鮮やかな切り返し
次の日。
俺は気を取り直してきちんと勤めることにした。
昨夜の苛立ちを引きずらないように、歩幅を整えて、声の調子は穏やかに。
リシェの弱みにならぬようにと、継続して態度を控えめに抑えていたけれど、人目のないところや身内の前まではわざわざ隠す必要はないと、腹を据え直した。
廊下の空気は朝の冷えを含んでいる。報告書を抱えた使用人が視線を落として過ぎていく。城内の音がリズムを刻む中で、俺の心臓もそれに同調するように確かに打っていた。
ここから、俺も仕切り直す。
「失礼致します。聖女様へ伝令をお持ちしました」
礼の角度をきっちり保ちながら、リシェの執務室の扉をノックした。
「どうぞ」
内側からの声に従って開くと、室内は窓から差し込む斜光で淡く満ち、リシェが正面の机に座ってこちらを向いて笑っている。
その笑顔を見るだけで、いつも胸がゆるむ。
――可愛くて愛しい、俺の女。
左手の机では、カイルが書面を広げていた。眉間に寄せた皺はいつも通り、視線は書面に吸われている。彼の目は、俺の存在を必要最低限の情報としてしか取り込まない。使用人や兵士は背景の一部。いつもどこか冷たい距離を感じさせる。
「こちらを確認ください。返事は不要とのことです」
伝令をリシェに手渡す。リシェは俺に対して畏まらず、ふつうに「うん」と受け取る。
そういうところも好きだ。
「……」
室内の空気が一段冷える瞬間があった。カイルがこちらに気づいたのだ。俺の背筋にぴんと何かが張るのを感じる。
こないだの嫌がらせ、あの借りを返すいい機会だと、頭の片隅で小さく笑う自分を見つける。くすぐったいような、妙な快感を覚えた。
「……先日は酒の席にご参加いただきありがとうございました。ぜひまた、と同席していた兵士たちが言ってたよ」
軽くからかうように言葉を投げる。
カイルは聖女の担当官。もはやリシェの身内のような立ち位置で、すでに俺とリシェの幼馴染としての距離感を見て知っている。ましてや、俺たちは“赤と黒”の当事者同士――外に漏れる事はない。
俺とリシェが男女の仲ほど睦まじい……なんて、外に漏らしたなら、それは敗北を認めるのと大差ないもんな。
だから、仲の良さを見せつけるくらい、何の問題もない。お前もやれるもんならやってみろ。
——そう思えた。
リシェは満面の笑顔で返してくれる。
「こちらこそ。楽しかったから、また……参加したい」
場の空気が柔らかくなる。リシェのその一言で、胸の中の岩が少し崩れた。
「うん、まあアスティか、俺がいる時だけにしてくれ。酔っ払いを抱えて帰るのって……重いからさ」
カイルに聞かせるつもりで、さらに念を押すように付け加えた。真実あの夜、リシェを抱いて帰したのはアスティで、俺はジェスを背負って歩いた。だが「酔っ払いを抱えて帰る」経験が俺にもあるという事実は消せない。
それに、リシェの――あの小さな体を抱えてきた夜は星の数ほどある。
お前はリシェの重さなんて知らないだろ?
カイルを横目に刺して微笑む。
カイルが俺を睨む。視線が冷たくなるのがわかる。
ふふん、分かったか。
俺は軽く顎を引いて応える。
「……う……気をつけます」
リシェは帰りのことをあんまり覚えていなかったらしく、少し申し訳なさそうに目を伏せる。反省の色を見せてくれて、それだけで俺は満足だ。
「ほんじゃ」
挨拶をしてリシェに近づき、彼女の肩に軽く触れる。指先をそっと添えてから、カイルに一礼をする。姿勢を正して、声を落とす。
「先日はご指導いただきありがとうございました。ご期待に添わぬよう努力してまいります」
言葉の裏で、俺は含みを持たせる。お前の言う通りに俺がなるわけがない──そんな含みを。リシェには気づかれない程度に言葉を滑らせる。カイルなら気づくだろうと踏んでのことだ。
カイルは表情を崩さず、僅かに目を細めるだけだった。挑発に乗らぬよう、じっと堪えたらしい。
俺の言葉が彼の奥歯に小石を噛ませたとしたら、それは心地いい。
「……ああ。終わったんなら退出してくれ」
命令じみた一言。
カイルの声には冷静さはあるが、声音の棘は俺の耳にはきちんと分かる。
「はい、失礼致します」
言い終えて、俺はそっと礼をして部屋を出る。廊下の空気が肌に触れると、胸の奥の熱が滾る。
振り返ると、リシェがひらひらと手を振って見送ってくれていた。こちらに手を振るその仕草に、俺も片手を上げて返す。
「ありがとね」
――胸の中で小さな決意が固まっていた。
カイル。わざわざお前が吹っ掛けてきたんだ。
これから徹底的に邪魔してやるからな。




