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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
15章 生傷
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守れないものの輪郭

そして、出来なかった。


「何でだ……?」


変わらず、リシェリアは自分自身を守る対象にできなかった。


リシェリアの体だけではない。

纏う衣服、装飾、腰掛けている椅子、手にしている道具や茶杯。彼女が自分の延長として触れているものほど、防護がかからない。


手を離せば、かけられる。


触れていても、明確に他人だと認識しているもの――つまり、俺にはかけられる。


現象としては単純だ。


だが、その単純さがかえって厄介だった。


おそらく基準は、彼女がそれを“自分”だと認識するかどうか。


「全容が視認できるかどうかか……?」


そう呟いてから、別の可能性を考える。


自分の体という、常に内側から感じ取っているもの。

衣服や装飾のように、身につけているせいで境界が曖昧になるもの。

椅子や茶杯でさえ、握っている間は彼女の意識の中に含まれてしまう。


視認の問題ではない。

認識の境界の問題か。


「リシェリア。確かめたいから、少し俺の腕の中に入ろうか。さあ」


手を広げて促すように言うと、リシェリアは少しだけ首を傾げた。


「カイル……ここは、窓から見えますし、ヘンリクも見てますよ。執務室とは言っても、公共の空間です。そういう事は、やめておきましょう?」


……流されないか。

仕方ない。触れ合いはつぎの特別礼拝室に取っておこう。


以前なら、言葉に戸惑って、そのまま受け入れていたかもしれない。

だが、今の彼女は少しずつ学んでいる。


何が良くて、何がよくないのか。

誰の言葉を、どこまで受け入れるべきなのか。

それは拒絶されているように見えて、意識されている証でもあって、さみしいけれど同じくらい嬉しさもある。


長い睫毛が震え、窓から差す光を受けて細く影を落としていた。控えているヘンリクは表情を動かさなかったが、空気だけがわずかに張る。


ヘンリクには、全然見られていても構わないのにな。


「どうでしょうね……癒しも自分に使えないので、そういうものだと思っていました」


リシェリアは困ったように視線を落とす。


自分に使えない。

その言い方には、半ば諦めに近い響きがあった。


「癒しに関しては、その辺はある程度解明されていて、自分を癒せるというほうが少ないから気にしなくていい。基本的に自らの霊質を使って補う異能なわけだから、同源では失われたものを満たせない。また、異能者本人が痛みや意識混濁の影響を受けるから、そもそも精度は落ちるものだしね」


稀に、外の霊質を扱える人間もいる。


その者は自らも癒すという。

単独行動に向いていて便利だとは思うが、人員が複数いれば必須ではない。


「癒しは簡単だ。失ったものを霊質で補い、元に戻す――それは循環だから。それに君の異能を医療として使うなら……今でも完全に“使えない”とも言えない」


言いながら、俺は指先で茶杯を転がした。


陶器の底が机上でかすかに擦れる。

小さな音が、静かな執務室に残った。


「医療」――その言葉の中にある冷たさと美しさを、リシェリアはまだ知らない。


癒しとは、魂や生命の“形”に干渉することだ。


霊質という別の素地を継ぎ、繋げ、目に見えない霊的領域を活性化させて、元の形へ復元する。元の形が失われていたり、霊質量が足りなければ万全にはならないが、瞬間的な回復力は高い。


その点、医療は違う。


手段を尽くして手数を重ね、原因を排除し、自らの体の再生する能力でなんとかできるところまで命を繋ぐことだ。


血や皮膚を閉じるだけなら簡単だ。

だが、状態が難解になればなるほど難易度は上がる。何が傷つき、何が失われ、どこを残し、どこを切るか。判断を誤れば、癒しよりも遅く、残酷な結果を残す。


その代わり、再現性がある。


知識を集め、覚え、技術として残せば、誰もが恩恵に預かれる。それを残して人々を生かすために時を重ねてきたのがこの国だ。


それが知識の結晶で、価値あるものだと、俺は思う。


思考が逸れた。


俺は、リシェリアの異能も、歴史に繋げて美しい結晶に変えたい。

そう思っていたのに。


「……スッキリしないな」


リシェリアの感覚が、納得できる合理的な答えに辿り着かない。


輪郭は見える。

だが掴めない。

彼女の力は、俺の理屈の少し外側を滑っていく。


「もし使えたら、あの時どうしたらよかったでしょうか」


気まずいのか、話を逸らしたいのか。


その声には、あの嵐の日の記憶が滲んでいた。


セランが倒れ、リシェリアが泣きながら力を使ったあの時。

彼女はいまだに、答えを探している。


「それはわからない。後から“ああすればよかった”と考えても、そこに答えはない」


静かな声で言った。


リシェリアは小さく唇を噛む。


「じゃあ……今考えて、対策することに意味はありますか」


「ある。未来が変えられる」


彼女が顔を上げる。


その瞳に映るのは、窓辺の揺れる光だった。


「未来……」


「同じことを繰り返さないために。起きた時、なんとかできるように考えるんだ。――ほら、たとえばセランを固めていたら? あの速度だったなら……リシェリアの行使速度と、セランの反応速度を考えても、間に合わなかったかもしれないけど」


正直に言えば、あの場で完璧な対処など不可能に近かった。


視界、天候、距離、速度。

セラン自身の判断。

リシェリアの動揺。


どれか一つがずれていれば、答えは変わる。


それでも、考える価値はある。


過去を裁くためではなく、次を変えるために。


リシェリアは小さく息を吸い、思案するように視線を伏せた。


長い沈黙のあと、ぽつりと呟く。


「あらかじめ……壁を作っておくとか」


その言葉に、俺は目を細めた。


良かった。


嫌な記憶も、恐ろしい夢も。

ただ打ちのめされるだけではなく、考えて、前に進んで、糧にする。


その意識が、リシェリアの中に芽生え始めたのを感じた。


いつも打ちのめされてばかりの俺でも、それだけはリシェリアに教えられた気がする。

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