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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
18章 模索
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期を待つ狼

俺がやるべきことは、カイルへの攻撃ではない。リシェへの切り込みだ。


先に競合を噛みちぎりたい。そういう衝動は、あの対峙の瞬間だけで。すぐに捨てた。

あいつを睨んでいる間にも、リシェの歩みは進んでしまう。

彼女の傍に、俺が残すべきものは別の形だ。


もうすぐ、俺は長期遠征に出る予定が控えている。

国境付近の大規模な土木任務だ。太平なこの国では、戦が少ない分、兵士は保安や公共事業の肉体労働も任務に入る。こういうのは命の危険は少ない。体力を使うだけなら、俺にとっては大した仕事じゃない。手当も悪くない。……ただし長い。


少し後悔はした。アスティに城外勤務が増えると言われてた通り、最近は日中城内に入れない事も続くようになってきた。外から戻って兵舎で寝るだけ。わずかに自由時間があれば庭に顔を出すだけの生活が増えた。

かと言って避け続けることも出来ないし、だからこれも駆け引きの種にすることにした。


――俺の守るべき場所も、戦うべきところも、裏庭だ。

ここだけは王城の中で、俺の“縄張り”と胸を張って言える数少ない場所だ。


俺もここに刻もうと思った。

俺は庭を見ればリシェを思い出すんだから、リシェは、庭を見れば俺を思い出すべきだ。

形にならなくても、時間と手の痕跡を染み込ませておく。

そうすれば、たとえ俺が不在や遠征でも、リシェはこの庭のどこかで俺を思い出す。


思い出させるために、わざとすれ違って会わないことにした。リシェが駆けてくる音と匂いを感じればすぐさま死角に逃げる。顔も見ないようにしたのに、耳は声を勝手に拾う。


「セラン? あれ。来るってジェスが言ってたのに、……いない」


リシェは不思議そうに庭を見回した。花壇の向こう、道具置き場、枝を落としたばかりの木の根元。俺がいそうな場所を順に探している。

その視線が俺のさっきまで居た茂みの近くを掠めた時、してやったという気持ちが、胸の奥で低く笑った。


はは、惜しい。俺はとっくに庭の敷地外。


「……今日こそはカイルのと、反応を比べさせてもらおうと思ったのに」


……またなんか変なこと考えてるな。

 

庭から遠ざかるように回廊を歩きながら、何を比べるつもりなのか全くわからなくて笑った。


会わない時は黙々と土を返し、道具を整え、花壇の縁を固めていく。

仕事は単調で、泥の匂いと草の音しかしない。その単調さの中に、俺の「手癖」を残した。

土の返し方、枝の切り口、道具の置き癖。人の目にはただ整った庭に見えるだろうが、リシェなら気づく。ここに俺がいたこと。触れて、選んで、残していったこと。声より先に、匂いと手触りで届くものがあるはず。


最初の頃はただ指示をこなしていたけれど、今は違う。

芽吹きの時期や、陽の角度、雨の降り方で次に何をすべきか、体が覚えてしまった。

どこに肥を足せば根が伸びるか、どの枝を残せば美しく形づくるか。

もうリシェにいちいち聞かなくても、わかる。

だから、リシェやジェスが戻ってきた時には、やることがほとんど残っていないくらい、完璧にしておく。


……そのほうがいい。

そのほうが、リシェの頭に「余白」が生まれる。

考える時間があれば、きっとその中に俺のことが入り込む。

 

少しでも、彼女の心に俺の名が浮かぶように。

すれ違いの日々に必ず“置き土産”を残していく。

見慣れぬ薬草、乾かした花、ちょっと珍しい種。

あとは、行く先の名もない場所で見つけた小さな菓子や玩具を置いておく。


書置きなんてしない。文字を交わすより、手触りや匂いで伝えたい。


ジェスがどうせ俺の予定や様子を話すだろうから、それでいい。

リシェは、空いた時間にそれらを眺めながら、少しだけ俺のことを思えばいい。


そもそも、あいつは働きすぎだし。

俺の残した土産と、俺の作った暇を休憩のきっかけにすればいい。


……たまに、俺の分の菓子が残っている時がある。


包み紙の折り方が違っていたり、少し花の香がついていたり。

たまに、小さな紙切れや短い手紙。


喉の奥が熱くなるのを、誰にも見られたくなくて黙って飲み込む。


『赤いの美味しかった』 


そうだろうな。赤い干し果物だけ減っていた。黄色いほうは酸っぱすぎたか。


『セランの世話した花が咲いてたね。ちゃんと見た?』


見た。リシェみたいな白い花だったよな。


だけど、べつに返事は書いたりない。

次に会った時、声で返す。

それでも、もし――リシェとの休みを取っていいと、グラント様やアスティの方から伝達が来たら。

その時はどんなに忙しくても手を止める。

どんな手段でもすぐに戻って、素知らぬふりで普通の休みを過ごす。


「……最近忙しいの? 全然庭にいないじゃない」


「忙しいのはお前だろ。俺だって毎日のように来て、庭の仕事ちゃんとしておいてあるだろ。 別に構わなくないか? こうやって休みなら会えんだし」


「そう、だけど。なんか……。いる日って聞いても会わないし。すれ違ってるっていうか……わざと?」


「んなことあっかよ、偶然だろ。ほら――それより、今日は何すんだ。行きたいところは?」


目論見が当たったと分かって、胸の奥がくすぐったく疼いた。

上がりそうになる口角を見られたくなくて、口に手を当てて、思案する振りをした。


本当は、もっと探りたい。

こないだみたいに、迂闊に「愛してるよ?」なんて言わせて心の渇きをいやしたい。

でも、今更家族の愛なんかに甘んじているだけでは、あの灰色狐に舐められてしまう。

それに。

まだ、名前は付けられていなくても、リシェが主体的に俺を思い始めている。

それだけで、今までとは違う段階に踏み込めている。


この嬉しさは、確実に捕まえたと思えるまではまだ、黙って飲み込んでおかないといけない。



逃げ足早い兎を、猟場に追い込む狩りの様でもある。

羊を家に帰すために、牧羊犬になったような気持ちでもある。


どちらもきっと正しい。どちらでもある。


会えないから、『会いたい』になれた。

次は、会いたいより、『欲しい』にしたい。


だから、まだ。今は吠えない。走らない。飛びださない。

奥に伏せたまま、リシェが俺を求める日を待とう。


「ほら、決まってないならとりあえず市街にでるぞ。門の近くでうろうろしてていいことねえ」


ここはまだ城壁の近くで、絶対に見られないという確証はない。

そんな人の気配は感じていなかったが、警戒するに越したことはない。

何がどこに潜んでいるかなんてわかったもんじゃないのだから。


潜伏した狼は、ただ待っているわけじゃない。

飛び掛かる時を、選んでいるだけだ。

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