恋の自覚
気づいてしまった。あの笑顔で。
完全に自覚した。
俺は彼女に恋をしてしまっている。多分もうずっと前から。
それからの俺は、まるで坂を転がり落ちるようだった。止まろうとしても、もう足がきかない。
合間の雑談が増えれば増えるほど、彼女について新しく知ることが増え、胸の奥に灯がともる。
くだらぬことでも、彼女が語る声は柔らかくて、どんな説法より心に染みた。
用がなくても姿を見付ければ、意識より先に足が勝手にそちらへ向かっていた。
ただ見かけるだけで、石造りの冷えた城内に温かな火が宿る。
会えない日には、無風の広間にいても落ち着かず、胸の奥に隙間がぽっかりと空く。
心という器が、彼女によって満たされてしまっているのが自分でもわかった。
なんて単純なんだろう。
あの頃――彼女に誰か良縁を、などと考えていた自分はもういない。むしろ、なぜそんな愚かしいことを考えられたのかと苦笑する。
……俺でいいんじゃないか。隣に立てる。
アーレンス家は末端とはいえ貴族だが、リシェリアが平民出であっても、彼女ほどの女性ならば些末な問題にすぎない。そもそも、俺に文句を言う家族などいないのだから。
これまで一貴族としてそれなりの社交の場も踏み、女性と接したことがないわけではなかった。
だが、あの場にいた誰一人として、彼女のように胸を震わせた者はいなかった。
これが万人が夢中になるという“恋”なのか――その初めての感情を噛みしめるたび、心が熱く痺れた。
偶然に指先が触れれば、たちまち胸が跳ねる。
指導の一環で能動的に触れざるを得ないときには、甘さが脳髄を痺れさせ、呼吸すら乱れた。
どうすればもっと近寄れるのか。
どうすれば、あの透きとおる眼差しの中に、自分だけを映させられるのか。
任期は二年近くある。
最も近くにいるのは俺。焦る必要はない。
距離を詰める術を探りながら、少しずつ、確実に近づけばいい。
恋に落ちたからと言って、教育行程は動かせない。教える手は止められない。
俺はリシェリアに対して、何か特別に態度を変えるつもりはない。
だが――今までのように一方的に意見を押し付けず、彼女が考えていることや思案の端をも聞くようにした。彼女のおかげで俺の力が幾分か伸びたこともあるが、それ以上に、そうすることで自分自身もこれから成長していけるのだと思えた。
あとは、ほんの少しだけ。必要があると思った分だけ、気を配るようにしただけだ。
来室の前に窓を開けて空気を入れかえておく。
机の上には、使いやすいよう筆記具や参考書を揃えておく。
休憩の折には、茶に喉を潤す飴を添えるよう侍従に伝えておく。
教練の際には、要点を簡潔に書き留めて示す。
……そして、ほんの少しだけ。
椅子の間隔を近くする。声が聞こえやすいように、という名目で。
そうして彼女に対して自分も胸を開けば、如実に物事はスムーズに進んだ。
彼女の推論は新しい説を呼び、意見を交わすことで幾重にも枝分かれしていく。
執務室は静謐を失い、以前よりも賑やかになった。
だが――そこに満ちる空気は、以前よりも澄み切っていた。




