恋の炎はぶり返す
やり直したい。
気力が戻ってくるのと同時に色々なことが頭の中に溢れた。
リシェリアがアーレンス領に来るなら、こんな訪問じゃなくて休暇や観光できてほしかった。グラントじゃなくて俺の同伴で。
部屋も庭も何も整っていない。俺は顔すら洗ってない。リシェリアが、アーレンス領に住みたいと思ってもらえるようにしなければいけないのに。
そんな俺の恥ずかしい姿を暴いて去ったグラントに、昨日までとは違う不満が湧き上がった。
まるで、子供みたいな負けん気。
「リシェリア。グラントには気を許しちゃダメだよ。あれでいて、隠し子が何人もいる」
そんなこと本当のところは知らないが、万が一にも心を許さないように種を蒔いておこう。リシェリアが慕うアスティに言い寄るのがそんな男だとしたら、きっと寄り付く気も失せるだろう。
「えっ?!」
大きく目を丸くしたリシェリアの声が、あまりにも素直で、思わず口の端が緩んだ。
……流石にまるまる信じられたら、禍根が残るな。
「……うそだよ」
そう言って、笑う。
久しぶりに、心から笑った気がした。
この数日の胸のざらつきが、少しずつ溶けていく。
グラントの名を出すのも不愉快だったが、それでもリシェリアの驚くのが見られるなら、悪くない。
軽口を交わしながら、少しずつ呼吸が整っていくのを感じた。
ようやく、世界が戻ってきた気がした。
体の芯がじわりと温まっていく。彼女の華奢な背中、首筋、指先――全身で、彼女という存在を確かめるように染み入ってくる。
彼女がここにいて、自分を許してくれている。
その一点だけで、どんな理屈もいらない。
甘えている。情けないほどに、全身で。
彼女のぬくもりを感じながら、このまま時間が止まってしまえばいいとさえ思った。
――次はどんな一手を打とうか。
そんな思考が、頭の奥に蘇る。ようやく、俺らしくなってきた。
リシェリアを手放すつもりなんてない。
どんな状況でも、手のひらの上に置いておく方法を考えなければ。
「リシェリア」
「え、はい……。もう大丈夫ですか?」
大丈夫じゃないけれど、そろそろちゃんと顔を見たい。
可能なら向き合って抱きしめ直したい。
「向きを変えようか」
「えっと?どういう事ですか?」
そうしていた矢先、廊下の向こうから、靴音が近づいた。
…………チッ。早い。
想像は出来ていた。グラントは迎えを寄こすと言っていた。
俺の実家で、密室。長い間、二人きりにしてくれる気は最初からなかったのだろう。
ロアンドに言っておいたとは言え、アスティは王族だからな。止められるわけもないか。
まあ、一晩泊めて帰すわけにもいかない。
俺が病み上がりなのを差し引いても、婚約したての二人に良くない噂が立ってしまう。
どこかで見ていたのかもしれないほどの抜群の頃合いで、アスティが踏み込んできた。
「!!」
流石にアスティも想像していなかったように、入った瞬間立ち尽くした。
リシェリアの体がピクリと強張る。
息を呑み、震え、目を瞬かせる。
驚きとわずかな羞恥が一度に走り抜けたその様子が――どうしようもなく可愛かった。
「……リシェリア」
「違うの!アスティ!」
アスティの半眼に、リシェリアは完全に動揺していた。言葉も取り繕えず、声まで震えている。
必死に弁明するその様が、また……可愛い。
「あ、あの、すみません。この状況は、わざとじゃないんです。そう。その……そういう事は、全然ないですから」
アスティにどう見えたかは知らないが、少なくともリシェリアには「そういう事」の概念はあったらしい。
さすがに、閨事というものは知ってるか。
そしてそれを否定するように、必死になっている。
思わず嬉しくて笑いそうになる。そうだよな。
この体勢、誤解されるに決まっている。されたままで全然いい。
寝台の上、リシェリアを前に座らせ、俺は背後から抱き寄せ、その首筋に顔を埋めていた。
肌越しに伝わる体温。
吐息の音。
何より、この距離感。
そりゃ、意識するに決まってる。
残念ながら、衣服はまだ乱していない――実際する気はともかく。いいや、少しくらいはしたかった。
舌打ちが、喉の奥に沈む。
「ずいぶん、元気そうね」
アスティの声は、氷のように冷たかった。呆れと苛立ちが混ざっている。
だがもう、アスティに取り繕う必要はないだろう。
「悪いけど帰ってほしい。見りゃわかるだろう。取り込み中なんだ」
短く返す。
それ以上、余計な説明もいらない。
「い、いえ! いてくださって大丈夫です!いてください!」
リシェリアが慌てて言葉を重ねる。
見えないけれど、きっと頬を真っ赤に染め、目を泳がせてる。
……想像するだけで可愛い。
いっそこのまま、事実にしてしまいたい。
「ああ、すまないがまだ体調が戻らない。このままひと月はリシェリアと休暇をいただこうと思う。そのように報告しておいてくれ」
背中に額を擦りつけ、わざとらしく鼻をすする。
哀れさを装うのも、演技のうちだ。
俺の“病”は、まだ治っていない。
「良い訳があるか!リシェリア、帰るわよ」
そう言いながら、アスティが一歩踏み込む。
その動きに迷いがなかった。
次の瞬間、手刀が俺の腕に落ちる。
思った以上に正確で、痛みが走る。
咄嗟に手を緩めると、リシェリアの体温がふっと消えた。
――今日はここまでか。
力の抜けた体が、寝台の上に沈む。
天井がゆらりと揺れた。
「もし、追加の治療が欲しいのなら、拗ねてないでさっさと登城しなさい」
グラントがどこまでこの状況を想定していたかはわからないが。
せっかく金獅子との婚約で、俺が政治的な盾になる必要はなくなったんだから、二度と”赤か黒か”と世間に騒がれないように個人的な恋愛沙汰はうまくやれという意味なのは分かっている。
手札はまだ残っている。
ここから先、俺の腕次第だ。




