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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
14章 赤と黒の再燃
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冷たい金獅子の一指し

そして――私は、ついにそれを報告した。

祭祀庁と騎士団庁、そして政治の頂点にも立つ男。

レオグラント・イェルスのもとへ。


報告を聞き終えた彼は、静かに眉間を寄せただけだった。

机上の書類を一枚だけ指で押さえ、短く言った。


「……聖女殿との面談を組んでくれ。内密に行う」


その声音は、驚きでも感情でもなく、まるで予定していた一手を確認するような冷静さだった。

すでに彼の中では、次の段階が描かれていたのだろう。


面談は、数日後に人払いされ内密に行われた。

そして、その翌日を境に、少なくとも“表面上”の権勢争いは終わった。


王命により――

イェルス公爵家当主レオグラント・イェルスと、聖女リシェリアの婚約が発表されたから。


「……やられた」


その瞬間、思わず声が漏れた。

乾いた音が喉の奥で砕けた。


王命――。

私という後見を。親王家という権威を。

すべて飛び越えて、ただ一人で、あの男は通してしまったのだ。


私には使えない手段。

同性だからというただ一点で私にはできない、リシェリアの“守り方”。


レオグラント・イェルス――”宮廷の金の獅子”と呼ばれる偉丈夫だ。

武勇で名高い祖父、“獅子公レオナルト”の名と体躯を継ぐ。

なお存命の祖父に憚って今はグラントと呼ばれているが、彼こそ獅子に相応しい。

いずれ……きっと彼こそが獅子公として名を遺すに違いない。


イェルス家の家格、実力、政治力。どれを取っても最上。

異を唱える者などいない。

むしろ表層では祝福と称賛で包まれている。


……赤も、黒も、そして金茶の毛並みの新しい捕食者によって、皆、哀れな敗残者とされてしまった。


結果的には、城内の政治的喧騒は霧のように消えた。


誰もが納得し、沈黙し、次の利権を探し始めた。

芸術や文化においても厚い人脈を持つイェルス家だ。

後援を失ってはたまらないとばかりに題材を変え始めていた。

案の定、あの「白い聖女の赤と黒」の公演も千秋楽を迎え、翌週には新しい演目が始まっていた。

これからも、噂好きの少女たちが、許されざる恋物語を綴ることくらいはあるかもしれないけれど。

けれどそれは、もう火種にはならない。


グラントは、建国王の傍系。

王弟の血筋。

彼の政治力にかかれば、この程度の“王命”などねじ込むのは造作もない。


そして外交の席では、これまでカイルが担っていた対外公務での伴侶役を、今後はグラントが務めることとなった。


完璧だ。


これがグラントの謀。

血を流さず、王都の有象無象を一瞬で黙らせる、必殺の一手。


もともと彼は、政治的にも結婚には慎重だった。

だが、今回は違う。きっとこの機を利用したのだ。

彼自身にとっても、有用な“婚約”だったのだろう。


――私は、耐えられなかった。


気づけば足が、彼の執務室へ向かっていた。

衛兵の制止を無視して扉を開け放ち、机に向かう彼の胸倉を掴んでいた。


「リシェリアのこと、好きでもなんでもないくせに!」


声が震えていた。怒りか、焦燥か、自分でもわからない。

リシェリア――あの子は、私にとって大切な“姫”なのに。

誰よりも優しく、誰よりも脆い。そして私の護るべき民。

あんな子が、政の駒のように扱われるなど、許せなかった。


「公女とあろうものが、縁談に愛が必要だと?」


グラントは、何の反発も見せなかった。その瞳は静かで、少しだけ苦しげに揺れていた。

私だってわかっている。高貴な血統には求められる結果がある。家を繋がなければいけない。私は自分自身に関してなら、納得もしているし執着もない。

でも。


「……少なくとも、あの子にはそうであって欲しい」


「美しい思想だな。始まりに何もなくとも、縁を繋いでから育まれるものもあるだろう。少なくとも私はあらゆる艱難から守護できる」


グラントは開き直るかのように、片眉を上げて私を挑発するように見上げた。


「その囲いには自由はない。あれだけ彼女を避けていた貴方が、リシェリアを愛するとも思えない」


苛立ち紛れに視線を跳ね返す。

……わかっている。正しい。それでも彼のやったことに美しさはない。


「……さすがに言葉が過ぎるだろう。それなりに花は愛でるさ。そもそも、お前が野から摘み取ってきたのだろう」


あまりに美しすぎて、摘み取って持ち帰ってしまった。

本当ならそのまま囲って隠しておいた方が良かったのかもしれない。

それでも。……できることなら自由に咲いていてほしい。


「良い頃合いに、平穏に破談にすることで、当人の了承は得ている」


グラントは小さく息を吐き、低く抑えた声でそう言った。


「終わる時には汚名も不名誉も私が被る。すでに、その分野では私の名は地に落ち切っているからな。何の問題もない。――だから、そろそろ離してくれ」


はっとして、掴んでいた手を放した。


「助かる。そうでなくとも、任期が終わればこの婚約も終わりだ。当家が平民の小娘と婚姻を結ぶことなど、そもそも許されん」


グラントは襟を正しながら、ため息混じりに呟き、いつもの冷笑を浮かべた。

その言い方に、一瞬だけ喉の奥が焼けるようだった。


けれど、指先の熱が遅れて戻ってくる。

気づけば、自分が上官の胸倉を掴んでいたのだ。

軍規としては懲罰もの。軍以外の身分で上回っているからこそ境界線で見逃されている行為だ。


それは、私が一番忌むべきもの。自分が王族の身分を振りかざしていたことに歯噛みをした。

ようやく冷静さを取り戻し、静かに頭を下げた。


「……失礼いたしました」


「まあいいさ。驚かそうと君に黙って事を進めたからな」


グラントは、そう言って肩を竦めた。

グラントは公爵家の後継争いを越えた男だ。表にも裏にも知れぬ政争を通したはずだ。

彼も、彼なりに手数を使って対応してくれたのだと、思い至った。


「ただ、……あの歌劇、君が想像しているよりは悪いものではなかった。少なくとも身体芸術として、あの熱演は一見の価値はある」


「……わざわざ見てきたわけ?」


「報告を受けた後にな。こちらの都合で演目を失わせるのだから、一度は見ておくべきだと思った。……まあ、外側で繰り広げていた、あの美しくない場外賭博(金集め)は看過できないがな」


「あ、そう。熱心な事ね」


私は思い出していた。グラントも当主になる以前は、自身でも歌劇や舞台に参加するほど傾倒し、今でも支援を怠らない一面があったのだと。


「舞台は良い。すべてが虚構で作られているが、あの一瞬で醸成される感情のぶつかり合いの中には真実がある。宮廷とは違ってな。……もし、良ければ。公女殿下を私の贔屓の舞台にお誘いさせていただくが」


語り始めるグラントの顔には今までに見たことがないほどの輝きが宿っていた。

しまった。本当にどうでもいい。


「いいえ、結構よ」


グラントはそこで、ふっと小さく笑った。冷笑ではなく、どこか困ったような笑みだった。


そして最後に――

ふと、からかうように目元を細めた。


「心配し過ぎるな。もし、聖女殿が本当に私からの愛を望むのであれば、その時は誠意をもって応じる」


「……」


その言葉に、私は息を詰まらせた。

怒りと呆れと、ほんの少しの敗北感が入り混じって。

グラントは、そんな私の動揺を見透かしたように、珍しく柔らかい笑みを浮かべていた。


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2026/07/14 【ep.304 名前のない憧れ】に投稿ミスがあり、前話と同じ本文を投稿していました。すみません。差し替えて本来の話を公開しましたのでお手すきでご確認をお願いします。 script?guid=onscript?guid=on
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