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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
15章 生傷
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愛の対価、恋の問い

「もういいだろ。もう少し寝て体力戻せ。寝付くまでは部屋にいてやるから」


「……うん」


とりあえず、満足して、もう一度隣に落ち着いた。

背中に残る体温がまだ温かい。

沈黙が降りる。だけど、眠るまで黙っていたくなかった。

胸の奥がまだざわついていて、何かを話していないと落ち着かない。

重苦しい気分を、少しでも軽くしたかった。


あ。……今なら、時間もあって他の人もいない。

だから――聞いてみよう。


ずっと聞こうと思っていて、聞き逃していたこと。

ジェスが言っていた事を確かめたかった。


『セランさんとリシェリアさんって恋人同士……じゃなかったんですかね』

『リシェリアさんはあまり顔に出ない』


じゃあ、セランのほうには恋があるのかなって。


「ねえ、セランってさ。恋してたりする? 私に」


「は?……え? 急に。……何だよ」


息を呑む音がした。

答えるよりも先に、聞き返してくる。

その声音に、今日いちばんの緊張が生まれたのがわかる。


……意味、通じなかったのかな。


私は村から出て、町へ行ったし、今は王都で暮らしている。本も読ませてもらってるし、多少は学んでる。

でもセランは、村の自然と動物の中で育って、その後はずっと私と二人きりみたいなものだし。


それに。もし……ウルと混ざってるなら。本能的な話のほうがわかるかもしれない。


「ええと恋っていうのは……ほら。発情期で、繁殖相手が欲しくなってるかってこと、かな」


「まて!まてまてまてまて」


そう言ったら、ようやく通じたのか、口を手で塞がれてそれ以上を制される。

セランが、少し気まずそうに眉を寄せる。

 

「おまえさ……」

 

けれど顔は真面目で、逃げようとはしない。


「あー、その恋ね。はいはい、そのくらい。……知ってる」


「うん。だから私に発情してる?」


念の為間違わないように補足を入れようとした私の口をセランが塞いだ。

 

「おい、だから言うな。……っつーか。今。お前にそういうことがしたいかってことなら、……んなわけあるかよ」


最後の言葉は、少し赤くなって、むっつりとした声で、不機嫌さを隠そうとした。


「あ、そう? ……なら良いや。忘れて」


なるほど、と腑に落ちた。

まあ、物知りなジェスも見間違うことはあるよね。

気持ちがすとんと落ち着いた。


「いや、良くはない。……なんなんだ?こんな時に。

もうちょっと……お前が元気な時にしてくれ」


セランが抗議するように私の頬をつまんだ。

痛くはないけれど、抗議の印としては十分だった。

そして、ため息をひとつ。

 

「はぁ……お前に恋ね。恋……。あーーー。そうだな。確かにそういう目でも、お前を見ている」

 

あっさりと、認めた。

 

「お前もそうだってんなら、もちろん俺の女に……いや。俺の番いにする」


頭の上から、淡々と――けれどどこか熱のある声が降ってきた。


「あ、そうなの……?」

 

違ったらしい。

普通に、そうだったらしい。


「そっか」

「そう」

 

セランの左手が伸びてきて、私の髪をゆっくりすいた。

掌の動きが、まるで猫を撫でるように穏やかで優しい。

指が髪の間を通るたびに、心が柔らかく解けていく。


セランは大きな獣みたいで、寄り添うことは心地いい。

私はその撫でる手に身をゆだね、目を閉じた。

眠気が、ゆっくりと私を包みはじめる。


「ありがと。じゃ、おやすみ」


「は!? ……おい! 変な話、投げてから拾わずに寝るな!」


すかさず頬を摘まれる。

ため息混じりの声が降ってきた。


「前、愛してないのって聞いたくせに。お前こそ、俺を愛してないのかよ」


「え? もちろん愛してるよ。当たり前でしょ」


当然だ。

セランは、少なくとも今知っている誰よりも大事な人。

愛している。

言葉にするまでもない。


「あ、……そ。そりゃどうも……」


セランは少し黙って、目を逸らした。

そして小さく息を吐いたあと、視線を戻す。


「そんじゃ、俺がリシェに恋してるって知ったわけだけど。俺が番いにするって言い出したら、お前はいいわけ?」


「番い……」


「雄として、お前を抱く」


「あ、うん。ちゃんとわかってるよ」


セランが言ってるのは、わかってる。

恋の先にあるもの。

子作り、性交渉、体を重ねること。

嬉しくて、幸せらしいこと。


ただ、サフィアに言葉を変えるように言われていたから。


……ええと。

どの単語がいいんだっけ。

思い出せない。

セランが言った番いでいいか。


「うん。……セランと番いになってもいい。してもいいよ」


もともとそれは、最初からどこかで想定していたことで。

もしアスティに拾われなければそうなっていたはず。

セランはずっと私を守ってくれている。

愛してくれている。

感謝も、親愛も、何よりも深く感じてる。


そして私は――彼の人生のすべてを奪い続けてきた。

今も、奪っている。

返せるものも、償えるものも、この身ひとつしかない。


だから。

セランがそれも望むなら、私は文句も不満も不安もない。

まあ、少し気恥ずかしい気はするけれど。


セランを幸せにできることなら、なんでもあげる。


「セランとは……まあ、元々何もなければそうなるのかと思ってたし。だからいい。セランが発情期で苦しいとか。すごくしたい時なら、しても……。あ。……今しておく?」


勇気を出して言葉にする。


「……!?」


普段は忙しい。

きっとそう時間を取るのは簡単なことじゃない。

互いの意思と対面が必要で、時機も限られている。

もし望むなら、お城に戻る前に済ませておいたほうがいいのかもしれない。


前にアスティは特に何も咎めなかった。

でも――今はグラント様と婚約中。

ちょっとまずいのかな。


……でも嘘の約束だから、きっと大丈夫だよね。

アスティが受けるか、断るかすれば終わること。


「あ、え。……そか、いいのか。いやま、そうだよな」


頭の上で、わずかに聞き取れないような音量で、何かセランが言っている。


「まいったな……。もうちょっと箔つけてからと思ってたのに。いやでも……」


もし子ができてしまったら。

それは……小言は言われるかもしれないけど。

大樹の癒しの任務に支障が出ないように頑張ろう。


そんなことを考えながら、見上げると、セランが顔を赤くしていた。


目が合う。

一瞬、獣のように鋭い気配をまとった。

その視線が、私を射抜く。


「まあ、いいか」


すっと体を起こし、覆いかぶさるように影を落とす。

昼の室内だというのに、光が遮られ、私の上に濃い影が落ちた。


セランの顔が近づく。

触れそうな距離。

いつもの優しい目ではない。

剣呑で、命を食らう捕食者のような、獰猛な顔。


ああ――この牙に噛み砕かれれば、少しは釣り合う気がした。


口が少し開き、犬歯がのぞく。

ごくり、と喉の奥で呑み込む音。


「リシェリア」


セランが、珍しくきちんと私の名前を呼んだ。

その響きに、空気がぴんと張り詰める。


「うん」


私も見返す。

逃げずに、きちんと。


セランの指が、私の耳の裏から輪郭をなぞり、顎を取る。

息がかかる。


触れるほどに口が近づく。


そして……ぴたりと、止まる。


「いやさあ……目を閉じねえ?恥じらいとかないのか」


「え、なんで?」


「何するかわかってるんじゃねえのかよ」


「知ってるだけで、したことないんだから、どうするのか見ておきたいでしょ」


予想していなかったのか、セランが一瞬目を丸くして拍子抜けした。

気勢がそがれたように、言葉を失う。


私は見つめ返した。

目を逸らさず、まっすぐに。


セランは迷うように私を見つめ、少し困った顔をして――ため息をついた。


「……やめとく。お前は俺に恋してないし」


「え」


「調子乗ってつい忘れたけど、病み上がりだしなお前。……さっき吐いたばっかじゃねえかよ。ちっと匂う」


「え!?あ……ごめん」


そう言えば、鼻がいいセランには可哀そうな事をしてしまった。

汗まみれだし、お風呂にも入れていないし、言われた通り吐いたばっかり。


「でも、本当に良いんだよ?今日はともかく、また別の日とか」


セランは苦しそうで、どこか嬉しそうな目をした。


「わかったって。番いになってもいいと言ってくれたのは、普通に嬉しい。ありがとな。でも、それじゃ足んねえから。

俺じゃなきゃダメだとわかったら、その時は改めて番いになってくれ。……恋ってのは、そういうことなんだよ」


真剣な眼差しに、息が詰まる。


「そんなこと言われても」


戸惑う。

私はちゃんとセランを愛していて、セランが欲しいものならあげたいのに。

何が足りないの。


セランは上を見て、目を閉じた。

深呼吸をして、ため息をひとつ。


「はぁー……。お子様のお前には早すぎんだよ」


少しそっけない口調。

けれど、その奥には優しさがあった。


「恋はすればわかる。大丈夫、気づかせてやるから安心しな。だから……もういい加減寝ろ。寝てくれ。頼む。それこそ俺のためにだ」


セランが私を抱えたままの姿勢で頭を擦り付けて、突然がぶっと――と首筋を軽く噛まれた。


「っ、あ痛い!なんで噛むの!」


「うるせえ。仕置きだ。寝ろ」


それきり、何を聞いてもセランは答えなかった。

撫でられ、宥められ、子どものように寝かしつけられる。


仕方なく黙っていたら、いつのまにか深く、深く眠りに落ちていた。


三日ぶりに、何も夢を見ずに。

翌朝、目を覚ました時――もう、セランの姿はなかった。

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