許された逢瀬、秘密の休暇
負けたはずなのに、得たものの方が多く見えるセランに対しても、グラントはきちんと対価を用意していた。
誰の専属にもならない従士の業務は厳しい。
王城にいない日も増えていた。兵舎にいる時でさえ、新しい任務や誰かの後ろにつく仕事ばかりで、気楽な巡回や一箇所に立つだけの警備などほとんどない。
それでも、セランは黙々と働いた。
もちろん兵は王城の人的資源であり、必要な休暇は与えられる。
ただし、その休みにも、セランは必ず城外への外出届を入れていた。
リシェリアがグラントに伴われて公務へ出た拘束時間。
その総量が一日分溜まるごとに、グラントはセランの休みに合わせ、聖女の予定を勝手に作り出していた。
公務ではない。
グラントも同道しない。
カイルも口を挟みにくい、“公爵の婚約者教育”という名目。
偶然を装ってはいるが、明確な意図のある采配だった。
セランに与えられた報酬は、金ではなかった。
名誉でも、褒美でもない。
それは――リシェリアと過ごしていい一日。
本来、セランが望んだのは、自分のための褒賞ではなかった。
聖女が“人間としての一日”を取り戻す時間だった。
カイルに逢瀬の時間を与えた結果、あの醜態のために特別礼拝室を作る羽目になったと聞いた時、グラントは深くため息をつき、頭を抱えた。
「本当に、頭がおかしくなったのか奴は? カイルに分が悪いとは言ったが……流石に与えすぎだな。セランにも追加しておこう」
けれど、セランは報酬を求めなかった。
「俺に見返りなんて不要です。そんならその分あいつに休みをやってください。聖女就任後、気楽な休みが取れてないはずです」
それを聞いたグラントは、いかにも彼らしく、もったいぶって報酬を決めたという。
「ならば、聖女の責務から離れた休みを用意する。その警護はお前に命ずる」
そして、もう一言付け加えることも忘れなかった。
「多少は羽目を外しても構わない。ただ――騎士を目指す者として、平民の少女ひとり危険に晒すな」
セランはうなずいた。
言葉は少なかった。
けれど、その目には明るい光が宿っていた。
そうしてグラントはリシェリアの外出予定を作り、セランを極秘の護衛任務として城の外へ放り出した。
そんな日の夜明け前。
街が目覚めるより少し早い時間に、私は平民の服に着替えたリシェリアを連れて、王城の中でも一番通りの少ない西門へ向かっていた。
薄明の空はまだ白く、石畳には夜の冷気が残っている。
いつもの聖女服を脱ぎ、質素な町娘程度の服に袖を通し、帽子で髪を隠せば、リシェリアはどこにでもいる少女のように見えた。
もちろん、よく見れば隠しきれないものはある。
けれど、朝の人混みに紛れれば、それ以上追われることはない。
門まで行けば、セランはすでに門扉へ寄りかかって待っていた。
「おはよ、セラン」
リシェリアが小さく手を振る。
私は二人を見比べ、短く釘を刺した。
「門限厳守よ。行ってきな」
「おう。んじゃ」
セランはそれだけ言って、リシェリアの歩幅に合わせるように歩き出した。
短い挨拶。
短い出発。
それで十分だった。
二人には丸一日、自由な時間が与えられていた。
カイルとの逢瀬とは対照的に、外出先も、何をするかも不問。
それが許されるのは、この二人がこれまで周囲に見せてきた態度と積み重ねがあるからだ。
私も、ただ信頼して見送っている。
きっと街を歩き、市場を見て、気ままに普通の休暇を過ごすのだろう。
平民の目を通して王都を眺め、気を抜いた一日を、疲れるまで笑えばいい。
聖女の侍女と西門の警備には箝口令が敷かれている。
これを管理しているのは、グラントと私だけだった。
リシェリアとセランの、そんな休みの回数は多くない。
予定のすり合わせが大変な分、月に二度あればいい方だ。
朝夜の送り迎えは、他者に漏れないよう、私かリカリオが担当する。
都合上、私が夜に迎え、そのままリシェリアの部屋に宿泊する形にしている。リシェリアが私に今日何してきたなどを興奮がてら語り、私は軽く令嬢教育で彼女に不足している部分を指導する。その私自身も、将官生活の中でおろそかになっていた部分をサフィアに指摘されて修正する。そんな夜を過ごす。
婚約者教育を受けているという辻褄を合わせるためでもあった。
話をする時の彼女は、聖女の顔をしていなかった。どこで何を食べたとか、露店の犬が可愛かったとか、川辺の風が冷たかったとか、そんな取るに足らないことばかりを、宝物のように話していた。
そんな充実した“秘密の休暇”の翌朝も、リシェリアの機嫌がいい。
泊まり明けのついでに聖女の執務室までリシェリアを送ると、珍しく回廊でカイルと出くわした。
書物を手にしたまま、彼もどこかへ向かう途中だったらしい。
「あら。早いわね」
「おはようございます、カイル」
「ああ二人とも。おはよう」
リシェリアの頬には、うっすらと紅が差していた。
カイルとの時間の後とは違う。
緊張や困惑ではなく、安心に満たされた表情。
よく眠り、よく笑い、少し疲れて、けれど心が軽くなったような顔だった。
カイルはその変化を見逃さなかった。
「なんだか楽しそうだね。昨日はどんな教育だったんだ?」
半歩近づき、少し前のめりに問いかける。
リシェリアは瞬いて、一瞬だけ目を伏せた。
そこに、ほんのわずかな秘密の影が落ちる。
けれど、それを口に出すことはしない。
「あ、えっと。すみません。……それはイェルス家の門外秘があるそうでお話はできないんです」
リシェリアが平民の少女に戻っていた一日。
それは、この国で最も純粋で、そして最も不可侵に近いひとときでもあった。
「そうか。残念だな」
カイルはそう言って、目を細める。
知らない。
――いや、知らせていない。
知らせるべきではない。知ったらまた天秤が揺らぐ。
私とグラントがしていいのは、最初の線の不均等を整えることだけ。
ここまでだ。
ここからは、彼ら自身の重さで傾くべきだから。
この裏で、それぞれの心が別々の空を見ていることを、私だけが静かに理解していた。




