災厄を解き放つ策
「それで? ……どう止めるんですか、早く済ませましょう」
リシェリアの声は、かすれていた。
泣きはらした瞳の奥には、まだ怒りの残滓がある。
けれど、もう我を失ってはいなかった。
痛みと共に、理性が戻ってきている。
俺は小さく息をつく。
「うん。嵐の中には大量の水がある。海の水気を巻き上げながらやってくる。……以前、君が石室の中でやったように、嵐の中の水だけを固めて氷にして外に弾き飛ばすんだ」
「それで……止まるんでしょうか」
「原理が正確にわからなくても、それを構成している半分をなんとかしてしまえば、なんとかなるもんだ」
本当は、嵐の仕組みならいくらでも説明できる。
風の対流、湿度、気圧の偏り――理屈はいくらでも語れるが、今はそんな余裕はない。
彼女に考え込ませるより、ただ前へ進ませることが大事だ。
「それに。これだけの風の半分が水……想像できない」
リシェリアの声がかすかに震えた。
不安の気配が、そのまま彼女の掌から空気に伝わっていくのがわかる。
俺は一歩、リシェリアに近づく。
その瞬間、彼女はわずかに肩をすくめて半歩下がった。
……思ったより、堪えた。
「俺のことを、信頼できなくなったかもしれない。嫌いになったと思う。終わったら……残念だけど担当を降りてもいい」
それは覚悟していたことだ。
「それでも今だけは、信用して欲しい」
俺は手を伸ばした。
「俺がまた、あれをやる。祭器の代わりに君の目になり、腕になる。……君の力を一切無駄にしないと誓う」
リシェリアの力を、俺が制御する。
視界を共有するように、感覚を合わせて、流れを読む。
暴走せず、最短で最深に、力を導く。
彼女が信じてくれるなら、それができる。
「力を貸してくれ」
頭を下げた。
へりくだるためではない。
願うために。祈るために。
その横で、アスティも何も言わず、静かに同じように頭を下げた。
礼儀ではなく、敬意だった。
沈黙が落ちる。
風の音が、遠くでくぐもって聞こえる。
俺は願う。この手が、彼女の心に届くように。
届かなければ、この町も、彼女も、もう持たない。
小さな嘆息のような呼吸の震えがあった。
リシェリアは目を伏せ、長い睫毛を震わせながら、ぽつりと呟いた。
「カイルは……ずるいです」
その声には、まだ怒りも不信も嫌悪も残っていた。
それでも、拒絶は薄らいだように思えた。
次の瞬間、彼女の手が俺の手を握り返す。
指先が冷たい。
それでも、確かに――力が、そこに戻ってきていた。
「よし、すぐ動こう。何が必要?」
俺の声に、リシェリアはわずかに息を吸い、顎に指を添えた。
一瞬だけ、迷いのない顔に戻る。
「……高いところに行きたいです。満たされた分霊樹の枝が空に近いから、そこを経由して……力を流します」
そう言って、空中に指先でなぞるように円を描く。
彼女が何かを思い浮かべているときの癖――手で空間を撫でるような、独特の仕草だ。
その繊細な指が、雨の中の光を掬うように震えて見える。
調子が戻ってきたのかもしれない。
声に、わずかな張りが戻っている。
「だから全部見渡せるところ、それだけで充分です」
アスティが即座に動いた。
ラトリエの祭祀庁員を呼び、地図を広げ、最寄りの高台を指示する。
「北の丘の公園、見晴らし台がある。……あそこなら」
言い終わるより早く、アスティが指揮の声を上げる。
礼拝堂の扉が開かれ、冷たい風が滑り込んだ。
そのとき――
リシェリアが、かすれた声で言った。
「もう、騒がないから……顔だけ見てもいいですか」
胸が詰まるような声だった。
静かなのに、どこか必死で。
アスティがこちらを見る。
何も言わないが、判断を委ねる視線。
俺は、ゆっくり頷いた。
そして、手でセランの運ばれた方角を示す。
許可の意を、静かに伝えた。
応急にあたっていた医務官が一瞬ためらい、少しだけ身を引いた。
「……短くお願いします」
寝台の上のセランは、血の気を失った顔で眠っていた。
枝は邪魔にならないよう短く切られてはいたが、深く突き刺さったまま固定され、止血用の布が何重にも巻かれている。
眉根を寄せ、苦痛に歪んだまま。
それでも、胸はゆっくりと上下していた。
リシェリアはその顔に近づき、胸元で震える手を重ねて祈る。
けれど彼女は何も言わず、ただ見つめ、短く息を吐く。
「行きます。終わらせます」
顔を上げたときのリシェリアの瞳は、もう、涙も怒りも超えた場所にあった。
冬の湖面。
氷が張りつめ、何を映しても揺れない。
そこにあるのは、ただ静かな決意だけだった。
アスティが頷き、俺もそれに続いた。
祈りを残して、リシェリアは再び嵐の方へ向かって歩き出す。




