表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
10章 嵐の前の
135/139

矛先転じる差し返し

寝台に差す柔らかい光に瞼を開けた。


……昨日はよく眠れた。

 

この数日、外遊帰りの疲労と、リシェリアに会えない寂しさ、セランへの負の感情が絡み合って、落ち着かない夜が続いていた。だが今朝は違う。いつもより遅くまで寝てしまったが、その代わり纏わりついていた倦怠感は消えている。


今日は久しぶりに、静かで心が満たされた休みになる予感がしていた。


昨日、セランの思いがけない反撃に、重く沈んだ心。

だが、それを打ち払って、俺はもう気を取り直せていた。

なぜなら、あの後。執務を終えたあと――リシェリアから小さな包みを受け取ったからだ。


「こちら。何でもいいとおっしゃってたので、私の趣向で似合いそうなものを考えて、作ってみました。……お気に召してもらえたら、嬉しいです」


その瞬間、胸の奥がじんわりと温まった。


「あ。……ありがとう。とても嬉しい。大切にする」

以前、ねだるように願った手作りのもの。それを、彼女はもう用意してくれていたのだと思うと、お礼以外の気の利いた言葉も出なかった。


セランが残していった不快な影――あの棘が、このひとつで嘘のように洗われていた。


休みの日の過ごし方は、いつも決まっている。

図書館や町の書店を巡り、気になる書物を見つけ、疲れたら甘味店の奥席に座り、静かに思索に沈む。文具や寝具のような、多少こだわりのある生活用品をたまに覗くことはある。

多少の変化はあっても、せいぜいそれくらい。ささやかだが、俺にとっては贅沢な時間だった。


だけど今日は外には出ず、宿舎の自室で穏やかに過ごそうと決めていた。


陽がやわらかく机を照らし、窓辺に風が揺れている。

くつろいだ服に袖を通し、湯気の立つ茶を傍らに、軽く読書をする。

ただ、いつもと違うのは――机の上にある小さなもの。

リシェリアからの贈り物。

中身を、いつでも視界に入る位置に置いた。


机の中央より少し奥、最も目につくところに、丁寧に配置する。

小物入れの上に、絹の手巾と栞。

そこを、定位置にしよう。


見るたびに胸が熱くなる。

……嬉しい。


本の頁を捲るのを忘れるほど、目が離せないでいた。


手巾は胸元に差すための、上質な絹。

光を吸うような灰紫の布地に、黒の細い糸で刺繍が施されていた。

ぱっと見には控えめだが、角度を変えると柔らかく光る。

刺繍のモチーフは、俺の名の頭文字と、葉を象った静かな飾り。派手さなどない、品のいい意匠。


見れば見るほど、リシェリアらしい。

繊細で、無駄がなく、どこか優しい。


この手巾は、彼女の隣に立つときにこそ使いたい。

儀礼でも、会議でも、どんな場でも――誇らしく胸元に差そう。

彼女の手が縫ったものを、俺の胸に。

それだけで、背筋が伸びる気がする。


揃いの布で作られた透かし刺繍の栞もあった。

その繊細さは見事で、糸の透かし模様の中に淡い影が落ちる。

そこにも、手巾と同じ刺繍。

そして、ほんのりと香りがしみ込ませてある。

花の香でも、甘く重い香料でもない。


清らかで、爽やかで――まるで、彼女の呼吸を閉じ込めたような香り。

嗅ぐたびに、胸の内に光が差し込むようだった。


俺の生活に自然に溶け込む、完璧な選択。

無理がなく、それでいて、確かに俺のために考え抜かれている。

一刺し一刺しの間、彼女が俺を思って針を動かしていたのだと思うと、胸がいっぱいになる。

糸の先に彼女の想いが宿っているようで、手に取るたびに指先が震える。


――昨日までのすれ違いの日々。

会えない間、リシェリアの頭の中には、ずっと俺がいたという証でもある。彼女は俺に与えるものを、何が相応しいか考え、素材を揃えて、図案や色を練って、香りを添えて。

そしてその作業の間も、俺の貸した時計は彼女のそばで時を刻んでいた。それどころか、あの音が、俺の代わりに彼女の眠りを支えていると思うと、息が少し深くなる。


俺も、この栞を肌身離さずにしよう。

本の頁だけでなく、俺の時間にも挟み込む。

彼女の想いと、俺の鼓動が、いつでも同じリズムで動くように。


今思えば、セランの子供じみた仕返しなんて気にするまでもない気がする。そもそも、俺が大人げなかったのだと。反省している。


――どう見ても、リシェリアは、セランを男として見てないじゃないか。

兄どころか、弟のようにあしらっている。優しく甘やかしているだけで、俺に見せたような恥じらいや動揺なんて、あいつに対して、些かもない。

それをどう思い込んだら、誰より優位だと思えるんだ。

鼻も耳もいいくせに、目だけは濁っているに違いない。それとも他の全ての男を排除すれば自分が選ばれるとでも驕っているのか。それなら浅い。浅はかだ。


それなのに、表面的な近しさだけを気にして同じ土台に上がってしまったのがそもそもの失策だった。

見るべきなのも戦うべきなのも、あいつじゃない。

リシェリアだ。


――胸の中で小さく意思を固める。


セラン。お前は家族の距離に油断して、その心地良い底なし沼の中で、いつまでも甘んじていればいいさ。

俺はこれからは、お前を無視して、対岸にいる彼女の元へ突き進んでいってみせる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ