火花が瞬く日の再来
リシェリアさんは、本当に――無自覚なのか、わざとなのか、時々わからなくなる。
恋を知らないと言っているのに、その言葉や仕草のひとつひとつが、自然と人の心を転がしていく。
しかも本人はまるでそれを理解していない。
この人、本当に気づいてないのかな。
自分をめぐって、セランさんとカイルさんが、あからさまに火花を散らしてることを。
その日の朝は、セランさんが帰ってくる日だった。
庭は夜明けの冷気がまだ残っていて、草の葉先に朝露が光っていた。
リシェリアさんは、もう作業を始めていた。
刷毛を持ち、蕾の上の露をひとつひとつ丁寧に払っていく。
冷たい雫が指に落ちても、気にも留めず。
静かに、祈るような所作で。
その横顔を――カイルさんが、じっと見ていた。
うっとりと。
少し口を開けて、まるで夢でも見ているみたいに。
真面目だとは思ってたけど、リシェリアさんの前だと、完全にダメかもしれない。
……あれ、なんでいるんだ?
「あれ? カイルさん、今日も来たんです!?」
僕が声をかけると、彼は驚いたように眉をひそめた。
「……来てはいけないのか?」
リシェリアさんの観察を邪魔されたようで、少し不機嫌な声音だった。
その時、リシェリアさんが振り向いた。
朝日を受けて、微笑んだ顔がまぶしいほど明るかった。
「言うの、忘れちゃった」
……そう。
セランさんが戻るから、今日からもう手伝いはいらない。
けれどその言葉を聞いた瞬間、胸の奥で嫌な予感がした。
あ、来た。
「うーす。戻ったぞ――あ?」
静寂を破るように、低く響いた声。
セランさんが戻ってきた。
まだ腕に包帯を巻いているけど、その歩き方はもうほとんど元通り。
彼はカイルさんを見て、一瞬だけ戸惑ったような顔をした。黒衣を着ていなかったせいで、わからなかったのだろう。
だがすぐに、鼻を鳴らして目を細めた。
「カイルか」
セランさんは頭からつま先までを無遠慮に眺めて、あからさまに嫌そうな顔をした。
「お疲れさん。いままでどうも」
「セラン……生きてたか」
カイルさんも負けずに、淡々と嫌味を返す。
空気が一瞬で凍った。
朝の光の中で、二人だけが冷たい影を落としていた。
セランさんは何か言おうとして、言葉を探すように指先をくるりと回した。
けれど言葉にならず、小さく舌打ちだけした。
「……チッ」
ああ、戦闘開始の合図のように聞こえて、見ているこっちの方が胃が痛くなる。
その間に、カイルさんは軽く息を吐き、落ち着いた声で言った。
「……リシェリア。これで刑期は終わりでいいのかな」
“刑期”。
なるほど。
自分に課せられた“罰”のつもりで、ここにいたんだ。
リシェリアさんは微笑んで頷いた。
「ええ、そうです。……でも、いつでもまた来てくださいね。お待ちしています」
その笑みは――どこか、人を包み込むような温かさがあった。けれど同時に、言葉の端々に小悪魔的な何かが潜んでいる。
本当にこの人は無邪気なんだろうか。
……まずい。
この笑顔を見たら、誰だって蕩ける。
「そっか、それもいいな」
カイルさんはふっと表情を緩めて、相好を崩した。
その一瞬だけ、少年のような笑顔になった。
「リシェ、リーシェ。社交辞令を言うな。人手は必要ないだろ」
セランさんの声が、少し荒くなる。
その目には明確な苛立ち。
まあ、そうだろうな。
代わりとはいえ、ここは自分の居場所。
そこに今、あのカイルさんが立っているのだから。
「セラン。手伝ってくれた人に失礼でしょ」
リシェリアさんがたしなめるように言う。
少しだけ、セランさんに対して怒っているようにも聞こえた。
セランさんが無茶をして大怪我をしたこと――まだ引きずっている。
「じゃあ、リシェリア。この後またすぐ、執務室で」
カイルさんが、あえてセランさんの前でそう言った。
宣戦布告のように。
その声は穏やかだったけれど、確実に意図があった。
上衣を肩にかけて、庭を出ていく背中。
その去り際に、ふいに僕のところで立ち止まり、小声で囁いた。
「バージェス。なんか待遇に不満があったら相談してくれていいぞ。狂犬のことでも、リシェリアに困った時でもいい。……あと、有用な情報があったら金も出せる」
息が止まりそうになった。
まさかこの人まで、そんな駆け引きをしてくるなんて。
「考えておきますね」
とりあえず、笑って返した。
庭に残ったのは、朝露の匂いと、まだ消えきらない緊張の残り香だけ。
……三角の辺が、狭まった気がした。




