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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
1章 黒
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探究心の対価

「……っ!」

胸の奥が跳ねるような感覚と共に、意識が戻った。


昏倒していた――と、すぐに理解する。

目を開けると天井は見慣れた白漆喰で、救護室の独特の薬草と清潔な布の匂いが鼻をかすめた。硬い寝台の上に体を横たえている。


普段なら医務官が常駐しているはずだが、視界に入ったのは一人だけ。

額にそっと添えられた手の温度。少し冷えていて、しかし妙に心地よい。


リシェリアだった。

覗き込む顔は強張っていたのに、俺が目を開いた瞬間、安堵の色がにじむ。彼女の瞳は青天のように澄んでいる。まだ治癒を施しているのだろう、掌を額に当てたまま離そうとしない。


「あ、……ええと。」

思わず俺は言葉を失った。状況の気まずさが喉を塞ぐ。


「まだ起きないでください。」

リシェリアが小さく制する。声は柔らかいのに、拒ませない強さを帯びていた。


「説明を頼んでも?」

不覚をとった以上、経緯を知る必要がある。


「その前にお礼いってくれる? みんなで運んだのよ。」

背後から別の声が差し込む。アスティだ。扉脇に凭れていたのか、ひょいと顔をのぞかせて眉を上げた。非難というより、義務を果たせと言わんばかりの仕草。


「……迷惑をかけてすまない。感謝する。」

体を起こすこともできず、せめて視線を伏せて会釈の代わりにした。


アスティは腕を組み、しばし俺を値踏みするように見下ろし――やがて小さく頷いた。

「うん。いいよ。」

それ以上は追及しない。


だがすぐ、厳しさを含んだ声を投げる。

「でも、満足に使えるわけでもないのに、なんで大樹なんて知覚しようとするのよ。あんたは大樹に弾かれたのよ。…私たちがなんで大樹と波長の合う聖女を探してきたと思ってるの。」


言い返す言葉を持たず、唇を引き結んだ。

昨日、リシェリアが言っていた言葉が脳裏をよぎる。


「昨日、ご自身より力が強いものや、生きているものは難しいとお伝えしたのですが…」

リシェリアが申し訳なさそうに口を添える。


「……?というと、あの断片は生きている?」

驚愕が口をついた。切り離され、剥がれ落ちたものだからただの物質と見做していた。それとも大樹に、意思があるとでも?


「そうですね……目を凝らすとわかるのですが、まだ生命が通っていて、みえない力の流れで主根と繋がっています。大樹そのものが大きな力をもっていますから。波長が合わないと難しいかもしれません。さきほどは弾かれてしまいましたね」

彼女はいつもの柔らかな調子で結論をまとめる。怒りではなく、諭すように。


生き物同士の反発――そう考えれば納得はいく。

だが同時に、小さな破片だと侮って軽い興味で手を伸ばした己の無謀さに、苦い後悔が押し寄せてきた。


「大樹と波長のあう聖女と、聖女と波長が合う俺。だから大樹とも波長が合ってもいい気がするが…」

起き上がれず、天井に目を向けたまま指先で空に図式をなぞる。単純な算術のように思えてしまったが、現実はどうやらもっと複雑らしい。


「あなた友達いないのね。可哀想に。」

アスティの声音は冷ややかというより、呆れを突き抜けて哀れみにまで至っていた。

「友人の友人は、友人になるわけじゃないのよ?」


その理屈は正しい。彼女らしい無遠慮な切り捨て。

「そうか。」

反論は出てこない。ただ素直に受け取る。確かに、自分に“友人”と呼べる存在はいないのだから。


リシェリアが困ったように眉を寄せ、少し身を乗り出した。

「アスティとアーレンス様は、ご友人ですよね…?」

控えめな声。場を和ませようとしているのがわかる。


「違う。」

「違うわ。」

俺とアスティの声が重なった。思わず互いに顔を向ける。否定の内容は一致しているのに、そこに微妙な呼吸の合致を感じてしまう。皮肉なものだ。


気が合う――のかもしれない。


「そうですか……」

リシェリアは肩を落とし、小さく嘆息するように呟いた。その声音に申し訳なさがにじむ。自分の不用意な言葉が彼女を落胆させてしまったことに、胸が少しだけ痛んだ。


「リシェリア。もう癒しはいい。危険がなくなったら、完治していなくても止める癖をつけて。本人の回復力に任せるの。」

アスティが横から手を伸ばし、リシェリアの掌をやんわりと止めさせた。


「見た目治っても精神的な疲労や減った体力はすぐに戻せないからね。見た目と中身が釣り合うのが大事。」

その声音には、軍部で場数を踏んだ者らしい現実的な説得力があった。リシェリアは神妙に頷き、素直に手を離す。彼女がアスティを信頼しているのがその仕草だけでわかる。


アスティも軍部に身を置くせいか、医療の側面でも口を挟む資格を持っているらしい。場違いな軽口ばかりではないことに、わずかに感心する。


「カイルは日々の過労もあるからこのまま寝かせとくわ。今日の後の予定は全部なーし。街にでもいこうか?」

俺への確認もなく、当然のようにリシェリアに笑顔を向ける。彼女に身支度を促すその姿は、まるで姉が妹を遊びに連れ出すようだった。


……まあ、いいか。

進捗は二、三日休んだところで大きな差はない。ならば眠れるときに眠るのが得策だ。まぶたを閉じようとした、その時だった。


アスティが近寄ってきて、声を潜めて囁く。

「いまだに家名に様付け?もう三か月になるけど随分、他人行儀ね。」


「君が変なこと言い残すからだろう」

気怠さが全身を包み込み、言い返すのすら面倒に感じる。


――一目惚れするな、などと言うから。


「ああ。それなら……今日、本当はあなたの様子を確認しに来たんだけど、今の時点でこのくらいなら多分心配ないでしょ。」

説明もせず、筋の通らないことを平然と言い連ねる。俺の様子を確認?


「まあ、もういいよ。大丈夫だと思うから。節度を守ってさえくれればご自由に」


「意味、わからないことを……」

意識が霞んでいく。言葉を続けるのも億劫だ。眠気が重しのように体を沈める。


「そのうちわかるようになる。……おやすみ、カイル」

アスティの声は軽やかに響き、彼女は面白そうに目を細めて俺を見送っていた。

その笑顔を最後に視界が閉ざされ、意識は闇に沈んだ。

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