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氷の聖女のテラリウム  作者: 風木水空
9章 悪夢
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理性を溶かす接触、託すお守り

何なんだ。「あ」って何なんだ。

何がどうしたら唇に「ずれちゃった」んだよ。


本当は、リシェも俺に恋してくれてて、してくれたんじゃないのか?そうであれ。

 

そうならもう、我慢なんてしないのに。

万が一にも拒絶されないために慎重に、それでいてしっかりとあいつの手を離さないでここまできた。そのために押したり引いたり、周りを威嚇して牽制したり。

もし……、もしリシェも“そう”なら、遠回りしないで真っ直ぐ行ける。


はぁ……今夜は俺が寝れなくなりそうだ。


リシェの一瞬すぎた唇の感触を、どうにか頭の中で繋ぎ止めようとする。

柔らかくて、ふにっと弾力があって、しっとりしていて、ほんの少し冷たい。

その温度差が、逆に熱を呼ぶ。

あの一瞬のために、胸の奥から何かがせり上がってくる。


――いつ、そこにかぶりつけるんだろう。


抱き上げたときの感触が鮮明に蘇る。

腕に食い込んだ柔らかさ、呼吸を感じる重み。

あの重さを。いつか腕に閉じ込めて、澄ました顔を崩してやるからな。



くそ。

……くそ!

 

いつもこうだ。

いつも鮮烈に刻み込んできやがって。リシェのばか。

俺の心を食い荒らしやがって。


四六時中一緒だったあの頃は、いつでも手を伸ばせばそこにいた。だから執着しなくても済んでいた。

今は違う。

たまにこうして喰らうと、かえって体中に回って、どうしようもなくやられる。


嫌じゃない。

むしろもっと浴びたい。

もっと貪欲になってしまうんだ。

心も体も、こいつの匂いで満たされたい。


はぁ……胸が痛い。

渇いた喉の奥に、甘いものを突っ込まれたみたいに、苦しくて、でも癖になる。

どうしてあんな一瞬だけで、俺をここまで狂わせるんだ。


はぁ……。

ため息を吐いても吐いても、熱は抜けない。

頭の中はもう、あいつで埋め尽くされている。


好きだ、好きだ、好きだ、好きだ、好きだ――

リシェリア。リシェ。

好きなんだ。どうしようもなく。


胸の奥で繰り返して、やっと一呼吸。



……よし。

これ以上はここじゃ駄目だ。あとは部屋に戻ってから思い出そう。そう自分に言い聞かせて扉を開ける。


そしてジェスと目があった。


「遅かったですね」


「帰ってなかったのかよ」


外には、まだ庭で掃除をするフリで目を配りながら、こちらの様子も見える位置でジェスがこっちも窺っていた。


「あんなこと言われたら……。僕が残ってた方が誰かに見られても言い訳が立ちますし?」


少し恥ずかしそうな顔をしている。

……確かに。少し騒いだ声も漏れただろうし、まだ俺の顔も火照ったままかもしれない。

リシェと二人で密室で出てきた姿がみられたとしても、第三者のジェスがすぐ近くにいたんなら、”作業の為だった”と言い訳もたつだろう。


リシェだけが平然として去っていったのが、余計に悔しい。


「気をつけてくださいよ……?」

ジェスは肯定も否定もせず、何かわかったような目をして言う。


「そだな。助かったよ。……ほんの、たまにのことだから。許してくれ」

そう返すしかなかった。

言いたいことはわかっているし、冷静になってみればまた良からぬ噂が回って、何がどう転んで、リシェに危害が及びかねないことも。




それに、俺の理性も、そうしょっちゅうは持たない。


****


一夜考えて、もう一つ手を講じることにした。

悪夢は体調を崩させる。崩せば連鎖して悪夢を呼んでしまうかもしれない。

リシェの聖女としての、初めての大掛かりな外遊公務を失敗させたくはない。

 

そしてそれを防ぎたくても旅先に俺はいない。手を離すしかない。


だから保険はいくらあってもいいだろう。

 

リシェにもらったばかりの、手編みの黒い襟巻き。だけど俺の持ち物の中でも最上級に大切な宝物だ。

俺をリシェの騎士にしてくれる、それはもの以上の意味を持つものだ。


その襟巻きを、リシェに貸すことにした。

旅の夜の、不安を少しでも減らせるようにと。

もちろん一応洗ってから。

けれど洗っても、俺の匂いは多少残るだろう。羊毛の奥に沁みた汗や、冬の朝の風の匂い、刃物油の匂い。俺が生きてる日々の跡がそこにある。


サフィアに託すとき、目線を合わせず低く頼んだ。

「一応励ましといた。それでも。もし、うなされたら――これを渡してくれ。使わないなら、それはそれでいいから」


……心の奥では、もっと卑しい願望が湧く。

 

もし使ったら、洗わないで返してほしいな。

 

リシェの涙や汗まみれで構わない。

むしろそのほうがいい。俺の匂いの上に、リシェの匂いが重なって、二人分になって帰ってくる。

そうなったら、夜に顔を埋めて、今度は俺の安眠の供にする。


もちろん、流石にそこまでサフィアに言うわけにはいかない。


ただの願望だ。

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