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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
11章 机上の風雲
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石室に湧いた虫の正体

外遊から戻って、半月ほど。

報告書や視察先の礼状などの応対も一段落して、ようやく静かな日常が戻った矢先の事だった。


祭祀庁調査部のアデライナ・フォーゲル祭祀官の署名で、カイルと私へ『特異審議会』への招集が届いた。


アデライナは、エリシアナの聖女担当官の任務を終えた後、元々在籍していた祭祀庁の調査部門の籍に戻っている。あの細やかな見識と慎重さは、この部署に必要な才能なのだろう。


そこには彼女らしい筆跡で、ただこう記されていた。


「以前石室で採取された『()』についての調査報告」


短い一文に、嫌な胸騒ぎがした。

あの瓶。氷で封じた後、遮光と密封され祭祀庁の奥深くに預けられていたもの。

調査が完了するには、もっと時間がかかると思っていた。

けれど、彼女が知らせてきたということは、何か答えが見つかったんだ。


***

その日の夕刻、私はカイルとともに、祭祀庁の最上層――普段はほとんど使われていない秘議室の前にいた。


そこは、儀式用の部屋とも議会室とは違う。

光が入らぬ設え。重い扉の内側に、音を吸い取るような厚い布壁。

外界から完全に隔絶されている。


「聖女リシェリア、その担当官アーレンス。参上いたしました」


「入れ」


重苦しい扉がゆっくり開き、入室すると、すでに大祭祀官様が奥席にあり、総長の姿もあった。

その隣には高等祭祀官たち――普段はそれぞれの支部や部門を司る重職の人々。

視線を集められるだけで、息が詰まるようだった。


カイルも、私の隣でいつもの落ち着きが見えなかった。

指先の動きが、いつもより少しだけ硬い。

彼でさえ緊張するのだと知って、かえって事態の重さを思い知らされた。

案内された席は、中央の手前。

まるで、法廷で今から裁かれるみたいだと、頭の裏側でそんなことを思った。



「では揃いましたので――調査部より代表して、私アデライナ・フォーゲルがご報告いたします」


やがて、アデライナが一歩進み出た。

淡い色の瞳が、一同を見渡す。

手にしているのは、例の虫瓶――もう、氷の封印は解かれている。


「この虫の正体は、便宜上、ありていに言えば『死』です」


一瞬、部屋の空気が止まった。

誰も息をしていないのではないかと思うほどに。


アデライナの声は穏やかだったが、言葉は鋭く胸を刺した。

“死”――あまりに単純で、あまりに根源的。

けれど、それが一番、恐ろしい。


彼女は続けた。

「正確には……私たちの力の依拠。『霊質』と呼ぶこれが生命の源であると仮定した時の、その反対側に位置するものです」


滅び。終わり。破滅。

どんな言葉でも、しっくりくる。

生に対する“もう片方”――その存在。死。


ああ、良かった。

胸の奥で、思わずそう安堵した。


あの時、カイルが瓶の封を破った瞬間、中の虫が跳ねて、彼の顔に向かって飛んだ。

反射的に手を伸ばして止めたけれど、もし、あの時彼が叫んで口を開けていたら――

もし、それを吸い込んでいたら――

そう思うだけで、今も背筋が冷たくなる。


私の知覚を通して見ると、あの虫の周囲は、闇そのものだった。

光を吸い取るような、黒い濃霧。

“向こう側”が、見えない。

生き物の形をしているのに、生の気配がない。


「そんなものが……大樹の根に、羽虫のように?」

誰かが呟く。


ざわめきが広がる。

「石室が汚染されているのか?」

「除去はどうする」

「人体に影響は?」


次々に声が重なり、議場の空気がざらつく。

神官たちの囁きが重なって、まるで冷たい波が押し寄せるよう。

議論というより、怯えに似た響き。


その時、ひときわ低い声が割って入った。

「……魔女が、災いを呼んだのではないのか?」


誰が言ったのか、わからなかった。

耳の奥でだけ響いた気がした。

その言葉が空気を刺して、私の心臓を小さく握り潰すように鳴った。


ヒヤリと、背の内側を氷が這ったような感覚が走った。


――やっぱり、私なのだろうか。


悪いものを、この国に呼び寄せてしまったのは。


胸が、ひとつ鳴って沈む。

――出て行かなければ。

そう思った。


この国は、これまでどんなに私を包んでくれた場所だったか。

まっすぐ逸らさず見てくれた視線、何気ない毎日の挨拶、真心でしてくれたおもてなし。

それを汚すのなら、……迷惑をかける前に身を引かなければ。


「わ、私……」


唇が震えて、思わず言葉がこぼれた。

弁明でもなく、ただの謝罪でもなく、“わたしのせいかもしれない”と、認めたくなるような衝動。


けれど、次の瞬間。


私の腕を、誰かの手がそっと押さえた。

指先が強くも優しくもなく、ただ「止まれ」と命じるように。


――カイルだった。


彼は、いつのまにか音もなく、静かに立ち上がっていた。

普段の柔らかい声色とは違う、冷えた金属のような、低い声音で言った。


「随分と、夢見がちな者が祭祀官にいるようですね」


会議の空気が、一瞬にして変わった。

張り詰めた沈黙。

ざわつきが凍りつくように止む。


そのまま、彼は視線を上げずに続けた。


「ああ、名乗らなくて結構です」

「同胞の誰が愚かなのかに、興味はありません」


その言葉は、刃よりも静かで、確実に痛かった。

けれど――その痛みの矛先は、私ではない。


守られている。

そう気づいた瞬間、胸の奥で何かがじんと熱を帯びた。


カイルは私のほうを見ない。

ただ、会議の空気そのものを制するように立っていた。

沈黙の中、誰も次の言葉を出せなかった。


――“魔女”と呼んだ声は、すでに消えていた。

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