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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
12章 大嵐
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盾になれない番犬

後続の部隊が次々と到着し、祭祀庁の職員や市兵、役人たちが公会堂に流れ込んでくるにつれ、張り詰めていた場の空気が少しずつ変わっていった。


嵐は相変わらず荒れている。

壁を叩く雨音も、窓を鳴らす風も、少しも弱まっちゃいない。けれど、人が揃えば声が増える。声が増えれば、ただ怯えて立ち尽くしているだけじゃなくなる。誰がどこへ行くのか。どの道が使えるのか。どこに怪我人がいるのか。何を守ればいいのか。そういうことが、一つずつ形になっていく。


地図の上に手が伸び、線が引かれ、名前が呼ばれる。濡れた外套の匂いと泥の匂いが混ざる中で、祭祀庁の連中も、市兵も、役人も、それぞれの知っていることを出し合っていた。


俺には正直、細かい理屈は分からない。けれど、ばらばらだったものが段々と一本にまとまっていくのは分かった。


……やっぱり、適材適所ってやつだ。


カイルもそうだった。


普段は鼻持ちならない。何を考えているのか分からない顔で、こっちの言葉を先回りして潰してくるような奴だ。気に食わないし、リシェの近くにいるだけで腹が立つ。

けど、こういう時のあいつはちゃんとしているように見える。

誰の報告を先に聞くべきか、どの情報を切り捨てるべきか、誰を動かせばいいのか。声を荒げるでもなく、淡々と場を整理していく。


俺みたいな力仕事担当には到底真似できない。腕力でどうにかできるものなら俺がやる。でも、言葉と段取りで人を動かす力は別だ。


認めたくはないが、認めざるを得ない。俺の出る幕はない。


やがてアスティも合流し、現場全体の方針が固まっていった。


濡れた髪を払いもせず、彼女は状況を聞き、必要なところだけを確認して、すぐに判断を下していった。祭祀庁と市の指揮系統が一本にまとまり、ぐずついていた空気が、ようやく動く直前の張り詰めたものに変わる。


リシェが護衛と祠堂を巡り、町の根だか霊脈だかを通じて分霊樹を癒していく。その間に、別働で祭器を準備して、本命の分霊樹で合流する。そういう段取りらしい。


生憎、リシェの護衛には、風除けのために彼女を覆い隠せるほど体格のいい奴らが選ばれた。俺は呼ばれなかった。


仕方ないことだ。俺よりでかく、壁になるのに向いた奴がいる。いま必要なのは、リシェを雨風から守って、儀式の場所まで確実に運ぶことだ。そこに感情を挟む余地はない。分かってる。分かってはいる。


それでも、リシェの隣に立てないというだけで、胸の奥に鈍いものが沈んだ。


――俺には俺の出来ることをするべきだ。


リシェの隊が出ていくのを見送って、自分の配置に戻ろうとした時だった。


「は!?……出来ない!?」


聞き逃せない声が響いた。


アスティの声だった。けれど、俺の知っている感情じゃない。いつもなら多少のことでは揺れない余裕をもっている女だ。その声に、はっきりと動揺が混じっていた。


足が止まる。


その直前、俺の耳には確かに聞こえていた。ただの音としてしか聞き流していた言葉の断片が、遅れて頭の中で形を作る。


「まずいな。リシェリアは、……自分に防護はできない……」



……何を言ってるんだ。


胸の奥が、一瞬で冷えた。次の瞬間、焼けるように熱くなる。兜の下で顔が歪むのを、自分でも抑えられなかった。聞きたくなかった。そんなこと、考えたくもなかった。


自分を癒せないのは知っていた。


だからあいつを怪我させないようにしてきた。リシェが痛い思いをしないように、俺が前に出た。石が飛んでくるなら俺が受けた。獣が来るなら俺が斬った。人が手を伸ばすなら俺が払った。リシェの力は、リシェ自身には向かない。だから俺が盾になる。それは昔から、当たり前だった。


けど、前とは違う。


今は異能の使い方を習っている。教わって、訓練して、リシェは前よりずっと自分の力を知っているはずだった。兵士の中にも簡単な異能を使う奴はいて、防護は素朴な技だと聞いたことがある。異能持ちなら、まず自分を守るところから覚えるものだと。


……もちろん、異能が万能じゃないのは知ってる。


意識が必要だから、展開する前に殴れば倒せる。強度も術者の技量に左右される。長く維持できるものでもない。使い方を間違えれば隙にもなる。俺だって、そのくらいは分かっている。


でも、リシェだから。


あれだけの力があるリシェだから。もうそれなりには使えると思っていた。勝手にそう思い込んでいた。


なのに、今でもリシェは自分を守る術を持たないと言った。


それじゃ、一番危険なのは、リシェじゃないか。


嵐の中心で、雷の落ちる祠堂で、誰より大きな力を使う彼女が――身を守る術を持たない。


盾の役に、俺が志願すればよかった。


風除けだろうが何だろうが、理由を作ればよかった。隣に立てるように食い下がればよかった。俺がいれば絶対に大丈夫だなんて、そんな綺麗なことは言えない。けれど、少なくとも俺は、リシェに降ってくるものを自分の体で受けられる。


アスティが小さく息を吐いた。


「はぁ……流石に死者は癒せないからね。即死者が出ないことを祈るしかないわ……」


それは現実を見ている指揮官の言葉だった。


冷静で、正しい。どれだけリシェの力がすごくても、死んだ人間は戻せない。だから即死者を出さないよう祈るしかない。言っている意味は分かる。分かるのに、俺の胸にはまったく響かなかった。


……そうだ。


心配なのは、リシェの怪我だけじゃない。


そりゃあ、リシェが少しでも傷つくなんて、考えるだけで吐き気がする。雨に濡れて震えるだけでも本当は嫌だ。血なんか流したら、俺は正気でいられる気がしない。


でも、本当に恐ろしいのはそれだけじゃない。


もし、リシェが理性を飛ばすような“何か”があれば。


彼女が自分でも抑えられないほどの恐怖や痛みを受けたら。それこそ何が起きるか分からない。リシェは優しい。人を傷つけることを怖がる。だからこそ、普段は自分で自分を抑えている。けれど、その抑えが外れたら。


彼女が我を忘れて“暴走”するようなことがあれば――町の一区画が消えてもおかしくない。


流離い始めた頃に、数回あったことだ。


誘拐されたり、不意打ちで俺が打たれて引き離されたり。

俺が駆け付けた頃には、賊の根城には何もなくなってリシェだけが倒れていた事がある。

痕跡なんか血の一滴も落ちていないほどの更地。

俺は現場を見たことはないし、結果しか知らない。リシェも何も覚えていなかった。


それでも、リシェが空っぽにしたことだけは直観が告げていた。

だから。だから、それからは。


俺は人を寄せ付けないようにしたし、リシェは人里に下ろさないことを徹底した。


「白い魔女を捕まえたといっていた一味がいなくなった」

「強い異能のガキを売りに来るって言ってた取引をすっぽかされた」


素行の悪いやつらの消息は、そのくらいしか興味を持たれていないから、その時は大したことにはなっていない。明るみになったとしても俺の仕業で構わない。


……だが、こんなところでそんなことが起きようものなら、隠しようもない。


聖女どころか、魔女どころか。災厄として人の記憶に刻まれてしまう。


掌にじっとりと汗が滲む。皮手袋の中で、指が冷えていく。嵐の音が遠くで唸っていた。風が壁を叩くたびに、公会堂の梁が低く軋む。その音が、どこかで不気味に笑っているように聞こえた。


一つ目、二つ目。


光の柱が立つたび、公会堂の中に安堵が広がった。誰かが息を吐き、誰かが大樹の名を呟く。祠堂の一つが無事に癒されたのだと、祭祀庁の職員が地図に印をつける。市兵たちの肩から、少しだけ力が抜ける。


けれど俺の胸の奥だけは、少しも軽くならなかった。


窓の外に、三つ目の光の柱が立った。


暗い雲を貫いて、白金の閃光がまっすぐ空を裂く。雨の幕の向こうで、それだけははっきりと見えた。まるで町そのものが息を吹き返すみたいに、白い光が嵐の中に立ち上がっている。


あれが見えるということは――リシェには何事もない。

まだ無事に、勤めを果たしている。


俺は唇を噛み、胸の奥で小さく呟いた。


「あれがあるなら、リシェは無事」


信じるしかない。

リシェの傍にいる盾役の兵たちを。彼女を守ると命じられた奴らを。そして、あの光そのものを。


雷鳴が鳴るたび、首の後ろの毛が逆立つような感覚があった。音が怖いわけじゃない。雷が落ちる前に、空気の匂いが変わる。鉄を舐めたような、鼻の奥に刺さる匂い。雨粒の冷たさとは別に、皮膚の上を細い針で撫でられるような気配。


……嫌な予感だ。


勘でしかない。理屈なんかない。ラトリエに来るまでは何も感じていなかった本能が、俺に警告を上げ始めている。


「セラン!何してる、お前もだ!」



離れた場所から、祭器の運搬班の編成に呼ばれ我に返った。


「……っ。了解です!」



祭器の詳しい理屈は、俺には分からない。


どの器にどういう意味があって、どの順で運ぶ必要があって、どう力を通すのか。そういうことは祭祀官の領分だ。俺が口を出せることじゃない。


けれど、あれがなければ終わらないということだけは分かる。リシェがいくら祠堂を巡っても、分霊樹の力を取り戻しても、あれがなければこの町を嵐から解放できない。町を巡る根も、祠堂も、分霊樹も、全部が繋がらない。


だったら、あれは今この町で一番重い荷だ。


ただ重いだけじゃない。落とせない。失くせない。壊せない。雨にも泥にも、人の混乱にも、雷にも邪魔されちゃいけない荷だ。


信じるだけで立っていられるほど、俺はできがよくない。

リシェのそばに立てないなら、せめて彼女が最後に向かう場所まで、道を整える。

盾になれないなら、せめて祭器を届けて、いつでも駆け付けられる距離にいたい。


そう思って、俺は顔を上げた。

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