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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
12章 大嵐
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災厄を閉じ込める策

外ではまだ、雨音が絶え間なく続いていた。

窓を叩く粒が跳ね、空気はずっと湿ったまま。

時折、地鳴りのように雷鳴が響き、建物の梁が低く軋む。


公会堂の床には、濡れた外套をまとった市民が肩を寄せ合って座り込んでいた。泣き疲れた子供を抱く母親、足を布で巻かれた老人、壁際で震える商人たち。湿った衣と泥と血の匂いが混ざり、油灯の明かりは人いきれの中で頼りなく揺れている。負傷者を寝かせる場所も、既に余裕があるとは言い難かった。


続々と後続も合流してくる。

全身ずぶ濡れで、顔には疲労が滲んでいる。

この後には、さらにアスティたち軍の人員も到着する予定だ。


そもそも、彼女たちは野営のつもりだったが、流石にこの荒天では難しいはずだ。

かと言って、この公会堂に全員を収めるのは、到底無理がある。これ以上人が増えれば、負傷者の寝かせ場も、治癒の導線も、すぐに潰れてしまう。


本来なら祭祀庁支部や、外遊用に確保していた宿所を開けてもらうべきだ。

だが、さっきからそれらの施設には灯りがない。

支部の方角に目を向けても、窓という窓は暗く、雨に濡れた看板だけが風に揺れていた。いつもなら当直の祭祀官がいるはずの入口にも、誰も立っていない。閉ざされた扉の隙間から、かすかな焦げ臭さだけが雨に混じって流れてくる。

まるで――人の気配そのものが消えているようだった。


「庁舎を放棄している理由は?」


思わず声に出して問う。

現地の祭祀官が、疲れた顔で答えた。


「……分霊樹が呼ぶのか、雷がよく落ちるのです。大地までもが帯電していて、近づくのも危険です。分霊樹にも雷が度々落ち、何枝かはすでに焼け落ちてしまいました」


その言葉に、胸の奥が冷たく沈む。

歯を食いしばった。


「よくないな……」


現地の祭祀官が、さらに言葉を重ねる。


「祭器の破損で奉納が滞っておりましたので、分霊樹も弱っていまして……」


分霊樹は土地そのものの霊脈と繋がるものだ。

そこに雷が集中しているというのは、単なる偶然ではないのかもしれない。

分霊樹が狙われ、攻撃を受けているような違和感があった。まるで、町ごと沈めようとするような、形のない悪意のような印象。


……いや。天候に意志などない。雷は元々高いものに落ちやすいことは知られている。

精神的に弱っている自覚を得て頭を振る。

大いなる意志などという、根拠のない不安に呑まれるな。単純に分霊樹が弱っているせいだ。それ以外ない。

 

そう、思考を導いたところで状況は好転しなかった。


「分霊樹に近づくためには、町の守護を取り戻すしかない。取り戻すためには分霊樹を癒すしかない」


そして、分霊樹を癒すためには近づくしかない。堂々巡りだ。結局、危険を冒してでも分霊樹に辿り着くしかない。


そう考えながら、視線を落とす。

俺の胸の奥で、苛立ちと焦燥が混ざる。

破損した祭器――その交換と奉納のために、俺たちはここに来たのだ。間に合わなかったということか。


その時、背後から静かな声がした。


「カイル」


振り返ると、治癒を終えたばかりのリシェリアが立っていた。衣の裾はまだ濡れているのに、その目はまっすぐだった。

光を取り戻そうとする意志の輝きがそこにあった。


「奉納をしてしまいましょう。天候の狂いにも、多少は効果があるはずですよね」


「いや、その為には、あの雷の中で分霊樹に近づかなきゃいけない。……それはあまりに危険だ」


「いいえ。私に考えがあります」


その声音は迷いがなく、決意に満ちていた。

彼女がこういう時に見せる表情――それは、恐れを知りながらも前に進む者の顔だった。


「治癒の中で。町の人に聞いたんです。市内にも祠堂が点在していると。祠堂は、大樹の根の中で出来た霊的な吹き溜まりを守るためにも建てられますよね」


「ああ。大樹の子株や孫生えが芽生える可能性があるからね。これだけ大きな都市ならいくつかあるだろう」


「そこに小さい分霊樹として、新芽に芽吹いてもらうのはどうでしょうか。分霊樹があるなら、町を守ってくれるんでしたよね」


リシェリアが、雨の音の中で静かにそう言う。

子株を強制的に芽生えさせる。そう言っている。


「……出来るのか」

 

その瞳は、外の嵐の向こうを見ていた。王都の大樹がある方向。


「大樹が応えてくれるなら、出来ます」

 

「………………。」

 

分霊樹。――大樹の分け身はどこにでも生えるわけじゃない。自ら育つにふさわしい肥沃な土地を選ぶ。だが生えたそれを、切り取って根付かせて育てることが出来ればその大地もまた肥沃に反映する。


分霊樹の子株とは――シルヴィナス王が、領地や褒章を与える時に家臣に与えるものだ。それを大きく育てることも任ぜられた領主の勤めになる。育つ分霊樹が立派であればあるほど、領主は称えられるし、内戦があれば襲撃の際に焼かれることもある。

領内に自然発生したものはすべて、管轄の祭祀庁の管理に置かれ、成長すれば王都に戻されて厳重に管理される。新たに与えられるその時まで王室の管理下に置かれる。


少なくとも、人が自由に生み出せるものでも、生み出していいものでもない。


それを、リシェリアは生やせると言った。


簡単に承服していい案件ではない。

でも今は、簡単な状況でもない。


それでも。


「わかった。そうしよう」


たっぷり悩んだ後に、短く、真剣に応えた。

その声が、彼女の決意に応える印になればいいと思った。


それでも、その方法がとれるなら、動き方は決まる。

市長と現地の祭祀官たちを呼び寄せ、公会堂の隅に長机を据えた。

灯油の明かりを近づけると、机上に広げた地図がかすかに波打ち、湿気を帯びているのがわかる。

紙の端には、雨の雫が染みて黒ずんだ跡。

それでも、これが今の俺たちの頼れる唯一の情報だ。


「まずは、状況を整理する」


地図の上に指を走らせ、町の構造を確認する。

街道が東西に走り、中央を分霊樹が貫くように位置している。

その根のように、祠堂が五つ、町の各方角に散っている。

そのうち二つは水路沿い――最も被害を受けやすい。


この町の祠堂は、単独で立っているわけではない。分霊樹を中心に、五つの小祠が根の先のように配置され、町全体の霊質の流れを受け止めている。外周の祠が乱れたまま中心だけを満たせば、弱った樹に過剰な力が流れ込み、折れた枝口からまた散る。先に外側を塞ぎ、流れの逃げ道を整える必要があった。


「計画はこうだ」


俺は短く息を整え、全員を見渡した。


「市内に点在している祠堂のうち、まずは分霊樹から一番遠い場所――南端の祠堂から順に奉納を行う。例外的な作法だが、根から間接的に癒しを試みる」


分霊樹の子株を生やすことは伏せて、指先で地図の端を示す。


「この順で進めば、各祠の力が外輪のように働き、中心部の分霊樹を守る形になる。直接分霊樹に触れるのは危険が大きい。外周を整えてからでなければ、弱った樹に無理に力を流し込むことになり、かえって崩れる危険がある」


市長が腕を組みながら、眉を寄せた。


「つまり、内側に向かって順に結界を整えるということですな」


「そうです」


頷く。


「一つずつ、環を閉じていく。最終的に分霊樹が中心で安定すれば、この嵐の流れも鎮まるはずです」


リシェリアが黙ってその説明を聞いていた。

薄明かりの中、彼女の頬がわずかに濡れて光る。

緊張でも、恐れでもない。

ただ、使命を前にした静かな覚悟の光。


嵐の音が遠くで鳴り、建物がまた小さく震えた。

その響きが、まるで決断を促す鐘のように感じられた。

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2026/07/14 【ep.304 名前のない憧れ】に投稿ミスがあり、前話と同じ本文を投稿していました。すみません。差し替えて本来の話を公開しましたのでお手すきでご確認をお願いします。 script?guid=onscript?guid=on
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