謝罪と赦し
聖女に対して何故社交など必要なのか、祭祀だけやればいいんだ、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
そう思いながら、俺はしぶしぶと社交教育の手ほどきを始めた。
とはいえ実際は。
王族や大貴族、さらには国外への外交のために――国の顔として聖女は振る舞わねばならない一面は確かにある。
エスコートの受け方や、挨拶、会話、舞踏。形式はすべて決まっていて、逸脱は許されない。
そのための社交教育だ。
俺自身、担当官となったからには、そういった場では聖女の介添え役として隣に立つことになる。
であるならば、俺が直接相手として教えた方が手っ取り早い。無駄な遠回りもなくなる。
予行演習として、茶会や会食、舞踏などを実践的に行っていくことにした。
今日は人のいない礼拝堂を使い、初対面の来賓への応じ方や禁忌事故の避け方を実地で試していた。
今日のリシェリアは、聖女の正装に近い儀式服に、ヴェールをかけて視線を隠した姿は、作り物めいていて、いつにも増して人間らしさを覆い隠していた。
石造りの高天井も足音を反響させ、静謐でありながらどこか緊張を強いる。
なんとなく感じる居心地の悪さを、振り払うように俺は前に立ち、模範を示すように姿勢を正す。
「と、このような形で挨拶を受ける」
リシェリアはそつがない。
慣れていないはずなのに、数度繰り返すうちに動きは淀みなく洗練されていく。
理解が早く、吸収も速い。――非常にやりやすい生徒だった。
今までは、接触の度に、内心緊張していたのに、いまは違う。
エスコートの修練に没頭しているうち、触れることは自然な動作の一部となり、意識から外れていた。
「わかりました」
彼女が短く応じる。
「何か聞きたいことや質問は?」
俺が促すと、ホールには一瞬の沈黙が広がった。
空気が止まり、石壁がその沈黙を押し返すように冷たく響く。
一拍の後。
「そうですね。……初めて会う殿方に、挨拶もそこそこにヴェールを捲られたりした時は、どうしたら良かったでしょうか?」
虚を突かれた。
そんな無礼を働く者が社交界にいれば即刻出禁だ、と言いかけて――思い出す。
かつて出会い頭にそれを行った男がいた。
……俺だ。
「それは……怒っていい。怒るべき無礼な所業だ」
喉の奥が焼けつくようで、それだけしか言葉にならなかった。
無礼だったと、詰ってほしかった。
だがリシェリアは、ただ事例として知りたいだけの様子で、俺を責める色がない。
……彼女はいつもそうだ。自分に降りかかる災難に、なぜか無頓着だ。
どうしてなのだろう。
隣で俺の腕に手を添え、見上げているはずの彼女。
聖女のヴェールで覆われていて、その顔は見えない。
胸が謝意でいっぱいになる。
あの頃、社交もおぼつかない少女に、俺はなんという無礼を働いたのか。
責めて欲しい、と思った。そして気づく。
彼女といると心地良かったのは、彼女が受け入れてくれていたからだ。俺が持論を並べ立てても、決して否定せず、耳を傾ける。
……そして、そばにいるのに遠く感じるのは、俺のほうが彼女を見ていなかったからだ。
最悪だ。矮小だ。
よくよく思い出してみれば、俺は……彼女の名を口にしたことすら、なかった。
「お詫びさせてください。淑女に大変無礼な振舞いをいたしました。申し訳ありませんでした」
焦燥に駆られるまま、彼女の前に回り込み、その手を取って跪いた。
「リシェリア様」
初めて、その名を呼んだ。
最上の礼をもって、甲に額を寄せた。
「貴女への、度重なる非礼……どうか、お赦し下さい」
逆光の中で彼女の顔は見えず、胸が激しく脈打つ。
「アーレンス様」
いつもより温度のない声が落ちた。
「いや、様なんて、つけなくていい。嫌じゃなかったら‥‥その。カイルと」
慌てて言葉を継ぐ。本当にそうだった。
聖女と侍る担当官、組織の上では聖女はいっそ上位だったのに。教育係という肩書や生まれの身分に囚われて、見下から入った俺が見失っていたんだ。
「……」
無言のうちに、リシェリアが自らヴェールを外そうとして、レースが装飾と絡んでいたのを、俺は慌てて立ち上がってそっと手伝ってヴェールを持ち上げる。
ここは礼拝堂で、白い聖女のお仕着せは花嫁のようだなと、ほんの少しだけ脳裏をかすめた。
この下で、怒っているのか、泣いているのか。どんな顔を合わせたらいいのだろうか。
不安からか、俺の胸の鼓動は勝手に早くなる。
「カイルを赦します」
そこにあったのは――悪戯が成功したときのような、花のような笑顔だった。
めいっぱいの肯定を込めた声色で。
「……初めて、名前を呼んでいただけましたね」
あ。
やり返されたのだ。
効果的な瞬間を狙い澄まして。
無頓着に受け流しているように見えて、その下には確かな意志がある。
彼女は息を潜め、機を見て仕返しをしたのだ。
その手腕は鮮やかで、美しかった。
いや、――恋に落ちてしまった。




