漏れ聞こえた過去
最初は郊外の寂れた祠堂に赴いた。
大樹の子株といってもまだ若木で、大樹のように都市を覆う様な巨木ではない。
そこに何があるかを知るものは少なく、祭祀庁以外にはまだあまり認知されていない場所だった。
今は、街道の裏にあり人通りの気配も薄い。
だが、分霊樹が、特に自然に生える土地は霊的に巡りがいいとされている。数年のうちに豊かな土地になるだろう。
外遊の手始めとして、静かで余計な気負いのない儀式が出来る点でも良い場所だった。
祠堂の中は、外のざわめきとは隔絶された静寂が支配していた。
灯された灯火の光に、大樹の枝を模した祭具の影が揺れ、そこに白衣の裾がふわりと動く。リシェリアが祭壇の前に跪き、深く祈りの形で霊質を捧げている。
その後ろで警護隊が控え、俺は一歩引いた場所に立った。
その隙を狙い、警護の指揮官であるリカリオへと声をかける。
「これは担当官殿。先程はどうも」
彼は振り返るなり、軽口めいた調子で笑みを浮かべた。こういう場でも馴れ合いを忘れないあたり、兵士らしい図太さを感じる。
「名前で構わない。聞きたいことがあってきた。多少の無作法は気にしなくていい……先ほどの、言い淀んでいたのは?」
俺は余計な婉曲を省き、直裁に問う。
リカリオは一瞬、肩を揺らし、すぐに姿勢を崩す。あえて形式ばった態度を脱ぎ捨てたように。
「そりゃどうも。そうさな……まあ、手勢の一人が、お嬢ちゃんに良からぬことしたのは、覚えてないんだなあと思っただけで」
「……ダリオの事だな」
名を出すと、彼は短く顎を引いた。
「ええ。まあ、私以外は背格好は同じくらいで特徴のない奴らでしたから。覚えてないのなら、致し方ないかとは」
その口調は淡々としていた。兵士が死ぬのも、消えるのも日常。彼ほどの歴戦ならば、いくらでも繰り返し見てきたのだろう。言葉に重さはなく、諦観にも似た平板さが漂っていた。
「あいつも調子はいいが、悪いやつじゃなかったんですがね。……お嬢ちゃんに癒してもらったあと、いたく感動していたのは覚えとります」
リカリオの目尻がわずかに下がる。感慨に浸るというより、ただ一つの事実を拾い上げるように。
俺は唇を引き結び、短く吐き出した。
「なるほど、な」
祈りの形で霊質を捧げ続けるリシェリアの背は、微動だにしない。彼女の耳には届いていないはずの会話。だが、あの笑顔の奥に、知らず残っているものはあるのだろうか――胸にわだかまりが沈殿する。
「いずれにしても。聖女様の身柄を狙うようになっては何も庇い立て出来ることもない。思い出させる必要もありませんな」
リカリオは軽い調子のまま言葉を収めた。
「ああ。そうしてくれ」
俺は低く応じ、目だけを祠堂の奥に据え直す。リシェリアはまだ深く儀式の最中だ。
次の瞬間。
「時に、お嬢ちゃんは夜の方は大丈夫なんです?」
――げはっ!?
喉に引っかかるような咳が洩れ、危うく声を荒げそうになる。
毛色の違う、あまりにも突飛な問いに思考が転げ落ちる。
「お前……一体なんの質問を……どういうつもりだ!」
声を抑えはしたが、目は思わず鋭くなる。
「リシェリアの夜……? 何を知っている。お前も、聖女に対し噂の種を探り立てる輩ならば――公女の麾下とて容赦はしない」
本当ならどんな些細なことだって俺だって知りたい――が、第三者の口から軽々と投げられるなど許せるはずがない。
思った以上に、低く威圧的な声が発せられた。
「は!? あ!!失礼!!いえ、そんな……いえ、本当にそういう意味ではなく! あの」
狼狽が露わになる。さすがのリカリオも、今度ばかりは軽口の調子を保てず、両手を宙に上げるようにして弁解を重ねた。
「違うんです。リシェリア様とお会いした頃は……毎夜毎夜ひどくうなされて、満足に眠れもしないようでしたから、快癒なさっただろうかと心配で!」
……一拍、空気が冷えた気がした。
俺の耳に届いた「うなされて」という言葉は、重石のように胸に沈む。あの時期、彼女が過ごした夜。俺の知らない夜。
「二度と紛らわしい言い方をするな!……詳しく話してみろ」
水を向けた声は、自分でも驚くほど平静を欠いていた。
リシェリアの後ろ姿は揺るがず、聖痕から漏れる燐光に包まれ続けている。だが俺の視界の端で、リカリオは少し肩を竦め、言葉を探すように視線を泳がせていた。
「断片的に知ってるだけですがね」
リカリオはそう前置きした。
「お小さい頃に天災に遭われて、坊主……いやセランの奴が、死ぬような大怪我したことがあるらしいと。その情景を毎夜夢に見ては、うなされるとのことです」
口の端をわずかに歪め、苦笑とも言えぬ笑みを浮かべる。
「私も当時、深夜にアストリット殿下に起こされました。『セランを叩き起こして今すぐ連れて来い』と」
……しまった。すぐに胸に罪悪感が沸き上がった。
聞いてしまったはいいが、これは本人の知らないところで聞きすぎたかもしれない。彼女が語らずに胸に沈めている痛み。
触れてよかったのか。俺の耳に届いてしまったことが、少し心苦しく思える。
「そうか……わかった。……そろそろリシェリアの儀式も終わる。これくらいにしておこう」
俺は区切るように言葉を落とした。
「彼女のこと、気にかけておく」
礼を添えて一歩退き、再び祭壇に視線を向ける。
祈り続ける彼女の背に、灯火の光が降り注いでいる。静かな横顔は、俺の知らぬ夜の影を確かに抱えていたのだろう。
それにしても――腑には落ちた。
彼女とセランの仲。
俺が嫉妬に駆られ、邪推していたような関係ではないのかもしれない。少なくともリシェリアは、セランを実の兄のように案じていて、だから聖女になる時ですら、あの男の身を条件に据えた。
命を危うくした少年を、幼くして必死に守ろうとしてきた心の延長。
その想いを、無碍にすべきではない。理解できる。
それでも。
セランは恋敵だ。あいつの方は、確かにリシェリアへの恋の炎に焼かれている。
俺の胸もまた、同じ炎に灼かれ続けているんだから。




