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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
14章 赤と黒の再燃
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見透かされる脚本

業務上では何度か面談を重ね、公式の場では幾度も国事に伴った。

その中で、必要以上に言葉を交わすことも、心を寄せることもなく、常に儀礼の範囲にとどめてきた。


だから、これが初めての――私的な、聖女との面会だった。


机上で整理した情報も、他人の証言も、充分に資料となるほど揃っていた。

それらを重ねて導かれる結論は、ただひとつ。


リシェリアは――本当に、ただの少女だ。


もはや脅威のように扱うことはできない。

祭祀庁の表向きの、日の射す応接室に場所を用意していた。

会話が外に漏れることはないように、人払いはしたが、圧をかけず。

空気の流れが感じられる空間を設えた。


もはや彼女は“見習い”ではない。

王族に並ぶ立場にある一人の聖女。

礼節は、等しく払わねばならない。


「お待たせいたしました。グラント様」


侍女の案内で戸口に現れた少女を、膝をついて迎えた。


「聖女におかれましては、ご機嫌麗しゅう。この度は時間をとっていただき感謝いたします」


そう言って、彼女の手の甲に唇を寄せた。

リシェリアは静かに受け止め、礼を返す。


侍女が茶を卓に用意して完全に去るのを目で確認する。


「さて。この度は私事で内々に相談事があってお時間をいただきました」


そう切り出し、懐から一通の書面を差し出す。

そこには婚約についての“明瞭な事情”が書かれていた。

セランにも用意した同じ建前を、彼女用に調整した文面だ。


――それを読ませ、合意をとるだけで十分だった。


ふと思いついて、少し遊んでやることにした。

今まで怯えさせられた意趣返しのような気分でもあったかもしれない。


「実は、以前からリシェリア殿へ淡い想いを抱いておりました」


嘯きながら、わざと真に迫るように手を取った。

両手で包み込み、見つめる。

恋に落ちた男の仕草を真似る。


女というものは、“自分だけが特別”と思えば心が揺れる。

その一点を突くのは、政の駆け引きと同じことだ。


だが――。


音もなく、空気が変わった。

部屋に、冷気が降りたようだった。


「それは真ではないですね」


微笑みのまま、彼女は断じた。

その瞳の奥が、底知れぬ深さを帯びている。

視線に射抜かれる。息が止まる。


――ああ、氷の目。毒だ。


油断していた。

魔女の気配などもう失せたと、思い込んでいた。

聖女の皮をかぶったこの少女の中に、まだ“それ”が生きている。


「いいえ、……いや。……その通りだ」


思わず言葉が乱れた。

ここで取り繕う意味はない。


「これは、ただただ治安の維持と、面倒を避けるための助力の願いだ。」


声が上ずる。

まるで綱の上を渡っているような緊張感。

手に汗が滲む。


「それは真ですね」


即答。

何を見透かしているのか。

心を読まれている気がする。

それでも、冷気がわずかに和らいだ。


「お前に懸想していることもない」


思考より先に言葉が出た。

私の本心。


「それも真」


また空気が緩む。

彼女は嘘を嫌う。

協力を得るために、誠実さを求めているのだ。


「お前が守りたいものを、俺も守りたいだけだ」


曖昧な表現。

だが、そこに偽りはない。


「はい」


短い返答。

真偽は問われず、ただ“誠実さ”だけが測られた気がした。


冷気が止む。

息ができる。

ようやく、部屋の空気が戻った。


私は深く息を吐き、肩の力を抜いた。


「そこに書いてある戯言は……お前を説得するための虚構の脚本だ。せっかく用意したが要らぬ世話だったようだな。忘れてしまっていい」


アストリットへの求婚の件――わかりやすい安心材料だ。


「いいえ。消化しやすい物語で助かります。それに、虚構というのも……半分だけですね」


魔女は全てを見通すように、淡く微笑んだ。

……まったく、よく見えている。

正確に、面倒なほどに。


ため息をついて話を打ち切る。

探られても困る。


そして、ついでに尋ねてみた。


「実際、お前は赤か黒のどっちなんだ。加担してやってもよい」


情報を得ておけば、転がしやすい。

それだけの意図だった。


しかし、その問いは核心に触れたらしい。


「どうでしょうね。私は……“リシェリア”の内心のことは……見えないので」


まるで他人事のように言い放つ。

背筋が凍る。

今ここにいるのは、“リシェリア”ではない――そう言っている。


「でももしわかったとしても、言うのは公平ではないですから。お教えできません」


その笑みは、美しく、危うい。

いつもの無垢さは消え、妖しく輝く瞳。

冷気はないのに、圧だけが濃い。

息を呑むほどに――神々しい。


一体いつから変わっていたのか。

それとも、最初からこうだったのか。


「……この話はリシェリアに伝わるのか?」


問いかけた瞬間、圧がすっと消えた。

その名を口にした瞬間、瞳の奥で硬い光がほどけた。

風が通るように、空気が軽くなる。


「グラント様も、恋をしているんですね」


まるで、たった今まで、息を止めて文章に集中していたかのような、少し興奮の混じった声。

すべてを読み終えた“聖女”が、手紙を胸に抱いている。

研究材料を見つけたかのように、好奇心のこもった純粋な瞳でこちらを見ていた。


――誰がこれを聖女にしたのだろう。

魔性だ。人を惑わす、完璧な魔性。


そしてふと思う。

この少女を御してみせるアスティの方こそ、本物の女神なのかもしれない。


……アスティには、上質な葡萄酒でも贈っておこう。

機嫌を取るには、あいつには酒が一番だ。


グラントがアスティとアストリットで呼称ぶれがあるのは故意です。

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2026/07/14 【ep.304 名前のない憧れ】に投稿ミスがあり、前話と同じ本文を投稿していました。すみません。差し替えて本来の話を公開しましたのでお手すきでご確認をお願いします。 script?guid=onscript?guid=on
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