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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
12章 大嵐
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ラトリエの奇跡

大嵐編のエピローグです

あの暴風の日は、まるで世界そのものが悲鳴を上げているようだった。

屋根は剥がれ、石畳の上を瓦礫が転がり、人々の祈りと叫びが交じり合う中――それは訪れた。


聖女が、風の中心に立った。

彼女の祈りが大気を穿ち、光が嵐を裂いた瞬間、天が割れたように静寂が広がった。

氷の粒が降り注ぐ下で、白銀の髪に白い衣がたなびく姿は、まさに白い聖女だった。


赤い髪をなびかせた兵士が身を挺して聖女を庇い、血に染まりながらも立ち続けていた姿は、まさに赤い騎士のようだった。

光り輝く聖女の影に、当たり前のように寄り添う黒衣の祭祀官が立っていた。

彼は混乱の中にありながら、聖女の傍らで、誰より冷静に、全てを導くように支え続けていた。


嵐が去ったあとの町では、分霊樹が花を咲かせていた。

蕾もなかった枝先が順序を飛び越えて芽吹き、花開いていた。

それはまるで、神がこの出来事を祝福しているかのように。

人々はそれを、建国神話の再現だと噂した。そして、この出来事を「ラトリエの奇跡」と呼ぶようになった。


光と風と祈り――三つの力が交わったとき、嵐は消えていた。


「白の聖女、赤の騎士、黒の官――」


その場にいた者でさえ、すべてを正しく見ていたわけではない。

怯えて隠れた中で見上げた白い光。割れた窓越しに映った赤い影。公会堂や祠堂の入口で低く命じる黒衣の男の声。

誰もが、自分の見た一瞬だけを握りしめ、それを真実として語った。

母は子を抱きしめながら聖女の祈りを見たと言い、市衛は赤い髪の男が雷より速く駆けたと言い、市役人は黒い祭祀官が場を動かしたのだと囁いた。

断片が断片のまま人の口に渡り、恐怖が薄れるにつれて、体験した者の熱が乗っていく。


語り部たちの口から伝承のように語られ、ラトリエを発った言葉が、旅をして王都に着く頃には、物語はすでに熱を帯びていた。

嵐の顛末に、王都で流行った“赤と黒”の出来事が交じり合い、現実と伝説の境が曖昧になっていく。

語る者によって、話には羽が生え、装飾が施された。聖女が空に立ったとも、巨獣の影を鎮めたとも言われるほどだった。


当人たちは、伝承の中にいるような顔をしていなかった。

赤い男は血を失い、幾日も熱に浮かされたまま眠っていた。

白い聖女は何度も療養所へ通い、扉の前で深く息を整えてから、何事もなかったように笑おうとしていた。

黒の官は報告書と聞き取りに追われ、称賛の言葉を受けるたび、どこか苦い顔をした。

けれど町の人々にとって、その疲弊も沈黙もまた、奇跡の一部に変わっていった。

傷ついたからこそ本物なのだと。

失いかけたからこそ、尊いのだと。


そして、確かに残ったのは功績だった。


赤い男――セラン。

命を賭して聖女を守ったその姿は、軍でも民でも語り草となった。

本来なら下士官試験を経て認められるはずだった彼は、ラトリエでの功績によって試験を免除され、療養を終え次第、従士として取り立てられるとの報が伝わった。

人々は喜びの声を上げた。

それは単なる昇進ではない。

平民から、騎士への正式な道を得るということだった。

療養所には、聖女が何度も通っていた。

見舞いと称して彼の枕元に座る姿を見た者たちは、「聖女の心は赤く染まった」と噂した。


一方で、黒の官――カイル。

混乱の現場で、彼が見せたのは理性と秩序そのものだった。

誰もが動揺する中、彼は判断を誤らなかったと語られた。

聖女の力を正しく導いたその姿は、まるで守護者のように見えたという。

「光のそばに立つには、影が要る」そう囁かれた。

黒衣は聖女の清らかさを引き立て、民の信を繋ぐ影。

それこそが彼の役割だと、人々は信じ始めた。


噂はやがて形を変えて再び巡り始める。

城内でも、王都でも。そしてその外へ。


“赤か黒か”――。


どちらが聖女にふさわしいのか。

その囁きは、まるで再び嵐を呼ぶ風のように、静かに国を流れ始めた。

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2026/07/14 【ep.304 名前のない憧れ】に投稿ミスがあり、前話と同じ本文を投稿していました。すみません。差し替えて本来の話を公開しましたのでお手すきでご確認をお願いします。 script?guid=onscript?guid=on
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