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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
12章 大嵐
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聖女を守る盾

破損した祭器は、町の中心――分霊樹の根元に隣接する主祠堂に安置されているはずだった。

礼拝堂の前に置かれた供台は、雷撃の影響でひび割れ、周囲の空気はまだ焦げたような匂いを残しているという。


計画はすでに頭の中で組み上がっていた。

外縁の祠堂でリシェリアが力を注ぎ、そこから外周の帯電を鎮めていく。

一つひとつの祠堂を結ぶことで、雷の奔流を静める導路を作る。

その間に、一般祭祀官たちは主祠堂の近くまで祭器を運び、安置の準備を整える。


帯電が完全に収まれば、すぐに奉納する。

雷が鎮まれば分霊樹の根本は安全圏に戻り、祭祀庁の施設も再び使用可能になる。そこまで順調に進めば、そこからは本格的に都市機能も再開できるはずだ。


――最後の仕上げは、リシェリア自身の力で。


祠堂群の外周を安定させたのち、リシェリアが主祠堂に合流して最後に、霊質の奉納と分霊樹の損壊に対する癒しを行う。


破損後に滞っていた霊質の補充、そして枝を何本も失った分霊樹の癒しには、通常より強く過剰なくらいに満たしてやる必要があるだろう。


樹が十全に戻れば、この町は再び守護を取り戻す。

そうなれば、この嵐を分霊樹自身が跳ね除けるだろう。


その時だった。

扉の方でざわめきが起き、外の冷気とともに人の影が入ってきた。


「待たせたわね。状況は?」


アスティの声が響いた。

振り向くと、濡れた外套を脱ぎながら、彼女が中に入ってくるところだった。

後ろには護衛兵や調査部の兵士たち、補給班の姿まで見える。

その人数に、公会堂は一気に手狭になった。

玄関口まで人が溢れ、雨の匂いと焦げた空気が混ざる。


「良かった。合流直後ですまないが、人員配置の相談をさせてくれ」


「手短に」


アスティは即座に頷いた。

その一言で、場の空気が引き締まる。

湿った衣の下からでも、冷静さと闘志が透けて見える。

彼女が来ただけで、混乱していた周囲が静まり返った。


俺は深く息を吸い込み、地図の上に手を置いた。

分霊樹の件も、彼女には伝えるしかない。


全て終わったあと、分霊樹の子株をどう扱うか。

それを公女の名のもとに王室へ持ち帰ってもらうことが、俺たちが反逆者にならずに済むための命綱になる。


やるしかない。

この嵐を鎮めるために――そして、彼女を守るために。


作戦をアスティにだけ伝えると、彼女も俺と同じように眉根を寄せた。

その表情に、こんな状況なのに、連帯の苦笑を覚えた。


アスティは市長に向かって親王家の名を挙げ、一時的に指揮を掌握することを宣言した。

その声は簡潔で、余計な婉曲を許さない。市長は恭しく頷き、現場は瞬時に彼女の号令下に収まった。


彼女は市兵の中から体格の良い者たちを選び出すと、短く命じた。

「移動の際は聖女の風除けをせよ。馬上でも足元でも盾となれ」


「はっ」

選ばれた者たちは雨に濡れた面差しのまま、ピンと背筋を伸ばす。鋭い視線が、湿った空気の中で光った。


俺は地図を押さえながら、ひとつだけ念を加えた。

「いっそ移動速度は遅い方がいい。焦らず、ゆっくり。近くで雷鳴を聞いたなら、即座に止まって屈め」

言葉に自分の不安が混じるのを感じながらも、理を以て告げる。


「見ている限り、落雷は分霊樹へ向かうと思うが、それでも落ちる時は落ちる。悪いが、聖女だけは守ってくれ」


リシェリアの脇には既に軍属の医務官が控えており、彼らは彼女の負担を分け合うように装備を整えている。落雷があって即死という状況にならない限りは、手当てで救えるはずだと俺は思うが、口に出すべき言葉と出さざるべき言葉があるのも知っている。だから呻吟のような言葉は飲み込んだ。


アスティは俺の言葉を受けて頷くと、選ばれた兵たちに向かって大声で宣言した。

その声は公会堂の梁に反響し、濡れた空気を切り裂いた。


「貴官らは誇りある盾だ。雨粒ひとつ、聖女を触れさせるな! 名誉の負傷の暁には、聖女より恩寵が授かる。安心して命を賭せ!」


その過激とも取れる激励に、リシェリアは眉を少し引き寄せた。嫌そうな、というよりは戸惑いにも似た表情だった。彼女にとっては命を賭すことが誉れの交換条件のように聞こえるのは、きっと心地よいものではないのだろう。


しかし兵たちの顔には確かな変化が生まれた。言葉の荒々しさが士気の火を点し、濡れた面差しにも光が戻る。公会堂の空気が一気に張り詰め、湿った隅々に高揚の波が広がった。


外ではさらに風雨が増し、天は鉛の釉薬を塗ったように黒く凝り固まっていく。

その暗さは、まるであの石室で見た闇のように深く、厚く、圧がある。

風が吐き出す声が、木々の枝を引き絞り、空気がうねる。

まるで嵐が内側から絞られ、分霊樹をちぎり落とそうとしているかのように。


リシェリアたちが最初の祠堂へ向かうのを見送ったあと、俺は祭器を奉納する側の準備を進めさせた。

彼女の背が闇に消えていくまで目で追って、ようやく息を吐く。

こういう時、俺は動けない。

実働の力を持たない――ただの補佐だ。

裏方に徹するしかない自分を、情けなく思う。


市民の避難を見届け、一部の官吏を残し、祭祀庁の職員と外遊の一行が礼拝堂への移動準備を始める。

風音は次第に低く、唸るように変わってきていた。

嵐の芯が、確実にこの町の上に留まっているのがわかる。

リシェリアたちが三つ目の祠堂を終える頃、俺たちも主祠堂へ出発する予定だ。


「ああいうのはどうなんだ。死ねと言ってるような気がするが」

少し離れた場所で部下に指示を飛ばすアスティに声をかけた。

彼女は濡れた外套を肩で払って、ちらと俺を見る。


「……決死の時は、気持ちのあり様が生死を変える。兵士には過激なくらいの薬が必要」

即答だった。

まるで感情を交えぬ氷のような声。

その確信に満ちた調子が、逆に俺の胸をざらつかせる。


「実際になにかあるなんて、心配はしてないよ。リシェリアならきっと相当な防護結界が出来るんでしょ?」

さらりと言い放った。

彼女の中では当然の理屈のようだった。


冷や汗が伝った。

アスティでも、計算を誤ることがあるのか。


「いや……まずいな。リシェリアは、……自分に防護はできない……」


声が思わず低くなった。知っていると思っていた。

だからこそ、あれほどまでに兵を裂いて配置したのだと。


「は!?」

アスティが、珍しく声を荒げた。

鋭い響きに数人の兵士が振り向き、こちらを注視する。

彼女はすぐに気づいて唇を押さえ、声を潜めた。


「どうして……別に難しくないでしょ。出来ない!?……教えてないの!?」

焦りの滲む低声で詰め寄る。

その表情には、怒りよりも驚愕が勝っていた。


俺は、目を伏せたまま静かに言葉を継いだ。


「いや! リシェリアも使えない……わけじゃない。要は、力を凝らして膜を作るだけだからな」


実際、虫を封じた瓶を結界で閉じ込めたこともある。

虫が漏れないように、と頼んだら、彼女はしっかりと力を固めて封じた。

それは見事な制御だった。


「だけど……どうしてか、自分を守る対象にすると使えなかった。リシェリアもわからないと言っていた。単純に、そういう特性かも知れない。力が拡散して、留まらない。だが……リシェリアは癒しだって、最初からそうだったろ」


リシェリアは異能を自分へ向けることができない。

強大な異能を持つ、彼女の唯一の弱点だ。

自分を守る。

自分を癒す。

そう意識した瞬間に、力が弾ける。内側でその力がほどけてしまうのだ。

まるで、彼女自身が拒んでいるかのように。


これは公にされていない、限られたものだけが知る話でもある。セランがリシェリアの安全に心を砕くのも、理由はここにあるはずだ。

そしてこのことが広く知られれば、彼女の命を狙われるような事が起こりうるかも知れない。


だが、アスティはリシェリアが自分を癒せないことは知っている。だから、防護についても当然把握しているはずだと、俺は思っていた。


「だけど、防護なんて、癒しや身体強化の異能と違って、対象が何かなんて効果に関係ないでしょ」


「そうだ。出来ないはずはない。恐らく、心の問題だと俺も思っている。……だけど急ぐ話でもないと思っていた。現段階で困ることはなかったからな。……だから、まだ習得していない。それだけなんだ」


「今、困ってるんだけど」

言葉を終えた瞬間、アスティは額を押さえて深くため息をついた。


「すまない」


「いや、まあ、仕方ないけど。はぁ……流石に死者は癒せないからね。即死者が出ないことを祈るしかないわ……」


その声は皮肉でも怒りでもなく、現実を受け止めた冷静な吐息だった。

彼女はすぐに顔を上げる。

その瞳には、戦場を知る者の覚悟が宿っている。

「でも、リシェリアが防護が出来ようが出来まいが、兵たちはやり遂げる。聖女を守ることに命を賭ける。それが任務だから」


信頼と覚悟が交わるその言葉に、俺もただ頷くしかなかった。

結局、俺にできるのは祈ることだけだ。

それがどれほど無力な行為でも。


その時――

「おお……」

公会堂の中にざわめきが広がった。


人々の視線が一斉に窓の外に向かう。

俺も思わず振り返った。


外の闇を裂くように、一本の光の柱が立ち上っていた。

雨粒を弾き飛ばしながら、白銀の光が空へと伸びる。

分霊樹の方角ではない。南端――最初の祠堂の位置だ。


「まずは一つね。……焦ったけど、良かった」


アスティが胸を撫で下ろすように呟く。

その声にほっと息が混じった。


あの光は、リシェリアが奉納を終えた証。

もともと合図のために“狼煙のように”光の柱を立てるよう依頼していた。

実際に見ると、あまりに神々しく、現実味を失うほどだった。


こういったことはわざとらしい――そう思っていたはずなのに、この嵐の只中では、その光こそが人々の心を繋ぎ止める。


奇跡というものがもしあるなら、

きっと今の彼女の姿は、その定義そのものだった。


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2026/07/14 【ep.304 名前のない憧れ】に投稿ミスがあり、前話と同じ本文を投稿していました。すみません。差し替えて本来の話を公開しましたのでお手すきでご確認をお願いします。 script?guid=onscript?guid=on
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