聖女ではない少女の胸の中
今回の旅は――
苦しくて、辛くて、
聖女になったことを後悔するほどに、大変だった。
最初は、心から安心していた。
セランが一緒にいてくれて、アスティも隣にいた。
旅の道のりは未知でも、不安よりも期待が勝っていた。
この国の外の世界を見に行けるのだと思った。
それだけで胸が高鳴った。
けれど、不安は空とともに膨らんでいった。
青空のはずが、重たく曇って。
雨が降るたび、安心を少しずつ削られていく。
足元の泥の冷たさが、心まで沈めていった。
目的地の町は、まるで風が通うことを忘れたような閉じた場所だった。
重い湿気と、押しつぶすような静けさ。
私たちはそこに閉じ込められ、中の人たちも、出口を失って苦しんでいた。
それでも、カイルが道を考え、アスティが町を動かしてくれた。
私は……ただ、できることをした。
できることを、言われた通りにやるしかなかった。
灯りをともすように、私は町を回った。
分霊樹を励まして、少しでも力を取り戻してもらえるように。
カイルがやるべきことを教えてくれるから、私も応えた。
「リシェリアならできる」と言ってくれた言葉を信じて。
でも、終われなかった。
嵐は収まらず、風は怒っていた。
それでセランが私を庇って、槍のような風を受けた。
血の気が引いた。
私には傷ひとつないのに――どうしていつもセランなの。
どうして彼ばかりが、痛みにさらわれていくの。
いかないで、と叫んだ。
止めなきゃ、と思った。
無我夢中で喚いていた。
気づいたときには、祠堂の片隅で、誰かに引きずられるようにして倒れていた。
守れなかった。出来なかった。
ああ――私は、何も変わっていない。
サリーナのあの日から、一歩も進んでいない。
あの白い塩田の浜に、小さな白い犬と、お兄ちゃんと立ち尽くしている。
何もできず、誰かに引っ張ってもらうことで生きている。
怖いものを見たくなくて、世界に泣きついている。
弾かないで。
いじめないで。
優しくしてよ。
なんでもするから。
だから――世界も、私に優しくしてよ。
王都での生活は、優しかった。
言われた通りにしていれば、みんなが褒めてくれた。
間違えず、反抗せず、誰にでも同じように微笑んでいれば、それでよかった。
その優しさが、私の世界の形になっていた。
けれど、それでも――譲れないものがあった。
胸の奥、古びた祈りのような想い。
セランを奪われることだけは、だめ。
あの日、何を犠牲にしてもいいから守ってと願ったんだから。
ウルを失っても選んだ命。やってはいけないことまでして引き留めた命。
その願いを裏切るくらいなら、聖女になんてなりたくない。
私が異能を使って人を救うのは、頼まれたから。義務だから。
でも本当は――私はすべての人を愛してなんかいない。
聖女らしくなんて、なれない。
それなのに、カイルは言った。
「私は聖女だ」と。
「選ぶな」と。
そんなの、無理だよ。
カイルなんて、嫌い。
厳しいし、細かい。注文が多い。話が長い。理屈っぽい。優しくなんてない。結構ずるい。
たまに意見を押し通そうとするし、子供みたいなところがある。
自分の考えに酔ってるところがあるし、たまにちょっと自慢げで、腹が立つ。
……でも。
カイルは、正しい。
難しいことでも簡単に言う。だけど、本当にやれることだけを言う。
私にはできないと思っても、当たり前のように乗り越えさせてくれる。
困っても、叱って、問いかけて、考えさせてくれる。
泣いて立てなくなっても、立ち上がれるようになるまで、何でもしようとする。
今回みたいに。
――カイルは、優しい。
そう認めるのは、少し悔しい。
あの人の厳しさの奥には、いつも温かさがある。
それを知っているから、私はあの人を本当に恨むことができない。
ラトリエで”奇跡”を起こせたのは、私ではなく、カイルの導きがあったからだ。
あの人が冷静に道をつけ、私を信じてくれたから。
本当は、カイルのほうがすごい。
彼は、自分の痛みを誰にも見せずに、すべてを整えていた。
雨を見るその目が、どこか遠い悲しみを抱えていることにも気づいていたのに。
それでも、彼は弱さを見せなかった。
全てを救うために。私を、含めて。
私にはわかっている。
カイルは、私さえ救おうとしてくれている。
だから。
私はもう少し、カイルから学ばなければいけない。
彼に救われるためではなく、自分で立てるようになるために。
あの日の私を――私自身で救えるように。




