最善手の副作用
グラントにああ言われたけれども。
それでも――心配が拭えなかった。
表向きはすべて円満に整っている。
だが、その“整いすぎた形”こそが不安の種だった。
特にセラン。
彼は私たちのように、血筋や家門という根で制度に繋がれていない。
己の判断と感情で生きてきた男だ。
理性ではなく、本能。
もし誰かが、リシェリアを傷つけるようなことがあれば――たとえそれが国そのものでも、彼は迷わず敵に回る、そういう危うさがある。
そして、リシェリアは彼に甘い。
私が保護していた頃から、その気があったことは知っている。
悪夢を見ては、無事なセランの姿を探して泣いていたのだから。
まだあの子たちは互いに依存に近い場所から抜け出し切れていない。
ラトリエでのあの怪我の時の取り乱しようも、まだ記憶に新しい。
普段はどんな局面でも静かな彼女が、あのときばかりは声を枯らして彼の名を呼んでいた。
私は悟った。現段階では、彼女は、セランの意見を――誰の言葉より優先してしまう。
もしもセランが“気に入らない”と感じたなら、リシェリアを連れてどこまでも逃げるかもしれない。
あの二人の絆は、情ではなく、生死を共にした者のものだ。国の命令よりも深い。
だから、あのグラントの確信に近い言葉を信じ切れていなかった。
あの後、グラントは種を明かすように教えてくれていた。
「この件に政治的な本意がないことは、それぞれに当事者には、通達済みだ」
彼の声には揺るぎがなかった。
続いて、まるで先回りするように付け加える。
「特にセランの方だな。聖女殿との面談の後すぐ、呼びつけた。腹を割って話して理解させてある」
そう言い切る彼の顔には、余裕が感じられた。
……まさか、理屈ではなくて軍隊式に、物理で理解させたじゃないわよね。
別の意味の危惧が浮かんだ。
だが、そのおかげか――発表後のセランは、まるで何事もなかったかのように任務をこなしていた。
「お前の“お袋”が未来の公爵夫人とはな!もう、靴下はかせてもらえないな」
「うっせえなあ、母親じゃねえって言っただろうが!幼馴染。せいぜい小うるさい妹だっての」
「いやあ、ちょっと頼みがあるんだけどなあ。君の妹さんにイェルス家の侍女のシャロンちゃんを紹介してもらえないかなあ。って」
「あーーー喉が渇いたな。酒が飲みてえなあ」
「よーし、行こう。よし行こう。お前の悲しい失恋話もちゃんと聞いてやるから。そんでレフォードがうまくやった話を聞いて一緒に勉強しような」
「振られてねえ!」
拍子抜けだった。……冷やかされてはいるが、まんざらでもないようだ。
むしろ、周囲の騎士仲間たちが囃し立てては新しい関係を作りながら喧騒に消えていく。
見た感じ、不満を隠した様子もない。少なくとも、リシェリアを誰かに奪われた顔ではなかった。
その現場を胸を撫でおろして通り過ぎ、私はカイルの執務室にたどり着いた。
足取りは軽くなっていた。
……こちらはそこまで懸念していなかったのだから。
カイルは公私を分けて扱える人間だと、それもラトリエで間近に見てきたばかりだった。
非情で冷徹に、人を救うために心を排して対処に当たったあの姿を忘れていない。彼は理屈で理解できることに関して、感情的になるはずはないと思えた。
だが、扉を叩く直前。急に、嫌な予感が去来した。
グラントはあの時こうも言っていた。
「カイルの方へも誤解の余地のない仔細を書面で送達してある。……あれほど聖女に傾いた知己の心を、わざわざ歪める気も別にないからな」
言いながらカイルの顔を思い出したのだろう、ほんの一瞬だけ目を伏せていた。今思えば、無表情の中に、確かにわずかな陰があった。
その予感は的中し、扉を開けて応対した侍従は申し訳なさそうに私に頭を下げた。
「主人は本日、急に体調を崩されまして、先ほど部屋に下がられました」
そして彼は、そのまま出仕せず領地へ戻ってしまった。
数日が経った。
その間、カイルは一度も登城していない。
そのせいで祭祀の予定は滞り、関係部署は混乱している。
穴埋めの報告書が、私の机にも積み上がっていた。
私はまた、グラントの執務室の扉を叩いた。
「入れ」
応じる声は短く、疲弊している。
扉を開けると、山積みの文書に囲まれたグラントの姿があった。
軍部の机に、祭祀庁の印章付きの書類が紛れている。
彼は書類を捌きながらも視線だけこちらに向けた。
「カイルにも、対面で打診するべきだったでしょ」
思わず言葉が強くなる。
本来なら、彼はどんなときでも冷静だった。
リシェリアが関わる件でも、感情に流されることなく理性で行動してきた。
そんな彼が、理を超えて行動を放棄するなど――信じがたい。
「しなかったと思うか?何度も面会申請を出したさ。表で話せる要件ではないからな」
グラントは苦々しい顔をして、低く吐き出した。
「あいつが避けているのか……捕まらなかった。廊下で顔を合わせた時に声を掛けても何かと躱されてな、書面にしたのだ。送達がカイルまで届いたことはこちらでも把握している。あれを読んでも拗ねているのなら――そこまでは知らん」
口調こそ冷静だが、声にはわずかに苛立ちが滲んでいた。
椅子を回し、窓の外を見やる。
灰色の空の向こうに、塔の尖端が霞んでいた。
「奴が放り出した業務の穴埋めで、祭祀庁も私も手いっぱいだ」
その背を見ながら、私は頭を抱えた。
祭祀と軍。二つの頂点を同時に抱える男の苦労など、誰よりもわかっている。
けれど――あの聖女を守るための“策”が、こうして周囲を壊し始めていることにも気づかぬほど、彼は疲れているのだろう。
……本当に、この国を支えているのは誰なのか。
そう思いながら、私は黙って天井を仰いだ。
レフォードはラトリエで馬にラファを乗せた縁で付き合うことになりました。
メイスン家の侍女は、サフィア以外はアスティの趣味で可愛らしい美少女で揃っている設定です。




