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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
13章 雨上がり
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庭の留守番と新入り

遠征から戻ってきた時、セランさんは大怪我を負っていた。

血の気のない顔で担がれてきた姿を見た瞬間、息を呑んでしまったほどだ。


それ以上に、リシェリアさんの様子が心配だった。

いつも穏やかで柔らかい人なのに、その日はまるで光を失っていた。

声もかすれて、立っているのがやっとのように見えた。


「ごめん、ジェス。セランはしばらく来られない……私も看病で、そちらに行くと思う」


かすかな笑みを浮かべながらそう言われて、僕は慌てて手を振った。


「いやいや、仕方ないですよ。僕が一人で頑張ります」


そう答えたけれど、リシェリアさんは何とも言えない顔をした。

怒っているようでもあり、どこか悪戯っぽくもある、不思議な微笑み。

あの表情は、少しずるいと思う。


「ううん。代わりの人は来るから。ジェスも働きづめだから無理しないで。その人に仕事させて……特に大変そうなやつ、任せちゃって」


……大変そうなやつ?

言い方に少し引っかかりを感じたが、その時は深く考えなかった。


――そして、やって来たのがカイル様だった。


え、えええええ……!?


まさかの、カイル・ラス・アーレンス様。

王都でも色んな意味で有名な祭祀官で、しかも遠いとは言え公爵家の血筋。

そんな人が――うちの庭仕事の“代わり”!?


「……お貴族様が、来ちゃった……」


思わず呟いた言葉を、誰も拾わない。


リシェリアさん、いくらなんでも無茶振りが過ぎませんか……。

この人を、僕が使っていいってこと?

心臓がばくばくする。


それでも、仕事は仕事だ。

僕は背筋を伸ばし、できる限り失礼のないように頭を下げた。


「ど、どうも、アーレンス様ですね。大樹の木漏れ日のもと、お目にかかれて光栄です。リシェリア様より話は聞いております。庭の管理者の一人、バージェス・ラングと申します」


初めて会ったカイル様は、思っていたよりもずっと柔らかい人だった。


「ここでは新人だ。カイルでいい。敬称もいらないし礼儀は最低限で構わない。よろしく頼む」


まっすぐな声音。

威圧もなく、ただ淡々とした調子。

……この人、偉ぶる感じがない。


「はい……よろしくお願いします」


恐る恐る返すと、軽く頷かれた。


そして、ひと言。


「ちなみに……リシェリアは今日、来るか?」


「来ません」


その瞬間、カイル様の肩がほんの少し落ちた。


「そうか……」


小さく呟いて項垂れる。


あ、やっぱり。

この人、リシェリアさんが目当てなんだな。

そうだろうなぁ……。


でも、だからといって手を抜くことはなかった。

驚くほど真面目だった。


力強さはセランさんほどないし、体力もない。

けれど、飲み込みが早い。

動きを一度見ただけで要領を掴み、翌日にはもう慣れた手つきで作業していた。


「バージェス、多分こちらの方が面効率がいい」


「めんこうりつ?」


聞き慣れない言葉に首をかしげると、カイル様はスコップを止めて説明してくれた。


「ああ。同じ土地で植えられる苗の数が増えるって意味だ。風通しと間隔を調整すれば、育ちも良くなる」


その言葉を聞いて、思わず感心した。

ほんの数日で土の性質まで理解して、改善案まで出してくるなんて。

その理屈がまた的確で、実際にやってみると確かに成果が出た。


……この人、本当に貴族なのか?

泥だらけになって働いて、冗談を言う余裕すら見せて、礼儀正しく、文句も言わず。


気づけば、僕は素直に思っていた。


――この人、噂や見た目と違って……結構いい人だな。


作業の合間、汗を拭いながらふと思いついて、軽い気持ちで話を振ってみた。


「カイルさんって、使用人や兵士にもずいぶん気さくですよね」


鍬を動かしていた手がぴたりと止まる。

カイルさんは、息を整えながら顔だけこちらを向いた。

頬には土の粉、額の汗が光っている。

白衣を脱いで土にまみれていると、普段の知的な印象がだいぶ薄れて、なんだか普通の青年みたいに見えた。


「別に……気さくじゃない」


息を少し切らしながらも、淡々と返してくる。


「よほどの上位の方が相手でない限り、態度は……同じにしていると思うが」


「へえ……でも、リシェリアさんに初対面でヴェールを引っぺがして叩きつけたとか」


カイルさんがびくっとした。


「た、た……叩きつけてなんかない! 誰から聞いた!」


あ、図星っぽい。


「もちろんリシェリアさんです」


ちょっと誇張した。

元平民とはいえ、初対面の淑女のヴェールを捲りあげたなんて信じがたいけれど、あの頃のこの人の噂を考えるとしかねないとも思っていた。

なんとなく、この人をいじると面白いなと思って、つい話を膨らませてしまった。


すかした顔をしてるくせに、こういうところで素が出る。

耳までほんのり赤くなっているのを見て、笑いをこらえた。


「リシェリアか……そうだよな……」


カイルさんは鍬を持つ手を止め、少し遠くを見るような目をした。


「仲、結構いいんだな」


「僕とリシェリアさんがですか?」


まあ、雑談するくらいには。

……手を繋いだり、秘密を話したりするくらいには。

でも、それを正直に言ったら面倒なことになりそうだ。


「ま、まあまあです」


曖昧に笑ってごまかす。


だけど、ついでに聞いておきたくなった。

胸のどこかに、軽い興味があった。


「カイルさんって、リシェリアさんのこと好きですもんね」


カイルさんが、止まった。

本当に、止まった。


目を細め、半分だけ閉じたような半目になって、顔がみるみるうちに赤くなっていく。

それから、静かに息を吐いて。


「……そうだな」


その一言に、ため息が混じっていた。

照れでも、諦めでも、両方でもありそうな音。


そして、間を置かずにこちらを見た。


「まさかお前もか」


声が少し鋭くなった。


「い、いや、いえ!」


両手を上げて慌てて否定する。

確かにリシェリアさんは綺麗だし、優しい。

けれど、その土俵で殴り合うつもりは毛頭ない。


その隣に立つのは、やっぱりセランさんだと思っている。


「いえ。ただ忠告ですけど……リシェリアさんは、相当手強いです」


それを聞いたカイルさんは、苦笑に近い嘆息を漏らした。


「知っている」


その声には、どこか誇らしげな響きすらあった。


風が庭を抜けていく。

掘り返した土の匂いと春の草の香りが混じって、静かな時間が流れた。


僕はセランさんの味方のつもりだ。

それは変わらない。

でも――スコップを握るカイルさんの背中を見ていると、どうにもこの人を嫌う気にはなれなかった。

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