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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
14章 赤と黒の再燃
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赤と黒の再燃

「『白い聖女の赤と黒』夜の公演、当日席残りわずかです!今宵、聖女に選ばれるのはどちらか。是非想像しながらご観覧ください!」


また――見てしまった。


あの忌まわしい、”赤と黒”を。

王都の中心、ひとの波にまぎれた通りで、劇場の告知台に描かれたその題目で。


手にしていた紙袋が、ぱさりと音を立てて落ちた。中の乾いた果実が、石畳の上を転がっていく。

拾おうともしなかった。目を逸らせなかった。


白の聖女と、赤と黒のロマンス。

それが、街の空気にまで染み込んでいた。


王城の中でくすぶっていた噂が、とうとう民のあいだに大きく流れ出したのだ。

最初はただの戯れ言だったあの言葉。

けれど今は――名の通った劇団が、それを脚本にして歌劇を上演している。


以前のそれは、城内の膿だった。処罰し、名を伏せ、関係者の口を塞げば、少なくとも表面からは消せた。

けれど今、同じものは花飾りをつけ、旋律をまとい、善良な民の娯楽として戻ってきている。


「白の聖女が誰を選ぶのか!」

俳優の即興で日毎、公演ごとに変わる“恋の筋書き”。

その日の演技の熱量や観客の反応に合わせて、女優が最後に抱きしめる相手を変えるという。

赤毛の情熱的な騎士役も、黒髪になった寡黙な祭祀官役も女優に選ばれるために熱演をしているようだ。


場外の飲食店では、さらにその結末を賭けと話の種にされている。


よくもまあ、思いついたものだ。

 

劇場前には観客が群れ、賭場の帳簿を片手に金のやり取りをしていた。

声が飛び交う。笑いが起こる。興奮と熱気。

それらすべてが、正しく商売として成り立っている。


――あの名を使って。


以前、王都の裏で行われていたような、生身の人間を巻き込んだ猥雑な見世物とまではいかない。

衣装も台詞も、どこまでも美しく磨かれてはいて、芸術として成立している。

それがまた、質が悪い。


馬鹿げている。けれど、下品とは言えない。

民が夢を買うための虚構。

白の聖女を、清らかな偶像に押し上げる舞台。

そしてその横に並ぶ“赤”と“黒”――あのふたり。


彼らを知る私には、ただの虚構とは思えなかった。


一度は、自分の影で薄められると思った。黒髪の私が黒い軍装で寄り添って見せて、誤魔化せると判断した。

甘かった、とまでは思わない。あの時点では、それが最善だった。けれど火種は、消えたのではなく、灰の下で形を変えていた。


風が通り抜け、劇場の旗をはためかせる。

金糸の刺繍で縫われた「赤」と「黒」の紋章が、揺れながら空に翻る。

その下で、少女たちが笑い合っていた。

「赤派?黒派?」と。

あどけない声。無邪気な笑顔。


路地裏の影で誰ともつかない声がした。

「女優と黒役の男は、実は前から出来てる。最終日にあっちに賭けて儲けよう」

下卑た笑い。真偽の見えないやり取り。


胸の奥が、ひやりとした。

 

あの日の予感は、やはり的中した。

あの嵐の日――忘れようにも忘れられない、恐ろしくも荘厳な瞬間。

聖女が、真の“奇跡”を現実にしてみせたのだ。

暴風を裂き、稲光を鎮め、街を覆っていた闇をただひとりで祓い去った。


崩壊しかけた屋根は無事に残り、逃げ惑っていた人々は生き延びた。

その恩を、誰もが知っている。


ゆえに、金になる。

信仰は武力になる。

そして――崇拝は、政治の種になる。


すでに私の耳にも噂が届いていた。

聖女に近づこうとする貴族たち。

さまざまな口実を設け、宴席や慈善会の名のもとに接触を試みている。


だが祭祀庁は、それを表向きは封じていた。

「公務を優先するため」――そんな名目で、意味の薄い面会を一切禁じている。

選び抜かれた公益性のあるものだけが承認される。

それでも裏では、水面下で巧妙な駆け引きが進んでいる。

名門出の祭祀官には親族が圧をかけ、平民出の者には金や地位の誘惑が忍び寄る。


そして今、名を上げてしまったセランまでもが政治の駒として使われはじめた。


聖女の縁者。

奇跡の場に立ち会った唯一の護衛。

民衆は彼を「赤の騎士」と呼び、その勇気と忠誠を伝説のように語る。


「彼を自分の従士に」と、いくつもの家が声を上げている。

功績を取り込めば、聖女の信頼を得られる。

そして聖女に愛されるかもしれない男を掌握できる。

狙いはそこにある。

彼を通して、聖女を――そして“奇跡”そのものを支配下に置こうとしているのだ。


甘い言葉で誘い、恩義と契約で縛る。

いかにも貴族らしい、静かで冷ややかな狩り方だ。


カイルにも、当然声がかかっているはずだ。

彼は聖女の祭祀官。剣を取らぬが、知と信義で聖女を守る者。

民からは“黒の官”と呼ばれ、理性と信仰の象徴とされている。

外交の場で、利用価値の高い存在でもある。


国外からの縁談も、今なお絶えない。

聖女の血統を源泉と主張する隣国。

富をもって口説こうとする商業国家の貴族。

古い公国から届く、敬虔な求婚の書状。

後ろ盾の我が家が裏で全てを押さえているが、それもいつまで保つか。


表には出ていないだけで、政治の潮流はすでに動き出している。

その波は、もうすぐ聖女の足元にまで届いてしまう。


――手を打たないとならない。

奇跡が、祝福だけを呼ぶとは限らない。

力が光であるなら、その影もまた、同じ形で世界に落ちるのだから。


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