実証
どうしても別の日には後回しにできない。
リシェリアの身に起きた異常。
そして、石室で見たあの不可解な力。
聴取だけでは足りない。
言葉ではなく、実際に確かめる必要があった。
予定を急遽変更する。終業前、夕刻に差しかかる頃、俺はリシェリアを伴って修練室へ向かった。
あの異常な力を再現させるつもりで、俺たちは修練の部屋に入った。
厚い石壁の広間。
扉は開放されているが、ここは訓練用の場所だ。声を潜めれば外まで漏れない。
念のため左右を確認して、周囲に誰もいないのを確かめる。
「……よし。おさらいさせてくれ。やったことを言ってごらん」
リシェリアはこくりと頷き、思い出すように目を伏せた。
「はい。まず、カイルが立ち入れないように壁を作りました」
「ああ。君に続こうと思ったのに阻害されたね。何故?」
「虚質。死の力。……“虫”と呼びますね。あれが奥に動いてるのが見えたので……また、カイルが食べちゃったら嫌だったんです。議会の時、みたいに」
思わず、息を止める。
真面目に言っている。
少しずれた理由だけれど、彼女の発想なら……あり得る。
勝手ではあるが、理屈としては一貫している。
俺を守ろうとした結果が、あの封鎖だったのか。
「理由は理解した。次だ」
促すと、リシェリアは指先で髪を撫でながら、慎重に言葉を探した。
「奥まで行こうとしました。……歩きにくいの嫌だなって思って。足元が真っ直ぐだったらいいのにな、と思いました。……多分、しました」
「足元を見た記憶がないんです」と付け足す声は小さい。
原理的には、壁を作ったのと同じ。
“通るための道を形にする”――それが彼女の力を媒介して物質化しただけの話。
できてもおかしくはない。
……だが、その“自然さ”が、逆に怖い。
「わかった。次」
「闇の虫のところまで近づきました。これは前やったように凍らせて、とめました。でも、室内を冷たくするのは季節に合わないと思って。庭木の手入れとして、春のお世話にふさわしくないので、暖めました」
俺は息を吐いた。
……庭の手入れの延長。
「うん。……次だ」
「根を癒しと、調査ですね。起きている症状に、必要な処置を考えて……庭でのやり方でやればいいと、……そう、確信してしまいました」
庭の世話も癒しも、彼女が日々行っていることだ。
彼女の大樹への理解が、そこに根ざしている。
大樹も草木も、彼女にとっては“生きている庭”だ。
だから、善意で動いた。理屈としてはわかる。
大筋では、間違っているわけでもない。
……だが、軽率だ。
“庭”はあくまで模した形。
原理は同じでも、世界を織りなす大樹は、規模も違えば普通の樹木とも根本が違う。
そこを混同したのは誤りだ。
冷温を喜ぶ植物を、温室に囲う必要はない。
乾きに耐える植物に、溢れるほど水を浴びせない。
そんなことリシェリアは知っている。
知らない種に、禁忌になるかもしれないこんな軽率なことをしない。
『普段の』リシェリアなら。
リシェリアは続けた。
「それで……カイルの声で止められて、ハッとして。なにか間違えた、戻らなきゃと。集中が切れたら、急に体が重くなって……体の動きと思考がずれて、帰るのもやっとなくらい足が重くて」
眉間を押さえる仕草。
思い出そうとしても、記憶が曖昧らしい。
だが俺の見た彼女は違った。
足取りも、声も、意識も明瞭だった。
むしろ、異常なまでに冷静で。
しかも“転写”までやってのけた。
「気がつくと、前室で目を覚ましました」
「……俺が入り口で言った言葉は?」
俺の怒声。……涙。
あの瞬間を覚えているか、確かめたかった。
リシェリアは少し眉を寄せた。
「ごめんなさい……なんでしたか?」
その反応で悟る。
覚えていない。完全に。
「いや、いいんだ……小言だから。大したことじゃない」
そう答えるしかなかった。
彼女は素直に「ごめんなさい」と頭を下げる。
その姿があまりにも健気で、苦しくなった。
「でも今後は、絶対に締め出さないでくれ」
俺は少し語気を強めた。
「そばにいれば、なんでも相談に乗れるんだから。守りたいのなら、横において、力の板で箱でも作って……そこに入れておいてくれ」
「わ、わかりました」
ぽかんとしたように目を丸くする。
突拍子もない提案だったのは自覚している。
けれど、本心でもあった。
彼女が暴走するなら、俺は傍にいたい。
たとえ閉ざされた箱の中でも。
……結局、何も解明していない。
原因も、意識の断絶も、あの転写も。
次に力を使うとき――観察し、記録し、そして、止める。
そう決めて、俺はリシェリアの横顔を見つめた。
彼女はまだ、無垢な光を宿した瞳で、まっすぐにこちらを見返していた。
覚えているところまでの、彼女の記憶は正確だった。
再現させてみると、確かに言葉通りのことができた。
力を板にして壁を作り、足場を作って歩き、凍らせたものを温めて溶かし、そして力を刃の形に変える。
それらはすべて、理屈としても、過去の訓練としても説明のつく現象だ。
ただ、いつもと違っていたのは――リシェリアが、力を扱うことに過剰な正しさを求めていたことだった。
「驚いたり、怖かったりすると、力がうまく使えないことが多いので」
穏やかに、しかしどこか自分に言い聞かせるように彼女は言った。
「石室はいつも驚くことばかりですから……何があっても冷静でいられるように。感情で力の制御を失わないように、感情を抑えようと集中していたんです」
小さな間をおいて、静かに続ける。
「私が、そこにいないくらいでいいと、思いました」
――その言葉に、全てがつながった気がした。
変性意識状態。
催眠状態。
意識混濁。
そして、神がかり。
思考を止め、感情を閉じ、自我のないままに“神の力”だけが動く状態。
まさしく、それだ。
揺らぎを抑えようとして――彼女自身を、消すことを選んだ。
それが意識的にできるかはわからない。
でも彼女はそうした。
「リシェリア」
名を呼ぶ声が、震えた。
「それは思考の放棄だよ」
俺はゆっくりと歩み寄った。
「揺らがないことと、そこに存在しないことは違う。違うんだ」
言葉を口にしながら、ようやく理解した。
あの日、俺を最も怖がらせた違和感の正体を。
あそこに“リシェリア”はいなかった。
ただ、力を使う意思だけが在った。
自然と、手が伸びていた。
意識する前に、彼女の体を抱きしめていた。
誰に見られてもいい。
どんな誤解を受けてもいい。
この腕で、彼女の心を、現実に縫い止めておきたかった。
こんなのは欲望じゃない。
願い――それ以外の何ものでもなかった。
「心はそこになきゃだめだ」
耳元で、囁くように言った。
「忘れないでくれ」
彼女の中から、あのとき“心”が消えていた。
だから、俺は怖かった。
そして、悲しかった。
俺が好きなのは――リシェリアの心なんだ。
その優しさも、迷いも、泣きそうな顔も。
それがあって、はじめて“彼女”なのだ。
「カイル……ごめんなさい」
小さく、かすれた声。
彼女の腕が、ためらいながらも俺の背に回された。
リシェリアも、抱きしめてくれた。
その温度が確かに伝わってきて、ようやく胸の奥で凍っていたものがゆっくりと溶けていくのを感じた。
転写だけは、どうしても再現できなかった。
あれほど明確な証跡を残した“御技”なのに、本人には記憶がない。
再現もできない。
けれど、確かにそれは起きた。
目の前で見た。
俺が――証人だ。
彼女の指が触れた瞬間、知覚の中で光が走り、図面に情報が刻まれた。
古語で、根の構造と循環の流れが記されたあの転写は、幻などではない。
再現不可能でも、存在したという事実がある。
ならば、必ず原理がある。
力の系譜のどこかに、再現できる構造があるはずだ。
理論で説明できる。
言葉で、記号で、式で――いずれ俺の手で、明かすことができる。
リシェリアが“神”になるのではなく、人として、その力を理解し、制御できるように。
彼女の心を消さずに済むように。
あの不可解な瞬間の裏には、必ず理由がある。
奇跡ではない。
理だ。
まだ遠い未来でも、俺は必ず、それを見つけ出す。
リシェリアと、この世界のために。




