理性を溶かす接触、託すお守り
何なんだ。「あ」って何なんだ。
何がどうしたら唇に「ずれちゃった」んだよ。
本当は、リシェも俺に恋してくれてて、してくれたんじゃないのか?そうであれ。
そうならもう、我慢なんてしないのに。
万が一にも拒絶されないために慎重に、それでいてしっかりとあいつの手を離さないでここまできた。そのために押したり引いたり、周りを威嚇して牽制したり。
もし……、もしリシェも“そう”なら、遠回りしないで真っ直ぐ行ける。
はぁ……今夜は俺が寝れなくなりそうだ。
リシェの一瞬すぎた唇の感触を、どうにか頭の中で繋ぎ止めようとする。
柔らかくて、ふにっと弾力があって、しっとりしていて、ほんの少し冷たい。
その温度差が、逆に熱を呼ぶ。
あの一瞬のために、胸の奥から何かがせり上がってくる。
――いつ、そこにかぶりつけるんだろう。
抱き上げたときの感触が鮮明に蘇る。
腕に食い込んだ柔らかさ、呼吸を感じる重み。
あの重さを。いつか腕に閉じ込めて、澄ました顔を崩してやるからな。
くそ。
……くそ!
いつもこうだ。
いつも鮮烈に刻み込んできやがって。リシェのばか。
俺の心を食い荒らしやがって。
四六時中一緒だったあの頃は、いつでも手を伸ばせばそこにいた。だから執着しなくても済んでいた。
今は違う。
たまにこうして喰らうと、かえって体中に回って、どうしようもなくやられる。
嫌じゃない。
むしろもっと浴びたい。
もっと貪欲になってしまうんだ。
心も体も、こいつの匂いで満たされたい。
はぁ……胸が痛い。
渇いた喉の奥に、甘いものを突っ込まれたみたいに、苦しくて、でも癖になる。
どうしてあんな一瞬だけで、俺をここまで狂わせるんだ。
はぁ……。
ため息を吐いても吐いても、熱は抜けない。
頭の中はもう、あいつで埋め尽くされている。
好きだ、好きだ、好きだ、好きだ、好きだ――
リシェリア。リシェ。
好きなんだ。どうしようもなく。
胸の奥で繰り返して、やっと一呼吸。
……よし。
これ以上はここじゃ駄目だ。あとは部屋に戻ってから思い出そう。そう自分に言い聞かせて扉を開ける。
そしてジェスと目があった。
「遅かったですね」
「帰ってなかったのかよ」
外には、まだ庭で掃除をするフリで目を配りながら、こちらの様子も見える位置でジェスがこっちも窺っていた。
「あんなこと言われたら……。僕が残ってた方が誰かに見られても言い訳が立ちますし?」
少し恥ずかしそうな顔をしている。
……確かに。少し騒いだ声も漏れただろうし、まだ俺の顔も火照ったままかもしれない。
リシェと二人で密室で出てきた姿がみられたとしても、第三者のジェスがすぐ近くにいたんなら、”作業の為だった”と言い訳もたつだろう。
リシェだけが平然として去っていったのが、余計に悔しい。
「気をつけてくださいよ……?」
ジェスは肯定も否定もせず、何かわかったような目をして言う。
「そだな。助かったよ。……ほんの、たまにのことだから。許してくれ」
そう返すしかなかった。
言いたいことはわかっているし、冷静になってみればまた良からぬ噂が回って、何がどう転んで、リシェに危害が及びかねないことも。
それに、俺の理性も、そうしょっちゅうは持たない。
****
一夜考えて、もう一つ手を講じることにした。
悪夢は体調を崩させる。崩せば連鎖して悪夢を呼んでしまうかもしれない。
リシェの聖女としての、初めての大掛かりな外遊公務を失敗させたくはない。
そしてそれを防ぎたくても旅先に俺はいない。手を離すしかない。
だから保険はいくらあってもいいだろう。
リシェにもらったばかりの、手編みの黒い襟巻き。だけど俺の持ち物の中でも最上級に大切な宝物だ。
俺をリシェの騎士にしてくれる、それはもの以上の意味を持つものだ。
その襟巻きを、リシェに貸すことにした。
旅の夜の、不安を少しでも減らせるようにと。
もちろん一応洗ってから。
けれど洗っても、俺の匂いは多少残るだろう。羊毛の奥に沁みた汗や、冬の朝の風の匂い、刃物油の匂い。俺が生きてる日々の跡がそこにある。
サフィアに託すとき、目線を合わせず低く頼んだ。
「一応励ましといた。それでも。もし、うなされたら――これを渡してくれ。使わないなら、それはそれでいいから」
……心の奥では、もっと卑しい願望が湧く。
もし使ったら、洗わないで返してほしいな。
リシェの涙や汗まみれで構わない。
むしろそのほうがいい。俺の匂いの上に、リシェの匂いが重なって、二人分になって帰ってくる。
そうなったら、夜に顔を埋めて、今度は俺の安眠の供にする。
もちろん、流石にそこまでサフィアに言うわけにはいかない。
ただの願望だ。




