赤い影
とはいえ、リシェリアと向き合って、はっきりとわかったことがある。
彼女は――驚くほど、話さない。
こちらが問いかければ、的確に返してくれる。けれど、自らの思いを滔々と語ることはなく、必要以上の言葉は持たない。
ありふれた貴族の娘たちが好む、取り留めのないおしゃべりの習慣など、彼女には一切なかった。
その沈黙は、時に神秘のように映る。だが同時に、彼女の内側を知ろうとすればするほど、容易には届かない壁のように感じられた。
街で囁かれる噂の真偽も、記録に残る経歴も、交際の痕跡も――何一つとして取っ掛かりはない。
清貧に暮らしてきたのか、贅沢にも遊びにも触れていないようだった。
彼女が何を好み、何に心を動かすのか。それを知るには、ひとつひとつ手探りで見つけるしかなかった。
時折、ほんの微かに表れる反応――眉のわずかな揺れ、瞳の色の変化、声ににじむ温度。
それらを見逃さぬように観察し、時には敢えて踏み込む。まるで未知の領域を探検する学者のように、慎重に、丁寧に。
彼女という一人の人間を、少しずつ自分の中に刻み込んでいく作業だった。
休憩のひととき、窓辺に立つリシェリアが庭を見下ろして、僅かに微笑んだ。
その視線の先に、赤毛の青年がいた。
もう調べはついている。あいつこそが縁者という存在で、彼女の番犬。
……セラン。
一度気にしはじめれば、目障りなほどに彼女の傍らにいる。
部署は違えど、なぜか常に近くにいて、俺が彼女を追えば、必ずその影も映り込んでいた。
会えば彼女が微笑み、自然な声で言葉をかける。
さらには、年頃の男女でありながら、頭を撫でたり肩を叩いたり――周囲の目を憚らず、当然のように親密さをさらけ出す。
彼女の調書を今になって読み返してみれば、身寄りのなかったリシェリアを幼い頃、養った夫妻の息子。
要は幼馴染。
最初は安堵した。
血縁のように育ったならば、恋愛の影などあるはずがないと。きっと育ての親の恩義に報いるため、職の世話を申し出たのだろう、と。
――現実は違った。
この目で見れば一目瞭然だった。
あいつもまた、同じ彼女に心を寄せている。
家族のような気安さに巧みに紛れ込みながら、自分以外の者を寄せつけないという意思を抱えている。
自分より先に彼女の傍らにいた先住者。
その事実が、ただただ悔しかった。
先行は有利だ――それは嫌というほど知っている。
リシェリアの中にも、家族に向けるのと違う心を抱えているのだとしたら。いや、既にそういう関係があったら。
聞きたくない。でも聞かなければ対策が立てられない。
今は――切り込むべき時だ。
「彼と……なにか将来の約束が、ある?」
苦渋の問いだった。
もし既に二人の間に交わされた約束があるなら――そう思うと苦しくて仕方がない。
たとえあったとしても、踏み荒らすつもりだ。
だがそれが一時でも彼女をまた傷つけるかもしれないことを考えて、胸が重くなる。
「……?」
何を聞かれたのか全く心当たりがないのか、思案の間があった。だが、俺の方から「男女の付き合いなのか」「結婚の約束があるのか」などと補足を入れて、確定的な返事をされる事は耐えられなかった。
ただ、待った。
「ええと、特にはないですね」
彼女の答えはあっさりしたものだった。
声色には色めいた温度もなく、ただ事実を告げるだけの調子。
安堵が胸に満ちた。
「もし彼が、他にしたいことや新しい居場所を見つけるなら、応援したいと思っています」
……その言葉は、どこか「他の女性を見つけて幸せになればいい」という響きに聞こえた。
いや、それは俺の期待が混じった解釈かもしれない。
だが少なくとも、彼女の中にセランへの恋情は今のところ見えなかった。
赤毛の男に対し、優越感めいたものが湧く。
ようやく、胸の底で張り詰めていたものが少し緩んだ。
では、彼女自身はどうするつもりなのだろう。
歴代の聖女など、任期を終えれば箔をまとった花嫁として縁談の種になる者ばかりだった。つい最近まで、俺も彼女も同じだとばかり思っていた。
だが、城内で嫁ぎ先を探すような素振りは微塵もない。
聖女を降りた後に女祭祀官になるとしても、独り身でいる必要はない。力の継承を期待されて子を持つために嫁ぐのは、むしろ一般的なことだ。
……それとも、一生を神の花嫁として終えるつもりなのか。
俺も彼女も信じぬ神に嫉妬などしない。だが、そんな生き方に喜びはあるのだろうか。
「君は……リシェリアは。将来、どうしたいんだ?」
自然に、言葉が口をついた。
今のように傍に置いてくれるなら。願ってくれるなら。同じ道を歩むこともできる――歩める力は自分にある。
「私ですか……。まだ、何もわからないんですが。良い道を見つけたいですね」
リシェリアはそう言って、夢見るような微笑みを浮かべた。その声には希望が満ちていた。
視線が交わり、青く輝く瞳に射抜かれる。
もしかしたら――彼女も同じことを考えてくれているのかもしれない。
そんな馬鹿みたいな夢想が浮かんでしまう。




