるで、透明な器の中で心が動くのを覗かせてもらっているような時間だ。

どんな時に瞳が揺れるのか、どうして声が少し掠れるのか。

何が胸の鼓動を速くして、何がそれを鎮めるのか。

一つ一つを観察し、確かめ、言葉にしてもらう。


それは恋という初めて見た花を、野生から庭に植え替えて。少しずつ世話しながら育て方を見つけるような作業だった。

まだ私の中に芽吹きを感じていないから、カイルに咲いている花だけど。


「ああ、これが嬉しいんだね」


「そうすると、悲しいんだ」


知るたびに、心の奥で何かが灯る。


もっときれいに咲くように頑張ろう。

枯らさないように。

まだ手探りで、真似事にすぎないけれど、カイルがそれを嬉しそうに受け止めてくれると、私も嬉しくなる。

その笑顔が、たしかに私の中の“喜び”を呼び覚ます。

そのとき初めて、私もいつか咲くかもしれない形を、ほんの少しだけ想像できた気がした。


けれど、まだわからないこともたくさんある。

恋をしたら、次に何をするのかとか。

ジェスは、行動じゃなくて気持ちだと言っていた。

ラファは、行動も時には必要なことだと言っていた。


どれが正しいのだろう。


私は多分、言われたことやもうある規則に合わせて生きるのは得意。

異能も、庭も、聖女ですらも。

誰かが知っている正しい道に入れさえすれば、歩いていくことはできているから。


恋には、今のところ……道しるべがない。


荒れ地みたいな場所で放り出されると、何を頼りに生きて行けばいいのかわからない。


誰かを頼りにするには、誰かの“恋人”にならなければならない。

けれど恋人になってもらうには……選ばなければならないし、

その前に、嘘の婚約も終わらせなければならない。


……もちろん、わかっている。


それは許されないことだ。

だから私は、別の形で恋を学んでいる。


アスティとグラント様の距離が近づくように、一緒に作戦を練る――そんな秘密の相談を、カイルとこっそり重ねたりもした。


笑いながら「作戦会議」と名づけて。

こちらの方は、客観的で教科書的で、私が恋というものを間接的に知るための、勉強のようなもの。気楽で楽しい。


一方で。

 

……セランには、セランの恋を見せてもらえていない。


いつもそばにいたのに、いつでも見せてくれていたはずなのに。

今は、その瞳を覗くこともできない。


かつて、身分の壁を気にして遠ざかったあの時のように、また距離ができてしまった。


会いたいと思えば会えるのに――それなのに。


彼の心の動きを確かめるための「観察」が、今はできない。


私は記憶の中を旅する。


想い出の中のセランを呼び起こし、その姿に残された“恋の痕跡”を探す。

どんな時、彼の目の中に恋が宿っていたのか。

どんな瞬間に、あの手や指が愛しさを帯びていたのか。


風の中の匂いを辿るように、思い出の中の彼を追いかける。


セランのいない庭。


そこに、セランを探してしまう。


並んで草を抜いた跡。

水を撒いた跡。

手入れされた花の列。


どこかしこに彼の痕跡があるのに、肝心の彼だけがいない。

それが、胸の奥にひどく冷たい隙間を作った。


……会いたいと言えば、会える。


それだけで、私たちはまだ断絶されていない。

でも、会っても――セランは秘密を隠してしまう。


まるで、私が必死に宝探ししているのを、遠くで見て微笑んでいるみたいに。

目の奥で「まだ見つからないな」と言うように。


私は、そんなセランを見上げながら、また心の中で問いを重ねる。


“恋”って、こんなに難しいものなの?

それとも、まだ私がそれを知らなすぎるだけなの?


けれど、その日カイルが私に示したのは、恋の答えではなく、もっと重い現実だった。


「大樹と庭木は違うものだから。庭木のように、枯れていたら切除して終わりってものじゃない。容易に判断していいものじゃないということを覚えていてほしいんだ」


穏やかな声で、けれど寸分の揺らぎもなく言い切るその響きが、胸の奥に静かに染みた。


以前の修練室で、同じことを言われた記憶が蘇る。

まるで戒めのように、今またその言葉が再生される。


「大樹においては、新しい柔らかい根の生成を促す。育てる。そして、その場所に同じように這うように誘導する。根が作った空洞を満たすんだ」


カイルの声には、どこまでも透き通った厳しさがあった。


真剣な話のときの彼には、一切の軽さも、冗談めかした余裕もない。

指先まで研ぎ澄まされたような集中がある。


不思議なことに――そういう時のカイルの方が、ずっと素敵に見える。


冷たさと熱さのあいだ。

どちらにも傾かずに、ただ一点の真理を見据えている人の姿。


その美しさに、心が吸い寄せられる。


私は深く息を吸ってうなずいた。


心に刻もう。

二度と同じ過ちはしない。


大樹は、国そのもの。


地に張りめぐらされた根は、私たちの命の循環の縮図。

私はそれを、ほんの一瞬でも見失っていた。


外遊の旅で、たくさんの人の生活を見てきたはずなのに。

力を制御しようと焦るあまり、気づけば力そのものに呑まれていた。


それがどれほど愚かなことだったのか――今は痛いほどわかる。


体が震え、腕を自分の肩に回して抱きしめる。

その動きの小さな揺れまで、カイルはきっと見逃さない。


「リシェリア。大丈夫だ、今回は防げた」


彼の声が、冬の陽射しのように柔らかく降りてくる。


視線を上げると、彼がわずかに笑んだ。

細めた瞳の奥で、安堵と誇りの両方が揺れている。


その手が、そっと伸びて――


……けれど途中で止まった。


彼の指が空中でわずかにためらう。


それは、恋の仕草だった。


「ごめん。つい」


あ、と息を呑む。

でも、怒る理由なんてない。


「いえ、大丈夫ですよ」


私は首を振って微笑んだ。


謝ることじゃない。

ただの規則。


彼はそれを守っているだけ。


きっと、私を抱き寄せたかったのだろう。

そう思うと、胸の奥が少しあたたかくなる。


「……抱き寄せてもいい?」


案の定、彼は言葉を重ねてきた。

目をそらさず、真っ直ぐに。


許可さえすれば、たぶん本当にそうしてしまうのだろう。


一瞬、心が揺れる。


この身を預けてもいいのでは――そんな錯覚が生まれるくらい、カイルのまなざしは正面から私を射抜いていた。


「いいえ、だめです」


微笑みながら、ゆるやかに拒絶する。


抱き寄せられることくらい、構わない。けれど、きっと彼も、私がただ流されることを望んでいない。


このやりとり自体を、今は私も彼も“実験”として楽しんでいる。


恋の境界を、私が理解できるように。

自分の心をどう扱うべきか、教えてくれているのだ。


この執務室には侍従もいて、出入りも自由。

ヘンリクがいなくなる時は開扉もされる。


そんな場所で、カイルが本当に規則を破るわけがない。


彼の恋の冗談と本音の見分け方――少しずつ、私にもわかるようになってきた。


「話を戻そう」


カイルが軽く笑って、咳払いをひとつ。

空気を整えてから、真顔に戻る。


「枯れていた場所に対応する土地は、少し先に干ばつの危険がある。新しい根が定着するまで、干ばつに備え、灌漑し、貯水し、木を植え、それでも足りないなら現地に行って分霊樹に力を満たす必要がある」


「はい。干ばつが広がれば、森も、山も、影響がありますね」


「そうだ。獣も里に寄ってきてしまう。……それに国境近く。それらの処理に手間取れば、火種になりうる。油断は外敵も呼びかねない」


淡々と語る声の奥に、国を背負う者の現実があった。


国境沿いが荒れるのは、いつでも危うい。

友好的な隣国であっても、飢えや干ばつがあれば人は動く。

それは侵略を促す甘い呼び水になる。


王城は、その土地を守るために、現地の人足を補う形で兵士の派遣を決定していた。


私が間違った処置で災禍を呼んでいたかもしれない場所を、人の手を使って守りに行くという。


卓上に置かれた派遣予定者の名簿。

その中に、見慣れた名前を見つけた時――私は、息を止めた。


セラン。


その文字が、まるで心臓の裏側に焼きつくように光った。

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