日常の帰還
本章のエピローグになります
初めての外遊を終えたはずの一行が、閉門ぎりぎりまで戻らず、遅れがあるのかと、胸の奥がずっと落ち着かなかった。
夕暮れの空が紫に沈むころ、門兵が旗で合図を送ってきたのが見えた。
――やっと、戻ってきた。
外気の冷たさより、胸の鼓動のほうがずっと熱い。
「あ、リシェリアさん、お戻りになったみたいですね。……城門まで迎えに出ます?」
ジェスも同じように目ざとく合図を見つけて、俺に横から言う。
俺が落ち着かないのを見抜かれていたんだろう。
昼の巡回も、訓練の指導も上の空だった。
「いや、あっちが来るからいい」
俺はあくまで平静を装ったが、声の奥が揺れた。
降誕節から解放されて一番に来たところも、庭だったんだ。だから、ここで待っているだけでいい。
自分のした偉業より、日々の「ただいま」と「おかえり」を愛する。それが、俺のリシェ。
かつ、かつ、と石畳を踏む音が響いた。
小走りの軽い音――やっぱり。
俺の耳は音だけでわかる。
風が流れてきてはっきりと匂いでも感じ取れる。
無事に、元気に帰ってきた。
「戻ったよ。……ちゃんと元気にしてた?」
俺の確信から一拍遅れて、黒い襟巻きを少し下げ、柱の影からリシェが現れる。
ひょこっと顔を傾げて笑った。
その笑みを見た瞬間、胸の奥の張り詰めた糸が切れた気がした。
遠出の疲れが微塵もない。
風に晒された髪がわずかに乱れていて、それが妙に愛しかった。
「おい、走るな、跳ねるな。っ飛びつくなって!」
思わず駆け寄ってきたリシェを、止めようとして腕を出した。
けどもう遅い。
飛び込んでくる勢いのまま、胸の中に収まる。
その体温が、驚くほど自然に馴染んだ。
……久しぶりなのに。気にしなければならないことがある。
「いいじゃない」
良くねぇ!
慌てて左右を見て誰もいないことを確認する。こいつは要人のくせに、警護兵すら後ろに置いて駆けて戻ってきたらしい。
王城の中庭はもう夕闇。
衛兵の詰所からの灯りが遠く、人気もない。
ジェスが「大丈夫ですよ」と目で合図をしたのを見て、息をつく。
俺はほんの少しだけ、腕を回した。
「おかえり」
喉の奥が震える。
本当は、抱きしめて頬を寄せたいが、今日もまた我慢した。何度も、何度も。何年も前から。そうやって押しとどめてきた。
「うん。ただいま。……これ、ありがと。あんまり使ってないよ。安心して」
リシェが笑いながら俺の襟巻きを返す。
その笑顔が、どこか誇らしげで、少し照れている。
旅のあいだ、こいつを守ってたはずの布。
俺の匂いは、もう抜けていて代わりに、淡い草と風の香りがした。
「泣きべそしなかったか。えらいえらい」
軽く頭を撫でてやる。
涙の跡もないし、汗の匂いもない。
けれど――ほんのわずか、あいつの体温の残り香がして、それだけで胸がいっぱいになる。
抱きしめて寝た形跡はない。
……ちょっと、残念だった。
「でもありがとう。嬉しかった」
言葉の響きがやさしい。
俺が何度も頭の中で想像した「ありがとう」が、
いま目の前で息になって落ちる。
「ああ」
それだけしか言えなかった。
何かを言うたびに、感情が溢れそうで。
「ジェスも。留守番ありがとう」
リシェは恥じらいもなく俺に身を預けたまま、
肩越しにジェスへ笑顔を向ける。
あいつらしい。
どんな場面でも、他人に気を配る余裕をなくさない。
「いえいえ」
ジェスの返事が、少し照れたように響いた。
「また明日から。よろしくね」
その声は、柔らかくて温かい。
一日の終わりに灯される蝋燭の火みたいで――
その光が胸の奥に差し込んで、俺はもう、何も言えなかった。




